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記憶の原点

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 夢の中に本当に出てきてはいけないのは、もう一人の自分えはなく、
「他人が出てくる」
 ということでないと、夢の信憑性はないのだが、その夢に信憑性をつけるためには、
「他人の存在」
 というものが、不可欠だ。
 ということになる。
 しかし、それを夢で見たということにしてしまうと、結果、夢を忘れなければいけなくなる。
 それを忘れないようにするには、
「強烈なインパクトを与えるしかない」
 ということになり、それが、
「もう一人の自分」
 というものを、夢で見たということになるからであろう。
 夢というものを、いかに自分に何かを悟らせるために見ているということであり、だからといって。夢の中だけで片付けてしまうということはありえない。
 ということになるのだった。
 そんな夢の中で、今回は、その人の存在が、明らかに忘れられなくなっていたというのだ。
 その人物に対して、
「どこかで見た」
 という意識はあるのだが、そこまで覚えていながら、結果として。
「覚えているくせに、恐ろしく遠い存在だったのはないか?」
 と考えるようになっていた。
 そんな夢に出てきた人は、かなり高圧的だった。
 その夢の迫力は、あったはずなのだが、空気がまったくよどんでいない。
「それが夢の正体だ」
 といってもいいだろう。
 そんな夢の中に出てきたその人物は、老人だった。
 まるで、
「学校の先生」
 ともいえる雰囲気であるが、
「担任の先生」
 という雰囲気ではない。
 となると、
「学校の先生」
 という意識は、違っているように思えたのだ。
 そんなことを考えていると、さっきまで、自分のことを、
「小学生だ」
 という意識があったのだが、その老人が現れて、話を聴いている姿を遠くから見ている様子としては、
「まるで、仙人が仁王立ちしている前に、若者が、ひれ伏す形で、頭を垂れて、拝み倒している」
 というような感じであった。

                 ドリームパラドックス

 その老人は、白装束に、つえを持っている。
 しかも、髪の毛のひげも濃い様子で、
「仙人」
 という言葉がいかにもであった。
 しかも、白い服が光っているように見え。こげ茶色の杖まで、光っていて、白く輝いている雰囲気には、圧倒されるところであった。
 老人は、微動だにせずに、若者を見詰めている。
 その青年が、夢の主人公である自分だということは分かっていることであった。
 老人は、何かを言いたいという意識はあるようだが、何かを必死に待っているのを感じた。
 すると、その向こうで、ざわざわしたものを感じた。我慢できずに、這い出してくるのは、この夢を盗み見ようとした、
「一種の、夢の中における強盗のようなものだ」
 といってもいいだろう。
 しかも、強盗なのだから、普通の窃盗とはわけが違う。
 そもそも、強盗までしないといけないというほどのことなのだろうか?
 その人は、
「明らかに老人だ」
 ということは分かるのだが、実際に、それだけではないような気がする。
 どこかで見たというのは、遭ったことがあるということなのか、それとも、
「以前、夢の中で見た相手だったから、今が夢の中にいるということで、分かるのではないか?」
 とも考えられる。
 夢の中というのは、
「普通であれば、夢を共有するなどということはありえない」
 と思っていたが、最近では、
「そんなことがあってもいいのではないか?」
 と考えるようになってきたのであった。
 というのは、
「目の前にある鏡を見ていて思ったのだ」
 目の前にある鏡は、こちらの世界を、左右対称であるが、忠実に映し出している。
 しかし、それは、死角に入った部分を映し出すことはできない。角度によって、自分が見える範囲でしか、
「世界を共有」
 するということはできないという考えである。
 しかし、こちらの世界は、鏡の世界と違って、繋がっているのだ。
「違う空間でも、次元でもない」
 と考えるが、次元という意味では違うかも知れない。
 鏡に写ったものは、平面でしかない。
 ということは、二次元でしかないということになるのであった。
 そういう意味で、
「左右対称に写っているが、上下が対称にならない」
 ということは、考え方として、
「三次元の世界を、二次元として映し出そうとするからではないか?」
 という理屈も成り立つのではないかとも考えられる。
 鏡の上下が逆さにならない理屈については、ハッキリと証明されているわけではない。だから、いろいろな発想があっても、無理もないことだといえるだろう。
 そんな上下逆さにならない世界を、
「次元の違い」
 ということで解釈するのであれば、鏡の向こうの世界が、やはり平面であり、
「二次元の世界の呪縛」
 のようなものだと考えたならば、
「二次元の世界は、途中に途切れた場所はあるが、そこには、
「三次元の我々には分からない、未知の空間が広がっている」
 と考えると、
「繋がっていないように見えるのは、次元が違うこと」
 ということで理解できるだろう。
 そう考えると、夢の世界も、
「実は二次元の世界なのかも知れない」
 とも思える。
「いや、次元が違うということであれば、四次元ではないか?」
 という人がいるだろう、
 なぜなら、
「夢というものは、どんなに長いものでも、目が覚める数秒で見る」
 という発想から生まれたものなのかも知れない。
 夢が長い時など、子供の頃からの夢を見ることがある。
 ただ、ここで問題なのは、
「夢を見ている自分がいくつなのか?」
 ということである。
 普通に考えれば、
「夢を見ている自分は、今現在の自分であるはずだ」
 と考えるが、果たしてそうなのだろうか?
 もっといえば、
「今日見たと思っている夢も、本当に今日に見た夢だったのだろうか?」
 という、少し大胆な考えである。
 つまりは、
「夢というのは、どこかに格納されていて、まるでリマインダーであるかのように、ある時期が来たら、見るようにと、設定されているのかも知れない」
 その、設定も誰がするのか?
 ということになるのだろうが、
「過去の自分が設定したのか?」
 それとも、
「夢の中にもう一人の自分が本当にいて、その自分が設定したのだろうか?」
 ということになる。
 そんなことを考えていると、
「夢を、あやつることができるのだとすると、それは、何も自分でないといけないわけではない」
 とも言えるだろう、
 そうなると、自分の夢を操れるのは、自分以外にもいるということだ。
 ということになると、それは、無意識に
「自分の夢を他人に壊されたくない」
 という意識が働いているとするならば、
「人の夢を、自分が操れるのではないだろうか?」
 といえるのだ。
 ただ、そうなると、自分の夢と他人の夢が、繋がっていなければいけないということになる。
 本当につながっているのだとすれば、
「それは、実際の生活においても繋がっていて、時系列についても繋がっている」
 その感覚を、本人が知ってしまうと、せっかく辻褄を合せようとしている感覚が邪魔して、
「人の夢を壊してしまう」
作品名:記憶の原点 作家名:森本晃次