「三すくみ」と「自己犠牲」
と言ってもいいかも知れない。
というのも、この時代には、
その少し前が、
「高度成長期が続いているが、その裏で、社会問題も起こってきている」
というのが、見えてきた時代だった。
「誰も想像がつかなかったのか?」
とも感じる時代で、その大きな問題というのは、
「公害問題」
と言われるものだった。
その公害問題というと、工場からの排水であったり、煙突からの煤煙であったり、それによって、身体に変調をきたす人も多く、さらには、生まれてくる子供が、正常ではない状態で生まれてくるなどの問題があった。
中には、
「予見できたはずなのに、分かっていて、排水を流していた」
という、
「確信犯」
のところもあった。
たぶん、
「どうせ、因果関係を証明できないと、罰することはできない」
とタカをくくっていたのだろうが、分かってしまうと、もうどうしようもなくなることであろう。
何と言っても、ここまでの社会問題なのだ。社会的にも、大きな問題として、
社会では、
「被害者集団訴訟」
というものが巻き起こり、
「数十年に渡って、裁判が続く」
ということになる。
その間に、被害者は増え続けることになり、
「これ以上のひどいとはない」
という、
「昭和時代の汚点」
といってもいい状態になっていたのだった。
そんな時代において、当時小学生だった男の子がいるのだが、その子は、喘息を患っていた。
実際には、喘息だけだったので、それほどひどくもなかったので、
「定期的な病院への通院」
ということで、何とかなっていたのだった。
ただ、本人が、意識していなかっただけで、どうも、精神疾患のようなものがあるということだった。
その病気というのは、今の時代で言われているような、いろいろな精神疾患とよく似ているという病気であったが、実際には、
「実にごくまれな病気で、
「医者の中には、この病気をほとんど認識していない」
という人もいた。
ただ、今の時代になり、あたかも、
「最近になって発見された」
という風に実しやかに囁かれてはいるが、実際には、
「今に始まったことではなく、昔からあったことだ」
ということであった。
しかし、それをあまり大っぴらに言えないのは、
「実は、この病気が、公害が元で起こったものだ」
という論文を書いた人がいたが、
「何と学会も政府も、この論文を抹殺した」
ということを、一部で言われていた。
基本的に、
「まさかそんなことはないだろう」
ということで言われるようになったので、誰も、言わないというのか、
「緘口令」
というものが、
「暗黙の了解」
であるかのようにされたのだった。
そんな状態において、
「俺たちさえ、黙っていればいいんだ」
という、良心の呵責があるのかどうか分からないが、
「言ってしまうと、どんな目に遭わされるか分からない」
ということになってしまえば、
「もうどうすることおできないのではないか?」
ということになるのであった。
それを考えると、
「今の問題も、さかのぼれば実は昔からあった問題なのかも知れない」
ということだった。
一つ大きな問題として。分かっていることが少しだけあったのだが、それが一番厄介なことであり、
「この精神疾患は、遺伝する」
ということであった。
しかも、
「なんと、まるで風邪のように、相手に移せば、移した方は、治ってしまう」
ということであった。
だから、
「移せば勝ち」
ということであり、移さないと、下手をすれば、
「遺伝で子供にその症状が出る」
ということであった。
しかし、この時の遺伝で移った場合は、父親が治るということではない。
あくまでも、外部え移った場合だけ治るというもので、そのあたりが、矛盾しているようで、
「摩訶不思議な病気だ」
と言われるゆになったのだった。
その病気は、
「突然変異」
と言われるようになった。
「伝染病」
であり、遺伝するということは分かっているのだが、外部で伝染するのは、
「何をすると伝染するのか?」
ということは、解明されていなかった。
致死率の高い、
「恐怖の病気」
と言われているあの病気であれば、
「体液感染」
と言われている。
「性行為であったり、血液感染などでしか感染しない」
ということが分かっていれば、対策はハッキリと分かるのだが、性病などのように、性行為だけではなく、
「銭湯でも感染する」
と言われるものは、本当に用心しないといけないということになるのだ。
「空気感染する」
という病気は、この間の、
「世界的なパンデミック」
のように、マスクや、消毒などで対策を取るしかないということだ。
しかも、隔離が必須で、感染者が増えてくると、パニックとなり、
「医療崩壊」
というものが流行ってきて、
「受け入れ病院がないので、救急車の中で、死を迎える」
ということが、どんどん増えてくることになるのだ。
それでも政府の政策のひどさから、患者は減ることもなく、ひどい状況になり、最後には、
「自分の命は自分で守ってください」
と言わんばかりの対策で、匙を投げた状態になったではないか。
これらの病気が、伝染病による
「精神疾患だ」
ということになった時、研究者たちが、まず最初に取り組んだのが、
「いつから、この病気が流行り出したのか?」
という情報収集だった。
「いつから流行り出したのかなどということは、関係ないではないか?」
という人もいるかも知れないが、それは大きな間違いである。
というのは、
「いつから流行り出したのかということを探っていけば、そこから行き着いた時代の近辺で、伝染病が早く土壌がどこかにあったはずなので、もっといえば、下手をすれば、まだ見えていない他の病気も影響しているのではないか?」
ということが言えるのではないかと考えられるのではないだろうか。
それを思うと、
「時代をさかのぼるということをいかに考えるかということであるが、基本的には、すべての襄王が開示されている」
ということになるのではないか?
ということである。
ただ、逆にいえば、実際には、過去の歴史というものを使いこなせていないことで、
「ちゃんとわかっていれば、すべてのことが分かったのではないか?」
という発想になるのではないかと言えるだろう、
逆にいえば、
「過去において、そのある地点よりも前の歴史は、過去になる」
もっといえば、歴史というのは、すべてが時系列で繋がっていて、途中の時代に分からないことがあったとしても、過去から続いてきた歴史と、その結果として出てきたことも、歴史の一ページだと考えると、
「原因と結果があるのだから、経過を創造するのくらいは、難しいことではない」
と言えるのではないだろうか?
それが繋がれば、タイムパラドックスであったり、
「ロボット問題における、フレーム問題も解決することができるのではないだろうか?」
と言えるのである。
フレーム問題というのは、ロボットの人工知能が、一つのことを考える時、果てしなく考えて動けなくなることを解消する発想で、
作品名:「三すくみ」と「自己犠牲」 作家名:森本晃次