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広義の意味による研究

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 少なくとも、タイトルだけで本を買ったあすみよりも多いのではないだろうか。

                本の後半部分

「感と勘の違い」
 という本の前半部分は、これ以上ないというくらいに、分かりやすく書かれていた。
「これだったら、心理学の入門書としては、合格だ」
 と言えるであろう。
 前半部分は、
「勘というのが、感の中に含まれる」
 といいことが書かれていた。
 そして、含む方は、できるだけ広義に解釈するという意味で、感という言葉が含まれている言葉を分類することで、どれだけの幅とその言葉の属性や意味について迫ることで、広義に考えられるかということを、理論的に示していた。
 さて、そんな前半は実に読みやすく、理解もしやすかったので、
「さぞや後半もそこまで難しく読みにくいということもないだろう」
 とタカをくくっていたのだった。
 だが、それはかなり甘かったようだ。読み進んでいるうちに、次第に暗雲が立ち込めてきているようで、次第に不安しかなくなってきた。
「やっぱり、難しいわ」
 と感じ、それまで考えた、
「入門書だと思えば、そんなに難しくはないはず」
 と思っていたことが間違いだったと、今さらながらに思い知らされた。
 だからと言って、
「読むんじゃなかった」
 というような気持ちになったわけではない。
 できれば、ゆっくりと読むことで、理解できることもあると思い、場合によっては、途中であっても、読み直すくらいのところがあってしかるべきだと思うのだった。
 大学での教材としてのテキストであれば、講義が伴っているので、質問をすることもできるだろう。
 しかし、作者はどこの誰だか知らない人であり、しかも、自分は心理学の専門家でもない。
 そんな自分が、
「今月のベストセラー」
 というコーナーを覗いた時、タイトルに興味を持ち、心理学という、今まで興味はあったが、一歩踏み出す勇気がなかったということで、見ようとsなかった学問に、勇気を持つことはできたので、できるなら、読破したいという思いは強いのだった。
 他の、
「今月のベストセラー」
 というコーナーでは、他には、ちょうど世界的に流行していた、
「訳の分からない伝染病」
 という意味で、それに類似した作品が多かった。
 学者の中には、数年前から、このような伝染病が世界的に流行するということを予言している人はたくさんいた。
 考えてみれば、二十年前からでも、いくつもの伝染病が流行ったりした。
 しかし、幸か不幸か、今まで日本で爆発的な流行が発生するなどということはなかったので、事なきを得てきただけのことだった。
 今回は、世界的なものであり、日本だけが例外というわけにもいかない。
 それだけ、以前他の伝染病で苦しんだ国は、その時の教訓から、医療体制も何とか行き届いているのだろうが、何ら、知識も、教訓も、さらには、備えもない日本においては、他の国に比べれば、それほどの感染者を出しているわけでもないのに、医療崩壊になっているという、
「国家として恥ずべき状態」
 になっているにも関わらず、まだ水際対策で、どんどん外人どもが入ってくるという体たらく、これをどのように言えばいいのか、
「政府はバカの集まり」
 というだけでいいのだろうか?
 世の中なんてそんなものなのかも知れない。
 本屋では、文庫本も結構あったのが印象的だった。
 文庫本というと、最近発行された本が同時発行で文庫本になることもあるが、普通は、まず硬い表紙の本が発売され、それから少しして文庫本をして発行されることが多い。
 それを考えるとそこに並んでいた本は、昨今の世界的な伝染病流行に乗っかって発行された本ではなく、それ以前の本だということになるだろう。
 つまりは、
「以前の作家には、すでに今回のような伝染病を予知していた人がいるということになるのだろうか?」
 と考えられる、
 実際に起きるとして、警鐘の意味で著した人もいるだろうが、
「今の時代なら、何が起こっても不思議はない」
 という発想から、世界的なパンデミックを妄想し、小説に書いたのだろう。
 そこには、
「これはあくまでもフィクションであって、未来永劫、起こってほしくないという意味を込めて書いた」
 という作家もいるだろうし、
「単純に、面白いと思うことを書いただけで、世の中なんか、どうなろうが知ったことではない」
 と思っている作家も多いはずだ。
 ここから先は、作者の意見も入ってくるが、あくまでも、アマチュア作家の考え方であるので、ご了承あれ。
 ここから先は、作者の意見も入ってくるが、あくまでも、アマチュア作家の考え方であるので、ご了承あれ。
 小説を書いていると、普段思っている妄想として抱いたことを、そのまま作品に反映させるようにしている。変に考えてしまうと、筆が進まなくなるからだ。
 そのため、何か理不尽なことや怒りがあれば、その感情に任せて筆を動かすことが、一番だと思っている。
 もっとも、今は筆ではなく、キーボードを叩く指の動きであるが……。
 小説を書いていると、一日に一回はどこかで、
「自分の妄想に支配されたのではないか?」
 と感じることがある。
 もちろn、最初の頃はそんなことを考えることもなかったが、なぜそんなことを考えるのかというと、それだけ、小説を書いている時間が集中しているからである。
「タイムマシンに乗ってタイムトラベルをすれば、こんな感覚なんだろうな」
 と感じるのだ。
 集中していると、自分がプロになったのかというような錯覚に陥る時がある。それは、自分で感じている時間に比べて、実際にめちゃくちゃ進んでいるからだ。
「俺って、天才?」
 と思うのだ。
 しかし、それこそ錯覚というものであり、実際に書いた分量は間違いないのだから、感じている時間の感覚に錯覚があるのではないかと思い、時計を見ると、案の定、すでに一時間近く経っていたりするわけだ。
 だからと言って、悲観することはない。
 時間の感覚がマヒするほど、集中できているという証拠なのだし、それだけ、何も考えずとも、妄想だけで書き続けられているということでもある。
 つまりは、自分が書きたい、書けるようになるための自分なりの構想通りに進んでいるということであり、喜ばしいことである。
 別にそんなに必要以上に早く書けたからと言って、言い方を変えれば、
「タイピングは人よりも早い」
 というだけで、小説執筆には、何ら関係のないことなのかも知れない。
 それを思うと、
「この際、自分はアマチュアなのだから、天才である必要もない」
 と、なぜか考えた。
 それは、きっと、
「将来プロになりたくない」
 と感じることになることへの伏線のようなものだったのかも知れない。
 それを思うと、その伏線回収は、十分にできていて、今はこのままゆっくりと、誰の指図も、締め切りなども一切なく、
「質よりも量」
 をモットーに書き続けることになるだろう。
 それが自分の中で、
「自分の妄想に支配されたのではないか?」
 と考えていることになるのだろう。
作品名:広義の意味による研究 作家名:森本晃次