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記憶の原点

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 と感じた。
 夢の中で、その老人が口を開いた。かなり音がこもっているようで、いかにも、
「スタジオの中ではないか?」
 というような感じで、
「少年」
 というのだ。
 名前を知らないのだろう。
「バレてはいけないものを持っている」
 というのだ。
「バレてはいけないものって何なのですか?」
 と聞くと、
「それは今は言えないが、もしそれがバレてしまうと、お前には、究極の選択が待っていることになる」
 というではないか。
「究極の選択?」
 言葉は知っているが、意味は正直分からない。
「そうだ、究極の選択が待っていることになるのだ。だから、心しておけなければならない」
 といって老人は消えた。
「まったく何を言っているのか分からない」
 まさに、その通りだった。
 そんなことを考えていると、
「小学生の自分に、そんな難しいことを言っても分からない」
 と思うのだった。
 そして、可憐はその時、自分が夢を見ているのを初めて感じた気がしたのだ。夢を見ているという感覚は、確かにあるのだが、次第に、
「私って、本当に小学生だったのかしら?」
 という感情だったのだ。
 小学生の頃の記憶が結構あって、
「夢を見るなら、小学生の時の夢」
 という感覚を思い出していた。
 すると、今度は夢の中で、それまで老人と二人だけだったという意識だったにも関わらず、どんどん、友達が夢の中に現れてくるような気がした。
 気軽に声を掛けてくれて、それに対して返事を返している。
 その友達は皆学生服を着ている。学生服しかイメージが湧いてこないのだ。
 それを見ると、
「やはり自分が小学生ではない」
 ということが分かってくる。
「そんな中で、見覚えのない学生服を着た女の子がいた」
 と感じた。
 その子は、友達から、
「可憐」
 と呼ばれている。
「えっ? 私なの?」
 と思うと、
「じゃあ、主人公である私はどこに行ったのかしら?」
 と思ってまわりと見ていると、さっきまで見えていたはずの小学生の可憐はどこに行ってしまったのか、分からなくなっているのだった。
 その瞬間、
「タイムパラドックス」
 だと感じた。
 小学生の頃まではまったく知らなかった言葉だった。
 意味を知らないというのは無理もないことだが、言葉も聞いたことがなかったように思える。
 なぜなら、
「タイムパラドックス」
 という言葉を聞いて感動したのは、中学時代に図書館に置いてあったSFマンガを見たからだった。
 小学生の頃によく見たアニメでも、そういえば言っていたような気がするのだが、その言葉を聞いた時、
「アニメでは、意味も分からずに、スルーしていたかも知れない。だから、聴いたはずなのに、聴いたかどうかという記憶がなかったのだろう」
 と思ったのだった。
「自分が本当に小学生なのだろうか?」
 と思ったのは、老人から、
「お前は人にバレてはいけないものを持っている」
 と言われた時のことだった。
「我に返った」
 というべきであろうか。
 小学生の時と、中学に入ってからは明らかに違う。たぶん思春期と呼ばれる時期は、小学生時代から中学時代にかけてと、その時期をまたいでいたように思う。
 卒業に、入学という、慌ただしい感覚になった時、自分が中学生になったということだけは、理解していたはずだった。
 だが、夢の中では、
「それが夢だったのではないか?」
 と思うことで、中学生になったわけではないという、不可思議な感覚になってしまったということを自覚していたのだろう。
 夢の中では、時系列が意識できなくなると、
「中学生になってからというものよりも、小学生の頃の夢の方をよく見るようになった」
 といえる。
 つまり、
「夢というのは、今のことを見るよりも、数年前の夢を多く見るように、頭の中ができているのではないか?」
 と感じるようになった。
 それは、あくまでも自分だけのことなのか、それとも、他の人も同じことなのか分からなかったが、その答えをくれるのは、やはり、
「夢の共有」
 というものがなされているのかどうか、それが気になるところだったのだ。

                 記憶喪失

「ああ、このまま目が覚めていくんだろうな」
 という意識があった。
 夢の中で目が覚める時というのは、圧倒的に、
「いきなり、目が覚めてしまった」
 ということを感じるのだった。
 実際に、目が覚める時、確かに、
「いきなり、目が覚めた」
 というのは、多いのだが、それ以外にも、
「かなり昔の意識だ」
 と感じることで目が覚めることが多いのも、事実だった。
 むしろ意識としては、こっちの方が強く残っているはずなのに、目が覚めるにしたがって、忘れていくような気がした。
 そして、完全に目が覚めても、しばらくの間、自分の中にあるはずの記憶が、定かではない状態になっているのだった。
 そんなことを考えていると、
「俺にとって、夢から目が覚めるということは、夢の記憶が消えていくことで、意外と、夢を忘れてしまいたいと感じる時も少なくはない」
 と感じるものだったのだ。
 夢というものを、いかに意識するかということは、正直、よくわかっていない。
「大人になったら分かるんだろうか?」
 と思いながら、
「自分の中の信憑性に間違いはない」
 と感じているのだった。
 実際に、目が覚めるにしたがって、
「ああ、今日の夢も、かなり昔の夢を見た気がする」
 と感じた。
 というのも、今回のように、老人が出てきた夢というのを、
「かつて、いつか見たはずだ」
 という記憶があったのを、思い出していた。
 その時は、
「かなり昔に見た夢だ」
 という意識はなかった。
 それこそ、小学生の低学年であり、この意識が残っているとは思えなかったからだ。
 残っているとすれば、その意識は、かなりの昔のことであり、
「本当に自分の意識なのだろうか?」
 と感じることで、その時初めて、
「夢の共有」
 などという意識が生まれてくるのだった。
 それは、自分の意識で理解できないようなことを、
「無理やりにでも理解させよう」
 という、無茶ぶりが生じてのことではないだろうか?
 ただ、小学生のどこかで、一度似た夢を見た気がしたのは、今であれば冷静になって考えると、
「あれこそ、夢ではなく、いずれ、将来において同じ夢を見るという、夢に対しての予知夢というものではないか?」
 と最初は思った。
 しかし、
「夢のための予知夢を見る」
 というのもおかしなもので、それだったら、
「前に見たのは、夢ではなく、実際にあったことではないか?」
 と感じることで、逆に。
「本当にあったことが、間違いのないということになり、だが、それを自分で認めたくないというほど、現実離れしているという感覚だったとすれば、それはそれで、普通にあり得ることなのだろうか?」
 という風に感じるのだ。
 その時に自分の目の前にいた老人を、最初から知っていたのではないかと思い、
「必死に思い出そう」
 としていたことを、確信めいた感覚で覚えている気がしたのだ。
 ただ、そういえば、
「子供の頃、一時的な記憶喪失になった」
作品名:記憶の原点 作家名:森本晃次