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広義の意味による研究

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 のようなものではないかと思えるのだ。
 もう一つ考えられるものとして、
「羞恥心」
 というのがあるのではないかと思うが、それぞれに、表に出すことを否定し、隠ぺいしようとする意識が働くものではないだろうか。
「人に知られると、信用をしてもらえなくなる」
 あるいは、
「人に知られることが何よりも恥ずかしい」
 という思いであるのだが、この両方に共通していることとして、
「人間であれば、誰もが隠し持っている感覚だ」
 ということではないだろうか。
 しかも、
「嫉妬心があるから、相手に負けないようにしようと、二度と感じたくないという思いから、自分も頑張ろうと思う」
 という感覚、そして、
「羞恥心があるから、相手に二度とこのような弱い部分を見せて、相手にマウントを取らせたくない」
 という思いから、自分に対しての反発心という意識で、前を見るのと同じで、それまで表に出なかった感情が飛び出そうとする、状況が生まれてくる一番の状況なのかも知れない。
 それを考えると、人間が必死で隠そうという考えに至るような状況が生まれた時、第六感が働くのではないだろうか。
 誰もが今までに第六感を発動したことはあるはずで、それがどんな現象なのか自分で分かっていないことから、
「自分が意識しないところで、まわりの態度が変わってしまった」
 ということでしか感じることのできないような思いをしたことがあるだろう。
 それこそ、第六感というものが発動された時であり、意識していないつもりで効果があることから、霊感のような意識を第六感に持ってしまうのかも知れない。
 また、曖昧なものとしての感覚で、熱がある時の感覚を考えたことがあった。
 そもそも、体温というのは。皆個人差があり、その人の平熱は一人一人違っているものではないだろうか。
 例えば、普段から、三十六度五分を平熱が超えている人もいれば、
「三十六度を超えることは、ほとんどない」
 という人もいるだろう。
 それなのに、平熱と発熱の違いのラインは、三十七度と、一律に決まっている。これも何かおかしいのではないだろうか。
 基本的に言われているのが、
「平熱が低い人でも高い人でも、基本的に体温が三十七度を超えると、発熱とみなす。したがって、三十七度未満は、発熱にあらず」
 ということである。
 そして、
「三十七度五分から三十八度までが、微熱という呼び方になり、三十八度以上となれば、高熱と言われます」
 と言われている。
 そういえば、発熱して、入院の必要がない場合の自宅療養の場合は、ほとんどの人が、
「とんぷく」
 という形で、座薬であったり、解熱剤の経口薬をもらって帰ることだろう。
 食事ができる人は、解熱剤を飲むことができるが、胃腸に負担が掛かっていたり、きつくて食事も摂れない人は、座薬を入れることで、熱を下げることになる。この場合の接種の目安としては。
「熱が三十八度以上出た時、使用してください」
 と言われることだろう。
 さらに、これは、令和二年から、全世界で流行した例の伝染病であるが、あの病気の通院目安として保健所から、
「三十七度五分が、四日以上続いた時」
 と言って、厚生労働大臣から通達があり、それが基本であった。
 ちなみに、それは、あくまでも目安であって、本来の趣旨とは違うと言われ始めた時、
当時の、某厚生労働大臣が、保健所を悪者にして、自分の保身に走ったということがあったが、普通に感がレバありえないことだった。
 ただでさえ、保健所、医療従事者が悲鳴を上げているのに、瀕死の重傷の人間の首をさらに絞めつけるようなマネをして、人間として許せないと思った人も少なくはないだろう。
 作者もその一人であり、
「顔も見るのも嫌だ」
 と思っていたら、何と、内閣が変わったら、その男が、官房長官などになっていて、見たくもない顔を晒されて不快になったことがあったという話であった。
 さて、このように、発熱というのは、いろいろ個人差があったとしても、平熱と発熱の差には、個人差は関係ないという。
 となると、
「発熱の基準というものは、元が違っているのに、発熱の基準は共通だというのであれば、何が基本なのか疑いたくなる」
 というものである。
 そもそも、中には、平熱が三十七度を過ぎている人だっているだろう。かと思えば、三十五度台の人もたくさんいることだろう。
 特に作者などは、この二年近く、例の伝染病のために、会社に毎日体温を報告しているが、その時に計った体温を平均してみると、三十五度五分から、三十六度二分くらいがもっとも多く、それ以上、それ以下だと実に稀なケースということになる。
 そうなると、三十七度を超えた時点で、他の人の高熱に値するくらいではないかと思うのも無理もないことだろう。
 普段は体温計を見なかったが、ちょっときついと思って体温を測って、三十八度近くになっていれば、体温を見てしまったという意識が強く、そこからさらにまだ熱が上がっていくものだと考えるようになったのだ。
 しかも、三十九度を超える熱が出ると、一度横になってしまうと、頭がフラフラして、起き上がることができなくなることがほとんだだった。
 特に、扁桃腺持ちの人などは、高熱が出るのが当たり前という風になっているので、高熱が出た時は気を付けておかないと、意識が飛んでしまうこともないとはいえない。高齢になればなるほど、気を付ける必要が出てくるだろう。そういう意味で、発熱というのもバカにできないものである。

                 感と勘について、

 熱が上がってくる時というのは、身体のどこかに異変がある時と並行している時であり、例えば、喉の痛みであったり、身体の節々が痛かったり、寒気がしたりという、風邪でいうところの前兆のようなものがあるだろう。
 寒気や身体のだるさなどからの喉の痛みなどから、熱を測ってみると、
「三十七度五分ある」
 などということで、学校や会社を休むために、連絡を入れてから、病院に行くことになるだろう。
 病院で診察を受けて、風邪だと診断されると、風邪薬や、熱がある時は解熱のための注射や点滴を打ってもらうことになる。ブドウ糖の点滴なども気持ち悪くて食事が摂れないなどの人には、摂取されるかもしれない。
 熱が下がるまで、家で横になっているのが基本であるが、その時は、なるべく、身体を冷やさないようにする。
「頭を冷やす」
 ということのために、アイスノンなどを使うことはあるが、基本的には身体を冷やしてはいけない。
 その証拠に、夏が上がりつつあるのに、
「寒い寒い」
 と言って震えているではないか。
 これは一体どういうことなのだろうか?
 説明としては簡単である。
「熱があるということは、身体の中に入った風邪などの菌やウイルスと、身体の中にある自浄するための抗体とが、戦うことで、身体から熱が発生するのだ」
 つまりは、熱が上がりつつあるということは、身体が風邪に打ち勝とうとしていることだから、上がろうとしている熱を下げるのではなく、上がり切ってしまうまで、身体を温める必要がある。熱が上がり切るまでは、身体の中に籠っているので、汗が出ることはない。
作品名:広義の意味による研究 作家名:森本晃次