記憶の原点
というようなことだっただろう。
その時は、
「何を言っているのかしら?」
と思っていた。
「別に私は子供だと思っているので、何を大人の意見をしようというのか?」
と考えるのだが、
「確かに大人の意見というものを、言おうと思えば言える気がする」
と感じた。
ただ、そんな自分を父親が知っているわけはないと感じたのだが、なぜそう感じたのかというと、
「父親は、政治にも歴史にも興味のない人だ」
ということであった。
そもそも、可憐が、政治に興味を持ちだしたのは、
「歴史というものが好きだった」
ということからだった。
歴史といっても、明治以降の歴史なので、幕末から、明治新政府、そして大日本帝国。さらには、戦後の日本と、ここ、150年ちょっとの間で、目まぐるしく、歴史が巡っている。
ただ、いくら歴史が好きだとはいえ、女子中学生が、政治に興味を持つというか、政府批判を公然と口にしているというのは、珍しいことではないだろうか?
そんなことを考えていると、
「私は、本当に、あのお父さんの子供なんだろうか?」
ということを考え始めた。
母親も、どこか似ていない。
さらに、
「他の人のことなら、その気持ちが分かったりするのに、両親に関しては、その気持ちを思い図ることができない」
といえるのであった。
きっと、そんなことを考えている時だったのだろう。夢の中に、再度その老人が出てきたのだった。
老人は、前の時ときっと同じ格好だったのだろう。何しろ、夢の中なので、あまりにも漠然としていて、自分で思っているよりも、
「記憶することが苦手なのかも知れないな」
と感じていた。
可憐は自分のことを、
「年齢の割には、何でも平均的にこなせちゃう」
と思っていた。
というのは、自分で、
「同じ年齢の平均的なこと」
というのを分かっているということだ。
それだけでも、十分、他の同年代の子たちよりも、優れているといえるのではないだろうか?
そんなことを考えていると、急に、自分が生まれた時のことが思い出されてきたのだ。
普通、自分の埋まれた時のことなど、覚えているはずもない。だからこそ、
「物心ついた頃から」
などという表現をするものだと思っていた。
しかし、それは他人に確認したわけではなく、
「赤ん坊の時のことを覚えているはずなどない」
と、勝手に思い込んでいるだけなのではないだろうか。
赤ん坊の時の記憶。
そんなもの、どこからが本当のことだというのだ?
そう。こんなものウソではないのか?
「夢だったら、早く覚めてほしい」
そんな気持ちである。
逆にいえば、
「こんなのは夢に違いない」
とも思う。
「そうだ、夢というのは、覚えているのは、怖い夢ばかりだったではないか? これだって、勝手に思い込んでいるもので、何をそんなに。嫌な夢を見ているという意識を持っているというのだろう。確かに、これが夢だということであれば、夢に対しての感覚を自らが証明したようなものではないか?」
と考えるのであった。
今まで、見た、
「一番怖い夢」
それをもう一人の自分が出てきた夢だった。
と思うのだが。それがいつからだったのか、自分でも分かっていないし、そんなことを分かろうとも思わなかった。
しかし。今回の
「生まれた頃の夢」
つまりは、今までなら、
「思い出すなどあり得ない記憶」
ということを感じていたのだから、
「これが一体、どういうことを意味するのか?」
と考えてしまうことであった。
自分は、赤ん坊だった。乳母車に乗せられ、おしゃぶりをしゃぶりながら、ガラガラという音を聞きながら、身体全体が揺られるようにしていて、目は、空を向いている。
眩しいと思ったが、そこは、ちゃんと、乳母車の庇が掛けれらていて、眩しくないようにはしてくれているが、意識がなまじあるだけに、その眩しさを訴えたい気持ちになるのだが、それができないことに、苛立ちすら覚えていた。
「なんで、こんない眩しいんだ?」
という思いが強くあった。
しかし、それよりも、ガタガタと揺れていて。前に進んでいる感覚が心地よく、気が付けば、眠っているという感覚だった。
それを、
「安心感」
というのだということを感じていたのは、
「夢を見ているのが、今の自分だからだ」
ということが分かっているからだ。
夢の中には、主人公である自分と、夢を操作している自分とがいると思っている。
そして、
「時々、夢の中で、夢を見ている自分と、操作している自分とが、時々入れ替わっているというのを感じさせる」
というものであった。
「そういえば、最近、読んだ小説の中で、入れ替わりがテーマになっていたものがあったっけ?」
と感じていた。
その小説は。
「ミステリー小説」
いや、厳密に言って、時代が、今から50年以上も前に書かれたものなので、明確にいうのであれば、
「探偵小説」
といってもいいだろう。
最近、可憐は、その頃の探偵小説というのを、好んで読むようになった。
親も、
「私も、よくあなたくらいの時に読んだものだわ。ちょうど、その頃は、探偵小説ブームだったこともあって、ちょうどその頃の友達は、皆読んだものよ」
というではないか。
話を聴いてみると、探偵小説には、
「本格派探偵小説」
と、
「変格派探偵小説」
という二種類があるという。
本格派というのは、
「トリックを駆使し、作者がまるで、読者に犯人当てであったり、トリック当てなどの、挑戦状を叩きつけるかのような作品」
だといい、変格派というのは、
「耽美主義であったり、SMなどの、他人から見れば異常性癖に見える内容を、テーマにしたりする話のことだというのだ、
さすがに、女子中学生が、いきなり変格探偵小説を読むというのは、ハードルが高いのであろう。可憐も、まずは、
「本格派探偵小説」
を読み漁ったものだった。
これも、母親の意見と同じで、
「でも、高校生くらいになると、今度は変格派を読み漁るようになったわよ」
といっている。
「じゃあ、私もそうなのかしら?」
というと、母親は、一瞬怪訝な表情となり。
「あなたは違うかも知れないわね」
と、一刀両断に答えたのだ。
それを言われると、一気に気持ちが萎えてしまう。それまで、どんなに気持ちを高め、母親に気持ちをぶつけようとしても。
「その結界を破ったのは、母親であり、修復のつかないことになってしまったのだ」
と感じた。
母親は、自分では、そんな結界を破ったとは思っていない。それよりも、
「一定の話を、これ以上、踏み込まないようにするには、強引にでも、話の矛先を変える必要がある」
と思っているのだろうが、ここまでくれば、話の矛先どころか、会話をするのも嫌なくらいになり、
「はっ」
と感じた時には、その次の瞬間。
「夢か」
と静かな寝床で我に返るのだった。
「よかった。夢から覚めた」
というのが、まさにその通りで。
「覚めた夢」
を思い出したくもないのに、どこかの記憶に残そうとしている自分を感じ、嫌になるということが、今までにも結構あった。
夢に見た探偵小説というのは、