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広義の意味による研究

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 確かに今は、女性の心理学者も珍しくもなく、男性との違いがどこにあるのかと思っていたが、実際に手に取って本を読んだり、講演会などに出席する気にもなれなかった。
 正直、面倒くさいというのが本音であり、それをまわりに気づかれないようにしているのは、やはり、真面目だと思われたい気持ちがあるからだろう。
 あすみの場合、自分が真面目になったのは、誰かの影響があったためだという意識はあるのだが、それが誰の影響だったのかということまでは分からない。
 ただ、本を読んでいて、気が付けば何かを考えていると思った時、自分に影響を与えた人のことを思い出しているのではないかと感じたのだ。
 まるで夢を見ているような感覚だが、それは、我に返ると、覚えていないということと似ているだけで、今までの感覚で考えると、違って見えてきたのは、学生ではなくなってからかも知れない。
 学生時代は、いくら高校時代が中学時代の繰り返しのように思えても、実際の高校時代は、ただの延長ではなかった。それはきっと成長の過程というのが一番なのだろうが、それだけではないような気がする。
 きっと、一年生、二年生、三年生とそれぞれの学年になった時、前にあった時代を思い出すのだろう。
 しかし、社会人になると、一度入社してしまえば、二度と新入社員になることはない。
 転職するか、くらいしかないのだろう。同じ会社で部署替えくらいであれば、その部署では一年目であったとしても、自分が一年目だとは思わないだろう。前の部署の時に知っている部署なので、その大変さも苦労も、さらに楽しみも何となく分かっている気がするので、
「すべてをリセットした」
 という気にはならないに違いない。
 若いうちであれば、
「いろいろな部署を経験するのは、別に悪いことではない」
 と思うだろう。
 むしろ、若いうちの経験が、将来の自分を作り、最後には出世に繋がるということになるだろう。
 あすみは、今三十歳になっているが、入社してから、そろそろ八年が経とうとしている。彼女は、大学を卒業してから、今の会社への入社には、さほど苦労はなかった。
 別に、やりたい職業があったわけでもなく、入りたい企業があったわけでもない。だからと言って、目標がないということが、それほど気になるわけでもなかった。
 どちらかというと、仕事は二の次であり、会社もどこでもいいという感覚だった。
 就職できればいいという感覚が強かったのだが、
「結婚するまでの腰掛入社」
 というだけではなかった。
 結婚願望は、どちらかというと、ある方ではなかった。実際に好きになった人もいて、付き合ったことのある男性もいたのだが、その人とは、あまり深い関係になったわけではない。
 もちろん、肉体関係はあったのだが、相手が肉体関係を結んだとたん、それまでと豹変した。
 まるで、自分の所有物であるかのような態度になったのが原因だったのか、次第に冷めてくるのだった。
 相手はそんなあすみに対して、不満があらわだった。きっと、身体を重ねた瞬間から、本当の恋人になったのだという感覚だったに違いない。あすなとしては、肉体関係が別に恋人関係としての的確な理由になるわけではないと思うのだった。
 だから、あすみは、それから彼氏がほしいとは思わなくなった。自分では、それがトラウマだとは思っていないが、周りから見ると、きっと、それがトラウマになるのだと思うのだろう。
 男というものに対し、抱いた感情がトラウマになってしまうと、
「結婚など考えられない」
 と思うのも当然のことである。
 ただ、あすみは自分を実食な性格で、いい意味でいけば、勧善懲悪のような性格であるが、悪い意味でいけば、融通の利かない性格だということも分かっていた。
 しかし、勧善懲悪という言葉には、魔力のようなものがあり、融通が利かないのも、勧善懲悪という性格が備わっているからだということで、
「短所を補って余りある」
 とまで思っていたのではないだろうか。
 そんなことを思っていると、最初こそ男性にトラウマを持ってしまったが、考えが少し変わっていった。
「彼が悪いのではなく、私が彼にもっと従う気持ちを持っていなければいけないにも関わらず、自分から近寄ろうとはしなかったことが、原因なのかも知れない」
 という思いを抱いた。
 そのため、トラウマをなるべく忘れるようにして、新たな自分を発見したいと思うようになっていて、そこで見つけた本が、
「感と勘の違い」
 なる本であった。
 ベストセラーというわけではないが、一時期、本屋の中の、
「今月の話題の本」
 というコーナーの中に置かれていた。
 ちょうど、時代も、令和三年という、世界的な、
「訳の分からない伝染病が流行った時代」
 の真っただ中であり、他の本も、SFチックな本や、伝染病についての小説やドキュメントなどが、話題の本として、ベストセラーになっていた。
 そんな、伝染病関係の本がなければ、ひょっとすると、この本も、ベストセラーの仲間入りをしていたかも知れない。
 いや、逆に言えば、伝染病の流行がなければ、心理学的な本としての、時代を反映している本としての役目ではなかったかも知れない。
 あすみが読んでいると、
「この本は、あくまでも、伝染病が流行った時代を背景に書かれたものではなく、作者の先生が考えていることが、奇しくもその考えと、時代が合致しただけのことで、ある意味先生の考えに時代が追淳したかのような感覚だ」
 と言ってもいいのかも知れない。
 先生がその本で言いたかったことを、自分の説として、一つ大きなものがあり、そこからいくつかの可能性を考え、それを羅列するように、一つの章にまとめることで、ちょうど小説における、
「起承転結」
 のような構成になっていることから、その内容は、当時の時代を反映しているかのようで、奇抜でありながら、センセーショナルという精錬された言葉を使いたくなるほどのスマートな本に出来上がっているかのように、あすみには見えたのだ。
 実際には、心理学という観点から、敬遠する人が多いのか、話題の本と言っているわりに、それほど売れたということではないようだったが、あすみはその自分の性格からなのか、それとも、自分の性格を顧みたいという感覚からなのか、その本を何度も読み直すようになった。
 一度読み切ってしまうと、しばらく本を見ることはなかった。確かに一度読破して満足した感覚なのだが、その時は一度読むだけでいいのだと思ったのだろうが、あれだけ満足して読んだはずの本の内容が、実際に役立っていないような気がした。
 本の内容が難しく、理解したつもりでも、理解できていなかったのか、それとも、その時々の場合によって、本の内容への解釈が変わるからなのか、この本は読書物というよりも、ハウツー本としての機能の方が、むしろ強いのではないかと思うようになり、一度読み切った本でも、その時々の状況によって、読み直してみると、まったく違った感覚になることもあるのだと感じさせられたのだった。
作品名:広義の意味による研究 作家名:森本晃次