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広義の意味による研究

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「そうか、小説の内容が内容だからな」
 と感じたからではないだろうか。
 そして、小説を読み直していくうちに、二回目までは、途中でふと立ち止まるような意識が頭に芽生えても、立ち止まることなく、読み進んでいた。
 なぜなら、
「ここで立ち止まったら、自分がなぜここで立ち止まろうという気持ちになったのかが分からなくなる気がしたからじゃないかしら?」
 と思ったからだった。
 しかし、三回目はさすがに、読み込んでいくうちに、先の内容が次第に思い出されて、
「今回は立ち止まってもいいんだ」
 と思うようになり。立ち止まって考えてみることにした。
 すると、その時目を瞑って頭に浮かんできたのが、DNA細胞の図だったのだ。
 螺旋階段が交わらないように伸びているのを図にした模様は、何かを暗示させているように思うと、
「曲線であるが、交わることのない平行線」
 を感じたのだ。
 そこで思いついた言葉が、
「並行世界」
 だった。
 この言葉はどこかで聞いた言葉であるのは思い出し、並行世界というのが、何かの別名であるという意識もあった。
 しかし、それがパラレルワールドだとは最初思わなかった。なぜなら、その頃まで、パラレルワールドという言葉を、勘違いして覚えていたからだ。
「違う次元で同じ空間に存在するもう一つの世界」
 これがパラレルワールドのことなのに、
「次の瞬間に末広がりのように無限に広がる可能性」
 これを、パラレルワールドだと思っていた。
「ひょっとすると、この考えも広義の意味でのパラレルワールドなのかも知れない」
 と考えた。
 どこまでが、正しいのかあすみには分からない。
 しかし、考えてみると、この本自体が、
「広義の意味」
 というものを、考えることが本質ではなかったか。
 それを思うと、
「感と勘の違い」
 という感覚も、
「夢と現実の狭間」
 という考え方も、どちらかを広義の意味で考える必要があるということで、この言葉が頭に浮かんできたのかも知れない。
 他にもそれぞれ、
「交わることのない平行線」
 であって、前述の二つと似たものであるものが存在するとすれば、何度か読み直しているうちに、その発想をひとつづつ感じることができるのではないかと思うのだった。
 ただ、今のところ読み返しは三回目しかしていないのであった。
 三回目の読み直しをしていると、
「これ以上の読み直しをしても、新たな発見はできないかも知れない」
 と感じたのだ。
 確かに、本を読み直すと、新たな発見が、その都度あるだろう。
 しかし、読み返してみて発見があるといっても、限度がある。さすがに十回も、二十回も読み直すということはしないだろう。現実的ではないからだ。
 セリフの一言一言まで覚えるくらい読み返したとしても、新たな発見ができなければ同じことである。
 今回は三回だったが、他の本であれば、二回かも知れないし、四回かも知れない。それは本の難易度と、自分が本に立ち向かう上での、覚悟のようなものがどれほどなのかによって変わってくるだろう。
 そういう意味で、今回は、三回がちょうどよかったのだった。
 さらに一年経ってから、
「もう一度読み直してみよう」
 と思うかも知れない。
 しかし。sの時に新たな発見ができそうな気もしない。もし読むのであれば、この先生の違う本を読むことになるか、あるいは別の心理学の先生の本を読むのではないかと思うような気がした。
 小説というものを読む場合と、ハウツーものを読む場合とでは、読み方が変わってくる。ハウツー本は後から読み直すとしても、普通は、頭から読み直すということはあまりない。自分が気になっている部分を、切り取る形で読み返すようになるので、頭から読み直すということはあまりない。
 小説のように、起承転結になっていないからだというのが理由だが、この本は小説のように、起承転結になっている。
 しかも、理論を時系列のようにして並べているので、ある意味、切り取って見るには、ふさわしくない本だといえるだろう。
 明らかに小説ではないのだが、
「限りなく小説に近い」
 という意味で、読み返している。
 そして、この小説を頭から読み直す意義という意味で、一番感じたのは
「広義の意味」
 という内容が含まれていることであった。
 それぞれの章で、それぞれの考え方を述べているが、理解しやすいものから並べているのだが、実は二番目が一番理解しにくいもののように読めるのだ。
 本当は自分が言いたい一番最後が難しいのだが、二番目に、最初の話の反論のような形で載せているので、順序としてはしょうがないところがあるだろう。
 それでも、時系列のような感覚があるように感じられるのは、理論で攻めていくと、この形にしかならないからだろう。
 そして、第一砲と第二章のあいだの共通点は、
「広義の意味で考える」
 ということであった。
 考え方を広げることで、比較対象を含んでしまうというものであるが、この理屈がなかなか理解できずに、読み返したといっても過言ではないだろう。
 そして、読み直しが三回目に至った時、
「夢と現実の狭間」
 という発想が思いついたのだ。
 その時に、先生の本である、
「感と勘について」
 という本で、それらの違いについてを考えた時、
「夢と現実の狭間」
 とは明らかな違いを発見した。
 それが、、
「鏡とガラスの関係」
 であり、まるで、マジックミラーのようになっている状況を創造したからであった。
 マジックミラーのように、どちらからしか見えないという発想は、
「感と勘」
 の間にはない。
 そこにあるのは、永遠に自分の姿が映り続けるという、鏡の特性のようなものであった。
 三回読み直して、その発想にやっと行きついた時、
「もうこれ以上読み直しても、あまり意味はない」
 というようなことを思ったのだった。

                 大団円

 あすみは、最近になって、急に結婚願望が出てきた。その理由は、
「自分は、依存症のところがある」
 と思い始めたからだった。
 寂しさには、さほど苦痛を感じないが、時々、我慢ができないことがあるという。何に我慢ができないのか、その時々で違っているのだが、欲求不満から来るものであることは分かっていた。
 承認欲求によるものなのか、それとも、物理的な欲求なのか、それとも、肉体的な欲求なのか、とにかく、その原因は、
「不安にあるのだろう」
 と感じたのだ。
「感と勘について」
 という本に興味を持ったのも、そんな不安から何かを感じたのかも知れない。
 今までであれば、小説などの文庫本を読むことはあっても、ハウツー本などはありえなかった。
 それは、大学時代に付き合っていた男性が、結構なインテリで、よくハウツー本を勧められたからだった。
 それ以外のことはさほど嫌な気がしなかったのだが、ハウツー本を勧めてくるのだけは、勘弁してほしかった。そのために、
「何度別れようと思ったことか」
 と思ったが、結局、ズルズル付き合っている感じだった。
作品名:広義の意味による研究 作家名:森本晃次