「三すくみ」と「自己犠牲」
両家は、江戸時代、さらに、明治、大正、さらに、昭和の敗戦まで。
という時期は、
「決められた伝統を守ったからか、うまく運営できていた」
と言えるだろう。
要するに、明治以降は、
「大日本帝国」
という、
「立憲君主国」
という政治体制においてだった。
幕府がなくなると、献上するところがなくなってしまい、
「それまでの特権階級が、なくなってしまうのでは?」
と懸念された。
何と言っても、それまで、武士の時代だったことから、最終的に、武士も、
「士農工商」
という身分制度も撤廃し、
「立憲君主」
という国の体制を作り上げたのだから、その道筋は、かなりのいばらの道だったに違いない。
時代は、帝国主義の植民地時代。
欧州列強は、
「どうやって、アジアでの派遣を握るか?」
ということを考え、日本だって、うかうかしてはいられないということを、明治の元勲は分かっていた。
「とにかく、諸外国に追いつけ、追い越せで、そうなった時点で、屈辱的な、不平等条約を何とかしなければならなかった」
ということである。
それでも、この時代でも、献上品の制度は密かに続いていたようで、しかも、
「江戸時代には、幕府へ献上問屋」
という肩書があるおかげで、売り上げもそこそこあったことで、それ以降も、老舗の名に恥じぬ、功績を残したということで、その力は、揺るぎのないものだった。
そんな時代、今度は献上先が、軍になった。
それまでは、
「幕府御用達」
だったものが、今度は、
「陸軍御用達」
「海軍御用達」
ということになったのだ。
他の県の御用達も、それぞれの地域に拠点を置く、軍の支部、師団にそれぞれ献上することになった。
それは、K市においても、同じことであったのだ。
当時の日本は、
「国力を上げる」
という目的の元、
「富国強兵」
「殖産興業」
などというスローガンのもとに、帝国を、そして、帝国軍を強く、さらに、富ませるということを目標にしたのだ。
もちろん、国を富ませるには、産業が充実していないといけない。そして、国が富むことで、兵力を整え、外国が侵略してこないほどの軍を育成し、次第に近代国家としての様相を呈してくることになるのだった。
最終的には、外国から一方的に押し付けられた、
「不平等条約を撤廃させる」
というのが、最終目標だったのだ。
だから、明治初期には、
「鹿鳴館」
などという、迎賓館を造り、そこで毎日のように、国賓をもてなすような振る舞いをしていた。
すべてを静養に彩ってはいるが、来賓の中には、日本のことを、
「まだまだ」
と思っていて、そもそも考え方が、
「野蛮」
と思えたのもありなのだろう。
そもそも、諸外国の住民たちは、
「日本などという国は知らない」
と言っていただろう。
確かに、わざわざ教育で日本を取り上げることはない。
日本だって、イギリスやアメリカがどれだけ超大国であっても、その歴史までというと、ほとんど知らないと言ってもよかった。
今でも教育を受けているとはいえ、中途半端な知識しかないだろう。その時代であれば、まだまだ教育が行き届いていないどころか、その国に長く滞在していなければ分からないことであろう。
だから、諸外国が、日本のような豆粒のような国を、いちいち気にするというものだろうか。
世界のほとんどの人は、
「日本? 何それ?」
と思っていたことだろう。
だからこそ、戦後になって、民主国家となってからも、
「日本人は、ちょんまげを結い、腰に刀を下げている国で、カメラを首から下げている出っ歯な国民」
という印象が芽吹いていただろう。
さらに、日本というものは、
「ハラキリ」
「カミカゼ」
などという、
「自己犠牲」
が強い国だと認識されていることだろう。
だからと言って、
「敬意を表している」
というわけではない・-。
「何て、野蛮な国なんだ?」
と思っているのではないだろうか。
今の日本人だって、イスラム過激派などが行っている
「自爆テロ」
などを見ると、果たしてどう思うだろうか?
何かの目的にために、皆必死になって戦っているわけで、自分が自爆テロをしても、
「この世で報われることもなかったので、組織に入隊したということなのだから、最後まで報われることもなく、散っていった」
ということである。
冷静に考えれば、自爆テロをしたことで、自分が報われるわけではない。
「社会が変わって、イスラムの人が爆発的に、生活がよくなるわけでも、迫害を受けることがなくなるわけでも、何でもない」
いくら、
「祖国のため」
と言っても、結果は、相手国の罪もない一般住民を、数人殺すというだけのものでしかないということである。
「そんな自爆テロというのは、日本のハラキリとは精神が違うが、カミカゼとも違っている」
と言える。
ハラキリは、自分が法度に背いたことで、その規律を守るために、覚悟を決めて死を選ぶということであるが、そもそも、その法律が効力がどこまで及ぶかということなのだが、基本的に、
「人に迷惑を掛ける」
ということはないだろう
では、
「カミカゼ」
の場合はどうであろう?
戦争に勝利するという意味で、最後の手段として行われるのが、
「カミカゼ特攻隊」
と呼ばれるものだった。
そもそも、この時の、
「大東亜戦争」
というものは、真珠湾において、アメリカ側が、
「騙し討ち」
などとほざいているが、実際には、アメリカの策略ではなかったか。
そもそも、
「ヨーロッパの戦争に協力してほしい」
と言うチャーチルの言葉を聞いておきながら、実際には、
「開戦に持っていくには、議会の賛成が必要だったが、なぜヨーロッパの戦争にアメリカが介入しなければいけないのかということが根底にあったのだ」
と言えるだろう。
「アメリカは遠い国なので、ナチスドイツの勢力が拡大しても、アメリカには関係ないという意味で、国民感情として存在したイデオロギーである、モンロー主義が寝強く残っていたのだ」
と言えるのだ。
だから、アメリカは、日本を攻撃させておいて、日本に戦闘状態にあるということは、同盟国である、ドイツに対しての、
「宣戦布告」
であることに変わりないのだった。
だから、日本からすれば、
「アメリカの都合に合わせて、ヨーロッパ参戦のための、欺瞞だった」
と言っても過言ではないだろう。
だから、宣戦布告は、
「アメリカによって、わざと妨害され」、
アメリカにとっても、大義名分を与えたことで、アメリカは、
「いい国」
ということにない、日本は引き釣り出されたということで、
「悪役」
になってしまったのだ。
だから、日本は、本来なら、普通に戦争をしていたのに、アメリカは、自国の都合のために、日本を利用した。
それは、
「飛んで火に入る夏の虫」
ということで、最初だけは、日本有利だったが、最終的には、日本のほとんどが焦土となり、
「組織的イな戦闘は、すでに終わってしまっていた」
ということで、
「爆弾を積んで敵機に突っ込む」
という決死の作戦を行うしかなかったのだ。
作品名:「三すくみ」と「自己犠牲」 作家名:森本晃次