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広義の意味による研究

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 それは、ヤマカンのような、あてずっぽうではない、実績や事実に基づいた理論からの勘である。
 それは、いわゆる。
「感」
 というものではないかという思いもないわけではなかった。
 それが、この間本屋の、
「今月のベストセラー」
 で見た、
「感と勘について」
 という本だったのだ。
 あの日も、本当は雑誌コーナーのパチンコ攻略本のコーナーを目的に行ったのだ。
 最初に、攻略本を探した後、他のコーナーも見てみて、そこにあったのが、この本だったのだが、あくまでも、ただの興味本位であったことに変わりはなかった。
 確かに、やめ時などのことを考えると、感や勘というものに頼る必要もある。
 ただ、やめ時を考えなくてもいいくらいに、爆発する台を選びさえすれば、別にそれほど神経をとがらせることもないだろう。
 しかし、最近の台というのは、以前に比べて、遊びやすくなっている割には、爆発的に出る台というのも、少なくなってきた。
 最高出玉もある程度抑えられていて、ゲーム性も、当たりやすくなっているというわりに、それほど出ないのだから、昔からのファンからすれば、物足りなく見えるに違いない。
「今の台は疲れるだけだよ」
 と、数時間粘ったとしても、昔ほど出るわけではなく、
「パチプロ泣かせというところなのかな?」
 ということでもあった。
「パチンコなんてしょせん、遊戯なんだ」
 と思えばそれまでなのだろうが、何となく寂しさがこみあげてくる。
 しかし、初心者であるあさみは、そこまで考えていなかったが、依存症になっていることに徐々に気づくようになってきた。
 最近では、パチンコ屋も依存症の人に対して結構気を遣っているようで、最初に申告しておけば、我を忘れて打ち始めても、店員が注意しに来てくれたりしたり、パチンコ屋に設置してあるATMのコーナーでは、一日引き落とし金額の上限が決まっていたりする。
 ひょっとすると、おろせる回数も決まっているのかも知れないが、考えてみれば、近くのコンビニや銀行にいけばおろせるわけであって、本当に遊ぶ人はそこまで行っておろすだろうから、あまり関係ないことなのかも知れない。
 申告しておいて、注意にきてもらうことも、注意はしてもらえるが、強制的にやめさせることは店側にはできない。これもある意味、おかしなことではあるのかも知れない。
 それだけ依存症について、パチンコ屋側も気にはしているのだろうが、最後には客側の意識の問題になってくるのだった。
 あすみは、自分が、
「ギャンブル依存症だ」
 と、最初はまさか思ってもいなかった。
 ギャンブルと言ってもパチンコしかしない。
 競輪、競馬、競艇などのような公営ギャンブルはやらないし、宝くじすら買ったこともないくらいだったのだ。
「逆にそんな私だから、パチンコにのめりこんだのかも知れないわ」
 と感じた。
 なるほど、そう思うと、パチンコというものがどういうものなのか、そして、どうして嵌っていったのか、分かるような気がする。
 しかし、それが分かっていても、簡単にやめることはできない。それこそ、
「やめることは、始めることの数倍のエネルギーを消費する」
 という言葉を思い出すが、それと同時に、もう一つ大きな大切な言葉があるのだということを感じた。
 その言葉というのは、
「覚悟」
 というもので、普通は始める時に感じるものなのだろうが、やめることが数倍難しいと分かっているのは、その覚悟を始めた時と同じように持てないからではないかと思うのだった。
 あすみはそんなことを考えながら、例の本を読んでいた。
「私にもパチンコをやめることができるかしら?」
 という思いであったが、実際にはまだパチンコを悪いことだという意識がなかった。
 やめてしまうことで、襲ってくる憔悴感の方が怖かった。だから、やめられないでいるのだ。
 そんな時に読んだあの本で、一つあすみは感じたことがあったのだ。
「広義の意味で物事をとらえる」
 ということを、あの本は言いたかったのだろう。
 そして、その考えが、結局はやめる時の覚悟に繋がる。それは、両側に鏡を置いた時に永遠に見えている自分の姿を思い出させ、
「結局、どんなに無限にあっても、ゼロになることはないのだ」
 ということを感じさせるのだと、あすみは感じていた。
「そういえば、心理学の先生が、あとがきで、自分も依存症に知らず知らずになっていたので、覚悟を求めて考えていると、この本の理屈に行きつぃた」
 と書いていたではないか。
 あすみはそのことを、自分のことのように感じていたのだった。そして、鏡の奥で自分がどんな顔になっているのか、一人一人自分の顔が違っていることに、次第に気づいてくるのだった……。

                 (  完  )



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作品名:広義の意味による研究 作家名:森本晃次