「三すくみ」と「自己犠牲」
で片付けられているので、無理もないことなのだろう。
そんな、
「勝者の理論」
というものを、うまく利用しないと、当時の、
「東西冷戦」
へと結びつかないだろう。
特に日本の場合は、他の国と違った特殊な事情があった。
というのが、
「天皇制」
というものであった。
これは、同じ、
「枢軸国」
の中にあって、ドイツ、イタリアとは、まったく違った国家体制であった。
連合国に攻めこまれ、当時の政府に反旗を翻し、最終的に、独裁者であったムッソリーニを処刑したイタリア人であったり、独裁者が自殺したことで、首都が解放されたとして、占領軍を歓迎したりというドイツと違い、日本の場合は、どんなに本土が爆撃され、原爆が落とされようとも、
「天皇陛下に対しては、忠誠を誓う」
という態度に変わりはなかったといえるのだ。
そうなると、戦後の軍事裁判では、
「ドイツと日本」
において、まったく違った様相を呈するのは、当たり前のことではないだろうか?
ドイツの場合は、元凶であった、アドルフヒトラーが自害して、裁かれることはないので、下手をすれば、
「すべてヒトラーのせい」
という形での、被告側の言い分となるだろう。
しかし、日本の場合は、法廷に上がった被告というのは、一律に、
「天皇に戦争責任はない」
と言って、
「責任は自分たちにある」
という、言い訳はほとんどしないという潔さがあった。
もっとも、内大臣などは、
「天皇に責任はない」
ということを徹底させたいということで、責任を政府に押し付けようという趣旨はあっただろう。
これを軍にしてしまうとややこしい。
なぜなら、大日本帝国下において、
「軍というのは、天皇直轄の、統帥権の下にある」
ということなので、
「軍の責任は、そのまま天皇の責任にされかねないからだ」
そうなると、政府を悪者にして、天皇を救おうとするのは当たり前のことだろう。
今でも、
「天皇の戦争責任について」
という議論があってもおかしくないほどに、実に難しい問題であることには違いないのであった。
アジア諸国を、
「西洋列強から切り離し、アジアの新秩序を建設する」
というスローガンは、実に立派なものだ。
しかし、そのためには、まずは、欧米列強の勢力をアジアから一掃する必要がある。
そのために、日本は、欧米列強を相手に、
「無謀な戦争」
に突っ込んだのだ。
最初は、政府も軍も、
「叶うわけはない」
と、誰もが思っていて、それでも、
「石油輸出の全面禁止」
であったり、
「ABCD包囲網」
などという、明らかな経済制裁を受けていたわけで、しかも、その解除の条件として、
「中国大陸からの全面撤退」
つまりは、
「満州国も未承認」
ということに合意しないといけないということだった。
これが、併合済みである、朝鮮半島に対してもであれば、
「日本は、明治維新の状態に戻ることになる」
ということになるのだ。
こうなってしまうと、前述の、満州事変を起こさなければいけなくなった理由が大きくのしかかってきて、とてもではないが、容認できるものではない。
昭和の頃に、大東亜戦争前夜の話を、映画化した作品が結構あったが、
「史実に則った」
と言ってもいい内容の話であるが、なぜか、
「経済制裁」
において、それを解消するために、
「明治維新の状態に戻ってしまう」
という会話はあるのだが、
「明治維新の状態に戻ると、日本がどうなるのか?」
ということを説明することは一切ない。
「映画の尺の問題だ」
といわれてしまうと、その通りなのかも知れないが、だからと言って、明治維新の状態になることで、日本がどのように追い詰められるのか? ということを説明しないと、
「なぜ、戦争に突入しなければいけなかったのか?」
ということの問題に入り込めない。
だから、日本は、
「勝ち目のない無謀な戦争に、どうして突入したのか?」
ということになり。
「政府や軍がアメリカの国力をまったく知らないような、お花畑にいたということなのだろうか?」
ということになって、
「日本政府が悪い」
ということで、
「亡国の原因は、すべて、政府と軍」
ということになるだろう。
だから、
「そんな連中が祀られている靖国神社への政府によるお参りは、許されない」
ということになるのだろう。
当然、アジア諸国からは、総ブーイングとなることは分かっている。
そんな状態で、どの政治家が参拝にいくというのだろう?
ただ、当時の世界情勢の中で、
「戦争に突入しなければいけないのは、分かり切ったことだった」
と言えるだろう、
日本が、世界を無視して、自国だけで運営できないことは分かり切っていた。
せっかく手に入れた満州国であったが、最初は、石油などの天然資源も、食糧確保と一緒に見込んだはずだったが、あまりにも劣化したものであり、
「満州だけでは賄えない」
ということになった。
だから、東南アジアへの進出は不可欠で、
「どうせ戦争になるのであれば」
ということで、一番の目的としては、
「インドネシアの油田」
だったのだ。
だから、日本は、英米だけではなく、インドネシアの宗主国である、オランダまでも敵に回さなければならなかった。
さらに、当時戦争状態だった中国まで宣戦布告してくることになる。
当時の、
「シナ事変」
というのは、
「宣戦布告なき、戦闘状態」
だった。
元々が、
「突発的な小競り合い」
から起こった戦争であったということもあったが、
最初の戦争状態になってから、両国とも、宣戦布告をしないことを、
「よし」
としていたのだ。
というのも、そもそも、宣戦布告というのは、
「諸外国に戦闘状態を知らせて、その対応を国家としてあからさまにする必要がある」
ということであった。
つまりは、
「どちらかの国に加担する」
あるいは、
「中立を宣言する」
ということで、対応が違ってくるからだ。
「どちらかに加担すると、当然、相手国に対して、宣戦布告に近い形になる」
ということであるし、
「経済的にも政治的にも、戦争に加担する必要性がない時は、中立を宣言することになる」
中立を宣言すると、戦争をしている国が手を出すことができない。
間違っても中立国を攻撃して、被害を与えてしまうと、国際的批判が大いに集まることだろう。
しかも、中立宣言をした国は、今度は、
「どちらかの国に、優位になるようなことをしてはいけない」
ということになる。
つまり、金銭や武器の供与などがそうであり、そういう意味でいけば、今の日本は、この中立という状態を軽視しているところがあるのだ。
「中央アジアからヨーロッパに掛けての国が、超大国から攻め込まれた」
という名目で始まった戦争があるが、
「憲法9条」
を有し、
「専守防衛しかできない」
という我が国において、片方の国には、
「金銭の譲渡」
であったり、あってはいけないはずの、
「武器供与」
までしているではないか。
しかも、相手国に対しては、他の国にならって、何と、
「経済制裁」
をしている。
作品名:「三すくみ」と「自己犠牲」 作家名:森本晃次