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広義の意味による研究

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 勉強はあくまでも、受験などという、ハッキリとした答えが得られることに対しての結果がついてくるものであるが、執筆というのは、どちらかというと、答えが分からない。目標としているところがあくまでも通過点であったり、前述の分岐点になるところであったりと、曖昧なところが多い。それでも、その曖昧さがいずれ大きな目標に達した時感じられる喜びや達成感というのがどういうものなのかと考えてしまう。
 そもそも、その目標というのがどこにあって、達成できるものなのかというのも曖昧である。
 自分に達成できる最終ラインを目標とするのか、それとも、到底達成できることのない、夢物語となるところを達成と考えるかによって、モチベーションも変わってくるし、難しいところでもある。
 しかし、目標とするのは、やはり、
「自分にできるところまで」
 というのが、まずは大切なのだろうと思う。
 スポーツでいえば、学生時代に全国大会に出れるのを夢と考えるか、その後の、プロという目標を考えるかで、大きく変わってくる。
 物語になるとすれば、後者なのだろうが、自分が果たしてプロを目指すものなのかというところも、自分の技量を考慮に入れるという冷静な目も必要であろう。
 何でもかんでも、昔のスポコンマンガのような、昭和の泥臭さをマンガの世界として見てきた世代には、どうしても、プロを目標とするだろう。
 また、それくらいの気概内ないと、スポーツを志す資格がないなどという古臭い考えも、ある意味昭和の悪しき伝統のようなものだといえるのではないだろうか。
 特に今に時代は、コンプライアンスの問題とかも大きく、体育会系の部活でも、昔であれば、当然ともいえるような、しごきであったり、体罰など、今ではありえないこととなっている。
 特に、強豪のチームになればなるほど、監督の命令は絶対で、
「勝つという目的のためなら、どんな命令でも聞かなければいけない」
 と言った、軍隊方式と言われるようなものが、いまだに伝統として横行しているところもある。
「スポーツに軍隊方式など、愚の骨頂である」
 と思っている作者にとって、そんなニュースを聞くたびに、苛立ちを覚えるのであった。
 考えてみれば、スポーツの世界で、昔から言われていた定説というものが、科学が発展するにしたがって。
「あの定説は大きな間違いだった」
 というものも結構あるではないか。
 特に、
「練習中など、どんなに喉が渇いても、水を飲んではいけない」
 といわれる定説があった。
 それは、水を飲むとバテるというのが、その理由だった。
 しかし、今では、逆に、
「水分補給は定期的に行わなければいけない」
 と言われるようになった。
 貧血や、脱水症状などの生徒が増えてきたのが原因である。
 また、もう一つ、
「朝礼などで、先生の説話が長いことで、貧血などで倒れる生徒が増えた」
 という問題があった。
 最初の頃は、
「ひ弱な生徒が増えた」
 などと言われていたが、今は気象状況が、昔とは変わってきている。
 夏などの最高気温は、昔は三十三度くらいで本当に高温と言われてきたが、今では平気で三十五度を超えてくる。下手をすれば、四十度の時もあるくらいで、一日のうちで。最低気温が三十度を下回らないなどという、信じられないような状況もあったりした。
 そんな状態で、貧血にならない方がおかしいというもので、それを精神論で乗り切ろうなどという考えは、まさに拷問であり、昭和の思想の滅亡を早めたといってもいいだろう。
 それだけ、昭和と今の令和の時代には違いがあり、あまりにもコンプライアンスが叫ばれ続けて、何でもかんでも、コンプライアンス違反として、これまで虐げられてきた人が、逆に力を持つというのも、実は怖いものだったりするのだ。

                 曖昧な第六感

 小説を書けるようになった分岐点、そして、長編を書けるようになった分岐点、それぞれにあったが、短編が書けるようになってから、十数年、そして、中長編を書き始めてからの、約八年くらいの、執筆人生もそろそろ二十年を突破してきた。これは実際に作品として、パソコンという形で残すようになってからであって、それまで、本当にノートに書きなぐった時期のものは入っているわけではない。
 もっとも、手書きだったので、おのずとその日に書ける内容には限界がある、たぶん、原稿用紙でいえば、一日の執筆量は、五枚くらいが限界だっただろう。
 実際にそれくらいしか書けていなかったし、それくらいの量では、たかが知れている。その頃は恥ずかしくて、
「趣味で小説を書いている」
 などと言えない時期だった。実に細々とやっていた時期で、ある意味、一番楽しかった時期かも知れない。
「有名作家になったら、どうしよう?」
 などという、今では考えられないような妄想もしていた時期だったからだ。
 今ではさすがにこの年齢にもなり、
「プロになりたい」
 などという思いも、とっくの昔になくなってしまった。
「プロになれば、主導権は出版社に移り、好きなものを好き勝手には書けない」
 という思いがあるのと、
「プレッシャーを感じながら書きたくもない」
 という思いがあるからだ。
 今こうやって、
「質よりも量だ」
 と言っていられるのも、アマチュア作家として、二十年以上君臨し、自分だけでひそかに咲いていたという意識があるからだ。
 プレッシャーのないことが、量を重ねるということに、これほどの貢献があるとは本当に思っていなかったといってもいいだろう。
 令和三年十一月時点で、今年の中編作品は、すでにこの作品が五十六作品目である。中編を書き始めてから、最高でも年間が十九作品だったものが、昨年の後半から、今までの執筆時間を、一時間から二時間というのがほとんどで、一週間に一日くらいは、ほとんど書かない日があったにも関わらず、昨年の後半からは、それを、平均で約一日の中の四時間を使うようになった。
 しかも、ほぼ毎日のことである。
 そういう意味では、十一月の時点で、五十五作品完成は自分でもすごいことだと思う。普通の文庫本にすると、二十八冊になるという計算だからである。
 少し、自慢のようになってしまったが、今まで自分のことを作者が作品に書くということはなかっただけに、新しい試みとして、それなりに面白いと思い書いていると、自慢のようになるというのも、無理もないのではないかと思うようになった。
 実際に。ちょうどこれくらいが、今までの短編一作品くらいになるだろうか。それを思うと、何か感慨深いところもあるような気がするが、たまにはいいかも知れないと思っている。
 さて、いよいよ本題に入っていこうと思うのだが、ここまでの話を忘れていただいても一向にかまわないと思うが、ひょっとすると、どこかに伏線のようなものがあるかも知れないとも思うが、まだそこまで作者は考えが詳細になっているわけではないので、何とも言えない。その評価をするのは、最後まで読み終わった、
「読者の皆様」
 ということになる。
作品名:広義の意味による研究 作家名:森本晃次