広義の意味による研究
就職活動をするようになって、疎遠になってしまったことで、自然消滅のような形での別れになってしまったが、別れてからというもの、
「どうして、あんな人と付き合っていたんだろう?」
と感じたのを思い出した。
その時感じたのは、
「私は彼への依存度が高かったのかも知れないわ」
ということであった。
彼に対しての委ねる気持ちが強かったのだが、どうしてなのか、自分でも分からない。ただ、別れてしまうと、不安しか残らないことが怖かったのだ。
だが、就職活動をしていると、実際にそれどころではなくなっていて、実際に、彼氏どころではないというのが本音だった。
彼の方も、就活がうまくいっておらず、自分のことで精いっぱいで、あすみのことを気にすることなどなかった。
却って解放されたような気がしたくらいで、その時に、
「私は依存症のところがあるのかも知れない」
と感じたのだった。
実際に、別れてかれ、未練などはなかった。
どちらかというと彼の方が未練を持っているようで、別れてからも、時々連絡をよこしてきたが、一度我に返ったあすみには、もう彼に対しての依存心は一切なく、冷めた気持ちになっていたのだ。
だが、
「不安が募ってくれば、何かに依存してしまう性格」
ということだと思うようになり、就職してから、五年経ったあたりから、急に何かに不安を感じるようになっていた。
仕事は、それなりにこなしていたが、同期入社の女の子たちは、寿退社や、何かの事情で退社していったが、あすみは、会社にしがみついているという感じだった。
それほど、仕事に情熱があったわけではなく、
「会社を辞めてしまうと、もう、自分で自分を支えることができなくなるような気がしてきた」
と思っていたのだ。
そのうちに、言い知れぬ不安がこみあげてきて、
「何かに依存しないと、このままでは、まずいわ」
と思うようになった。
買い物もしてみたが、楽しくもなかった。そう思っていると、ふと立ち寄ったパチンコ屋でやってみたパチンコが結構楽しかった。
「二時間で、一万円も勝っちゃった」
ということで、いわゆる、
「ビギナーズラック」
だったのだろうが、勝てたことで、嵌ってしまったのだ。
パチンコをやっていて、最初は別に何も考えていたわけではない、
「ただ、面白い」
あるいは、
「時間を忘れさせてくれる」
というだけのもので、ここまで嵌ってしまうとは思ってもみなかった。
本屋にいけば、雑誌コーナーには、パチンコの攻略本などというのが、結構打っていた。ふと面白そうなので、買って読んでみたが、内容は、話題の機種のスペックであったり、演出の紹介であったり、あるいは、パチンコライターと呼ばれる人たちの、実践によるその台の面白さなどが書かれている。
ただ、問題は楽しいだけのものではなく、パチンコだってギャンブル性のある遊戯なのだから、勝つ時もあれば、負ける時もある。
重要なのは、いかにそれを見極めて、
「やめ時」
を探るかということであった。
何にしても、やめ時の見極めは大切である。世の中には、
「始めることよりも、やめることの方が数倍難しい」
と言われることがたくさんある、
その有名なところで、
「戦争と、結婚ではないか?」
と思うのだった。
戦争は特に相手が強大で、戦争を起こすことすら無謀な相手であっても、どうしても戦争をしなければいけない場合、考えることとすれば、
「まず最初に、奇襲攻撃などを行って、緒戦で相手を叩いておいて、相手の戦意を喪失させながら、こちらの主導権を奪う。制空権、制海権を握ることは必須であろう。そして、そのまま緒戦で勝利を続けていき、頃合いを見計らって、和平に持ち込む。そうすれば、一番いい条件で、和平を結んで、有利に戦争を終えることができるからである」
というのが、一番ベターな方法であろう。
その方法しか、弱小国が、世界の強大国に勝つ手はないのだ。
大東亜戦争の場合、勝ち続けるところまではよかったのだが、和平に持ち込むタイミングを逸したため、戦争継続の力もないのに、継続しなければいけなくなった。要するに、勝ち続けたことで、欲が出たのだ。
あれだけ、戦争をする前に、
「勝つにはこの方法しかない」
とあれだけ会議において決まったことであったのに、それを破るほど、今度は世論の声や、マスゴミの力が、政府や軍を盲目にさせたのだろう。
結婚にしたって、そうである。
「離婚は結婚の数倍のエネルギーを消費する」
つまり、それだけ難しいということだ。
結婚が、ポジティブなことしかないのであれば、離婚はネガティブでしかない。それでも離婚しなければいけないというのは、それだけ離婚という問題が大変だということであろう。
いろいろなことで揉めるのは当たり前のこと、財産分与。子供がいれば、親権の問題、話がこじれれば、調停であったり、最終的には裁判となる、
もっとも、その方があっさりしていて、しかも、証拠が残るから、離婚後揉めるということはないのだが、どちらにしても、時間とエネルギーを消費する。結婚してからすぐに離婚を考えたとしても、離婚までの期間はそれほど変わりはない。
新婚生活の楽しい時間よりも、離婚のための真剣な時期の方が長いというのは、何とも悲惨ではないだろうか。
ギャンブルも同じで、機種の特性を知ったうえでないと、どこでやめればいいのかということが分からないだろう。
そういう意味では、
「戦争も結婚も、ギャンブルと同じだ」
と言えるのではないだろうか。
いや、やめ時が始める時よりも難しかったり、労力を使ったりするものは、ギャンブルと同じだといっても過言ではないかも知れない。
そういう意味で、攻略本は、大切な資料だった。勉強しなければ、やみくもにお金を投資するだけで、楽しさを通り越してしまって、悲惨な目に遭ってしまうことだろう。
ただ、逆にいうと、
「攻略本でやめ時と覚えたとすると、今度はギャンブルへの怖さがなくなってきてしまうのではないか?」
とも思うようになってきた。
やはり、怖さがあるから、ある程度のところでやめることができるのであって、やめ時を本で理解しただけで、その恐怖を拭い去ったと思っていると、本をまともに信じると、それも危険である。
あくまでも、パチンコライターと呼ばれる人たちの主観であり、個人の意見であることに変わりはない。どこまで信じていいのかというのが重要だったりするのだ。
そういう意味で、あすみはパチンコにのめりこんでいった。
そして、そのことを自分で理解していなかった。そのことを依存症だと言われるということをである。
実際にパチンコをやっていると、嫌なことも忘れられるし、第一、パチンコをギャンブルだとして、毛嫌いしていた自分が、最初は、
「かなり昔のことだ」
と思っていたものが、今では、悪いことだとも思わなくなっていたのだ。
一種の、
「感覚がマヒしてきた」
というべきであろうか。
「どうせなら、パチンコに勝てるような台選びができるような、そんな勘が手に入ればいいのにな」
と感じていた。
作品名:広義の意味による研究 作家名:森本晃次