「三すくみ」と「自己犠牲」
「次の瞬間には、無限の可能性が広がっている」
という命題から、ロボットが考えがまとまらず動けなくなってしまうということから、
「じゃあ、無限にある可能性を、パターンでパッケージ化すればいいんじゃないか?」
という発想なのだが、考えてみれば、
「無限から何を割っても、無限にしかならないので、パッケージ化するのも無理がある」
という問題をフレーム問題だというのだ。
しかし、これを、歴史学のように、
「その答えとなる瞬間だけ分からないのであれば、そこに行き着くまでの発想を感性で結び付けたりすると、前を、前提としての、時系列と考え、未来に起こることを結果として捉えるとすれば、そっちのモノの見方をする」
ということで、
「時系列と結果という発想から、フレーム問題を解決できるのではないか?」
という発想であるが。果たしてどうなのだろうか?
ということであった。
確かに、
「フレーム問題」
というのは、すべてを、
「無限」
と考えるから難しいのであって、無限という言葉にだって、有限の部分があるのではないか。
つまりは、
「無限の中の有限」
さらには、
「有限の中の無限」
という、ある種の、
「限りなく何かに近いもの」
という発想にいきつくのではないだろうか?
そんな街において、老舗商店街の中に、
「お菓子屋さん」
と、
「酒屋さん:
があった。
それぞれに、旧家ということで、江戸に収める献上品を、それぞれ、この店で作っていたということである、
これだけ大きな城下町だと、お菓子屋にしても、酒屋にしても、いくつも店がある、
大体は、最初に決めればその店が、
「天下の献上品」
ということで、いつも同じ店が行うというのが、当たり前になっていた。
だから、ここも、この両家が、昔から収めることになっていたのだが、この藩は、一つに決めたら、ずっとその店ということではなかったようだ。
機関がどれくらいだったのかは分からないが、数年に一度か、十数年に一度かくらいの割合で、
「コンクール」
のようなものが行われ、そこで、献上品が決められるという。
そう聞くと、
「何かきな臭いものがあるのでは?」
と誰もが思うだろう。
確かにそういうものもあったかも知れないが、基本的には、
「他の店にもチャンスを」
ということで、そのチャンスが回ってくることで、
「城下町の活性化につながる」
と言えるのではないか。
それが、名目ではあったが、やはり、
「贈収賄」
という問題がどうしてもあることは、
「暗黙の了解」
と言ってもいいだろう、
領主が、どのような考え何か分からないが、ここの城下町では、
「初代藩主から、行われていた」
ということなので、贈収賄というわけではなかっただろう。
しかし、途中からわいろを受け取るなどということはあったかも知れない。そのあたりはよく分からなかった。
ただ、一つ言えることは、他のミソであったり、醤油などの産業は、ちょくちょく店が変わっていたようだが、
「お菓子屋さん」
と
「酒屋さん」
に限っては変わったりはしていないということであった。
それだけ、
「店が大きく、他の追随を許さない」
というほどだったのか、
「賄賂がすごかったのか?」
と言えるだろうが、どちらにしても、
「金がなければ、どうなるものではない」
と言えるだろう。
それを考えると、
「ここの産業は、お菓子と、酒だったのか?」
と思われるが、そうではない。
ということは、やはり、この二軒は、他の追随を許さないほどだったに違いないということであろう。
おかげで、今のずっと続いてきていて、明治期の混乱、戦後の混乱を何とか抜けてきて、今では実に珍しい。
「江戸時代から続く老舗」
となっていたのだ。
「創業百年以上」
などという店は、全国でも珍しい。
それだけでも、大変な店に違いないのだ。
その二つの店において、
「どちらが先に開業したのか?」
ということにおいては、正直、今ではハッキリとしない。
というよりも、諸説あるようだ。
正直、そんなことは、別にどうでもいいことのようなのだが、今の両家の間では、深刻な問題になっているようだ。
最初は、仲よくやっていたのだという。同じ時期に同じように、幕府に献上する品を作っていた。それも、自分のところと同じように作っていたので、
「自分のところができても、相手ができていない」
逆に、
「相手ができているが、自分たちができていない」
などということは、許されない。
どちらもできてこその献上品なのだ。
それくらいのことは、二人とも分かっていることだろう。
それを思うと、
「仲たがいなどできるわけはない」
ということであった。
「お互いに助け合わないと、お互いに生き残ることができない」
というもので、両家は、どこかからか、お互いに子供たちが、それぞれ、
「許嫁」
ということで、生まれた時から、その運命は決まっていたといってもいいだろう。
だが、子供が、どう都合よく、結婚できるわけもなかった。お互いの子供が、
「男ばっかり」
だったり、
「男の子が生まれない」
などということもなかったわけではない。
仕方なく、用紙を取って、その子と結婚させるというようなことも行われてきた。
基本的には、男の子のところに、女性が、
「嫁入り」
ということになるが、
「三代以上、続くという時は、三代目は、女性側の家に入るということを、両家の規則としていた」
というのも、
「一つの家に子孫が集中してしまうと、パワーバランスが崩れる」
ということがあるのを懸念してのことだった。
だから、
「男の子に恵まれなかった時は、養子をとるか、女の子を当主にするか、それはどちらでもいい」
ということであった。
「婿養子を迎えて、養子を当主にする」
ということも最初はあったようだが、血のつながりを考えると、
「養子では、頼りない」
ともいえるのだ。
そもそも冷静に考えると、
「男の子ではないといけない」
というわけではない。
「武士だというわけではあないので、絶対に男子でないといけない」
ということもない。
そもそも、戦国時代などでは、
「おんな城主」
などというのも、多かったではないか。だから、
「当主は絶対に男でなければいけない」
ということはない。
むしろ、女性であっても、家系を世襲しているのであれば、
「立派な跡取りだ」
と言ってもいいだろう。
だから、嫁に行くのも、長女であっても、次女であっても、もっといえば、数人姉妹の末っ子であってもかまわない。両家の話し合いいよって決まるのだから、何も問題はないということであった。
そんな両家であったが、江戸時代は、実に平和に営めたようだった。
何しろ、幕府による締め付けがあったが、その代わり、天下泰平の世であったのは間違いない。
「決められたことをしてさえいれば、平和に過ごすことができ、幸い、幕府の存命の時には、献上品は、滞りなく、納めることができた」
ということであった。
作品名:「三すくみ」と「自己犠牲」 作家名:森本晃次