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記憶の原点

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「時々入れ替わることで、犯罪を成立させる内容だった」
 というものだった。
 この入れ替わっている二人というのは、犯人だというわけではない。
「いや、正確には犯人なのだが、真犯人というわけではない」
 ということであった。
「真犯人ではないが、犯人を知っている」
 という存在であった。
 直接、犯行に関係はない二人だったが、片方の人は、
「犯行の動機」
 という意味で、大いに関わっていることで、ジレンマに陥った。
「あの人は、俺のために犯行を繰り返しているんだ」
 ということであった。
 この二人は、犯行を目撃したことで、二人の間に、
「決定的な立場」
 というのが確立され、
「逆らうことのできない奴隷」
 となってしまったのだ。
 元々負い目を持っている相手が、さらに決定的瞬間を目撃したことで、二人の力関係は、どうにもならないところまで来てしまったのであった。
 となると、どうなるか?
 この二人は、真犯人が捕まらないようにするため、いろいろな偽装工作を施す。
 真犯人は、最初こそ、
「自分は、どうなってもいい」
 と思っていただろうが、自分が犯した犯罪に対して、
「誰かが偽装工作をしてくれているんだ」
 と考えるのだ。
 偽装工作をしてくれているということは、
「私を助けてくれている人がいる」
 と思うと、
「捕まりたくない」
 と考えるようになるのは当たり前のことで、それよりも、そんな風に、
「あわやくば」
 という欲が出てくると、その後で、違う気持ちになっても、簡単に、
「助かりたい」
 と思った気持ちに変わりはなかったのだ。
 それだけ、
「自分の中での辛さ」
 という複雑な心境が出てきて、
「いい面と悪い面」
 の悪夢を見るようになっていったのだ。
 それだけ、
「追い詰められていた」
 ということであろうが、追い詰める方も、最初からそんなつもりもあったわけではないようだ。
 入れ替わっていた二人だが、一人は、
「実の息子」
 だったのだ。
 そう、
「お母さんは、僕のために、犯罪をしてくれていたんだ」
 という思いだった。
 ちょうど復員してきたばかりの頃で、
「戦争で顔にひどい傷を負ってしまい、素顔を晒せなくなってしまった」
 ということで、母親は、
「それなら、私が息子のために」
 ということで、遺産が起こるように画策していたというのであった。
 だが、実際に、入れ替わっていたということも、この顔を隠すための頭巾のようなマスクがあることで可能だったのだ。
 巧みにそれを生かし、
「指紋の問題」
 というのも、何とかこなし、最後まで演技を貫ければよかったのだが、実際には、そうもいかなかった。
 だが、その片方、しかも、悪だくみを考えている方が、死体となって発見されるにいたり、探偵も、事件に渦巻いていた謎のベールが次第に取れていくことに気付くようになっていったのだった。
 そもそも、偽装工作をするということは同じでも、その目的、理由はまったく違っていた。
 というのも、一つは。
「母親を助けたい」
 という、
「純粋な肉親愛」
 だった。
 しかし、もう一つは、
「この親子二人に復讐する」
 ということであった。
 実はこの男、子供の頃に、真犯人にいたぶられ、母親まで、恨みを残して死んだというのだから、
「この復讐に一生を掛けている」
 といっても、過言ではないだろう。
 そんなことを考えながら、夢についても、想像してみると、
「あの小説を、どちらの側からでも見ることができる」
 という、
「珍しいタイプの小説」
 だと感じるようになったのだった。
 小説というのは、自分の中で。
「恨みがまずは生まれて、それがどこかの瞬間に、殺意に変わる」
 というものであった。
 その殺意がどこから生まれたのか?
 これが、探偵小説の中でも、本格派と呼ばれるものの、一番のミソなのではないだろうか?
 変格派というものは、
「異常性癖」
 などという、精神的なものが舞台になったりするが、本格派の場合には、
「あくまでも、理路整然とした中に、潜んでいる」
 あるいは、
「誰もが持っている裏の部分」
 というものが、何かのきっかけで表に出てくることで、犯罪を組みたてるようになるということだ。
 これは、変格派という。
「異常性癖」
 というものが、小説になった。
 ということであれば、変格派と本格派というものの間に、大きな差というのはないのではないか?
 と考えられるのだった。
 ただ、これは人から聞いた話だったが、
「小説を書く時というのは、人称や見方というのが、一定方向からでしか見ることができないんだ」
 という話であった。
「どういうことなの?」
 と聞いてみると、
「小説というのは、基本的に最初に、見方から考えるものなんだよ。視点がバラバラになると、読者が混乱する。たとえば、最初からずっと、主人公目線で、自分のことを、俺と言っていた人が、急に、名前で呼んで、他人事のようになる。つまり、主人公が章ごとに変わるというのは、これほど読みにくい話はないだろう?」
 というのだった。
「それはそうよね。あくまでも、想像して見方を選ぶのは、読み手だからね」
 というと、友達は大きく頷いて、
「まさにその通り」
 というのだった。
 そんな探偵小説を思い出していると、
「今回の夢の話を思い出すと、内容は、あくまでも、読者視点に立っているので、見え方は、双方向からなんだろうな」
 と感じていた。

                 大団円

 現れた老人のことを思い出していると、
「お前は、記憶を取り戻してはいけない」
 というではないか。
「自然に思い出そうとしている自分がいるだけなんだけど?」
 というと、その老人は、
「今まで、お前の人生で、間違った道に行きかけていたのを、このわしが、そっちにいかないようにしていたんだ」
 というではないか、
「ええっ? あなたにそんな力があるというの?」
 という。
「そうだよ、これは、お前に限ったことではなく、皆同じ考えなのさ。だから、お前がわしのいうことを信じる信じないは、お前の自由なのだが、まわりをわしが言ったことを踏まえて見てごらん、思い当たるふしは、いくつもあるじゃろう?」
 という。
 それを聞くと、
「まさにその通り、いくつも思い出してみて、老人の言っていることが正しいということを正直分かっているように思えるのだ」
 と考えると、老人のいうこともまんざらでもない。
 それにしても、
「何とも、押しつけがましい老人だ」
 と思いはするが、
「これが守護神であるとするならば、むげにできるわけもない」
 というものだ。
「だけど、バレてはいけないことって、一つだけなの?」
 と聞いてみると、
「いや、一つだけじゃない。いくつもあるのだ。いや、見ようによっては、無限だといってもいい。だけど、一つがバレてしまうと、そこから芋ずる式に分かっていくというものだから、種類としては限られているといってもいいだろう」
 というのだった。
作品名:記憶の原点 作家名:森本晃次