記憶の原点
「そういえば、この間、赤ん坊に戻った夢を見たんだけど、それって、本当にそうなのかしら? 赤ん坊の頃は、記憶どころか、意識もなかったのでは?」
というと、老人は、
「そんなことはない。記憶に残らないだけで、意識はあるのさ。記憶も残らないというよりも厳密には、自浄効果として、自分で、記憶を残さないように、操作しているんだよ。それが、夢としての、最初の効果であり、物心がつくという言葉が、それを上塗りすることで、証明しているように思わせているんだ」
というのだった。
その話を聴いて、思うところは確かにあった。
子供の頃の記憶でも、かなり鮮明に覚えていることもある。
「確か、ハチに刺された時のことを覚えている」
というのも。覚えているのは、臭いだった。
「アンモニアの臭い」
というものを明らかに覚えている。
その臭いを嗅ぐと、痛みがぶり返してくるようで、まるで、
「爪でつままれたかのような激しい痛み」
を思い出すと、
「すべての記憶の元になっているのは、あのアンモニア臭から始まっているのではないだろうか?」
と感じるのだった。
激しい痛みというものを思い出していると、
「ここまで痛いというのは、どう解釈すればいいのか?」
と、感じたのは、子供の頃だった。
なぜなら、大人になってから、ハチに刺されたという記憶はなくなっていて、その痛みが、
「記憶というもの」
を残さないという、
「起爆剤」
のようなものではないかと考えるのだ。
だが、
「隠そう隠そう」
という意識があれば、バレてしまう方向に舵が切られるというのは当たり前のことだろう。
もっといえば、
「この老人が出てきた時点で。すでに、誰かにバレるということは、必然的なことだったに違いない」
といえるだろう。
すると、その日から、その老人が、毎日のように、夢に出てくるようになった。
いや、正確には、
「夢を見る時、毎回、夢に出てくるという方が正しいであろう」
というのは、
「最近になって、また。自分が、たまにしか夢を見ていないのではないか? という気持ちになってきている」
という感覚であった。
「自分の中にある記憶というものが、どのようなものなのか?」
そして、
「バレてはいけないものというのは、自分をつかさどっているものの、いかほどのものなのだろうか?」
ということであった。
それが、無限でもない限り。どれほどのものなのかということを、思い図るということはできるというものである。
そんなことを考えていると、
「自分は隠そうともしていないものを、バレるという表現で自分のことを考えさせているような老人の存在は、正直、わけのわからないものだった。
「お前は、人間ではない」
と、老人は言った。
「えっ? どういうことなの?」
というので、
「お前は、バレてはいけないということを、実はしてしまったんだよ。それは、お前が、人間ではないということだ」
と聞かされて、
「えっ、そんなバカな?」
と言った。
この、
「バカ」
という言葉は、二つの意味がある。
一つは。
「自分が人間ではない」
という、老人の言葉であった。
「だったら、何だというんだ?」
と聴きたい。
「何も、好き好んで人間に生まれてきたわけではない」
という、理屈に沿わない考え方をしてしまったのも、頭の中がカオスになってしまっているからであろうか?
そして、もう一つは、
「だから、何だというのだ? バレてはいけないというのは、どういうことなのだろう?」
という考え方である。
確かに、人間界に、人間ではない人物が混じってしまうと、明らかに攻撃されたり、
「少なくとも、今と同じでは生きていけるわけはない」
ということになってしまうであろう。
そして、この二つから、次に考えることとすれば、
「だったら、私は何なのか?」
ということである。
「人間ではない」
ということを、見ず知らずの老人から、しかも、夢の中と分かっているところで言われて、
「これほど、信憑性のないものはないだろう」
と思っていることに対して、
「どうすればいいのか?」
ということである。
「じゃあ、私はどうすればいいのよ」
と、半ば、やけくそ気味に言った。
老人もそれくらいの状態になることくらい分かっていることのようで、
「まあ、落ち着いて」
というが、却って怒りを買う言い方に、さらに、憤りを感じてしまった。
「お前には、二つの選択肢がある」
というではないか?
つまりは、どちらかに対しての、
「究極の選択」
ということである。
「お前が選べるのは、このままお前が住んでいた世界に、何もなかったかのように帰るということ、そしてもう一つは、この世界にも残れるのだが、その代わり、お前を知っている人は誰もいないということになる」
というではないか。
「じゃあ後ろの方の話は、私を知っているという記憶をすべて消すということになるのかしら?」
と可憐がいうと。
「ああ、そういうことだ」
というので、
「そんなことができるの?」
と聞き返すと、
「それは、お前が魔法使いと呼ばれるものだからできるのさ」
という。
「いやよ。私はそんなことしたくない。私を知っている人の記憶を私が消すために血かあを貸すということでしょう?」
というと、
「そういうことになる。しかし、そうでないと、掟を破ることになるから、お前は、結局魔法の国にも帰ることができなくなり、永遠に、彷徨うことになるんだぞ」
というではないか?
「それはつらい」
というと、
「お前が魔法使いということを晒したのは、人を助けるためだったということで、正当性がある。だから、せめてこの世にいられるようにということでできた選択だったのだが、それも、決断ができなければ、彷徨うことになるというのも、厳しい掟の一つなのだよ」
と老人は言った。
可憐は、しょうがないので、後者を選んだ。
この間まで友達だったはずの人が、まったく何も言わない。
見えているはずなのに、まったく見えないというそんな状態に、
「私はまるで、石ころになったかのようではないか?」
と感じるのだった。
「誰も私のことを知らないんだわ」
と思いながらも、魔法使いということで、一人でも暮らしていけるだけの技は持っていた。
しかし、技があるだけで、寂しさなどをどうすることもできない。
「これじゃあ、行き地獄じゃないか?」
と思ってしまう。
そんなことを考えながら、この世界を生きていると、
「私は、このまま、無限に、ここで生き続けなければいけないのだろうか?」
というのは、だいぶ、昔の記憶が思い出されてきたからだった。
「魔法使いというのは、人間に比べれば、寿命は、相当長い」
ということであり、さらにとどめとしては、
「人間世界にくれば、死という意識はなくなる」
ということであった。
だから、魔法使いの国から、人間世界に来る人が増えているのだが、なぜか、魔法の国に戻ってくる人が多いという。
その理由を突き止めるための、
「人間世界留学」
というプロジェクトに参加したのが自分だったのだ。