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意識と記憶のボタンと少年

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 これは、受け入れをして、二十四時間体制で運営している医療従事者に対して、あるいは、命の危険に晒される国民に対して、重大な裏切りであることは間違いない。
 しかし、国はそれでも、現行法では、どうすることもできないのだ。
 つまり、
「現行法というのは、有事に対しては何ら効力を発揮しない」
 と言えるのではないか。
 何といっても、日本は憲法九条で、平和を宣言し、戦争を放棄しているからで、
「我が国に、有事は存在しない」
 ということになるのだった。
 有事がないということは、大日本帝国のような、現在の他国のような、
「国民を守るために、国家が力を発揮吸うr」
 ということができないのである。
 つまり、他の国であれば、政府が有事を掌握し、国民に自由を制限してでも、国家総動員で、有事に立ち向かうということができるのに、現在の日本では。国民の自由を制限することは、
「基本的人権の尊重」
 を謳った憲法に違反することになる。
 今の日本では、戒厳令すら敷くことができない。もし、クーデターや都市壊滅級の災害が起こった時、国が率先して、治安を行うということができないのだ。
 もし、できたのdとすれば、医療崩壊が起きた時点で、戒厳令を敷き、外出制限を発出したりして、もしそれを破れば、罰金や、最悪な場合は、投獄するということもできることになる。
 要するに、国民の中には一部、
「自由という言葉を履き違えている」
 という人間がいるということなのだ。
 マスクもせずに、三密も関係なく、我が者顔でいる連中。そんな連中こそ、自由をはく奪し、隔離することで、他の守らない連中への見せしめにすることだってできるのに、今の法律ではできないのだ。
 少しでも、法律を改正しようと、政府も採力をしてはいたのだろうが、まったく国民には見えてこない。しかも、改正しているのは、まったく的外れなところを、ちょこっと改正するだけで、まったくの問題解決に向かっているわけではない。
 そんな体たらくを見せられた国民なので、
「一部の人間」
 が出てくるのも仕方のないことだ。
 要するに、悪循環を繰り返しているのだ。
 国民と政府の間で、不毛な政策しか示すことのできない政府に、国民が呆れて、その一部が、政府の責任にして、勝手なことをする。真面目に生活している人間だけが、バカを見るという状態が、有事の際に訪れるのであれば、国家としては終わっていると言ってもいいのではないか。
 そういう意味で、今の新しい政府には、国民は多少なりとも期待をしている。逆にいうと、
「ここまで腐敗政府を見せつけられてきたのだから、今度の政府でダメだったら、もう、本当に後はないと言ってもいいのではないだろうか?」
 ということを国民のほとんどは考えているが、まさにその通りではないだろうか。
 そういう意味での今回のプロジェクトは、今の政府の肝入り政策である。
「そういえば、今までに、肝いりとかいう言葉で、どれほどくだらない政策があったというのか?」
 と。思い出して、思わず吹き出してしまう人も少なくないかも知れない。
「マスク不足だということで、一家に二枚ずつのマスクを配った」
 というのがあるが、あれこそ、
「税金の無駄遣い」
 と言われた。
「一家に二枚って、それ以上家族がいれば、どうなるんだ?」
 という話。
「伝染病なのに、皆で二枚を使うなどというバカなことはあるわけないし、しかも、マスクを配り始めたころには、すでに市場にマスクが戻り始めていたんじゃなかったか?」
 と言われた。
 それだけ、大きなアドバルーンを掲げていたのも関わらず、政府が宣言してから配布されるまでに、何か月かかったかということだ。
 しかも、
「不良品はあるし、手違いは多いし」
 ということで、一度配ったものを回収するという手間迄発生したくらいで、ポンコツというには、あまりにもひどいものだった。
 しかし、政府が変わっての今回のプロジェクトは少しは違うのではないか?」
 だが、国民のほとんどは、前政権でかなり懲りている。
「どうせ誰がソーリになったって同じだ。ソーリは貧乏くじを引いたとしか思っていないんじゃないか?」
 ということであった。
 特に、前政権は、責任をそれぞれの大臣に押し付けて、自分は言い訳ばかりで責任を取ろうともしない。
 何しろ、すべてが他人任せて、自分が責任を負わなければいけないことを痰飲事としか思っていないのだから、
「大臣が責任を取れば、自分には関係ない。直接政策を実行しているのは自分ではないから」
 とでも思っているのか。
 一般の会社だったら、取締役会があったりして、社長と言えども、取締役会には逆らえず、
「何かがあれば、社長が責任を取る」
 というのが、当然のことになるのではないだろうか。
 政府というのは、国民を代表しているものであるのに、なぜ社長の上の取締役会のようなものがないのだろうか?
 しかも、首相というのは、国民投票ではない。
 確かに、衆議院選挙で刻印に選ばれた政党の総裁が首相になるのが慣例なのだが、直接首相を選ぶわけではないので、政府のやりたい放題だと言ってもいいだろう。
 このような国家だから、有事の際には何もできない。
 いや、何もできないどころか、逆に混乱させてしまったり、混乱をいいことに、自分たちの私利私欲に走ったりすることになってしまう。
 それを今の政権は分かっているようで、少しでも、
「開かれた政治」
 を目指している。
 今までは、何といっても、国民が政府に従わなかったのは、
「自分たちだけで勝手なことをしていて、税金を無駄遣いし、有事の際に、国民を救えないどことか、混乱に巻き込んだり、自分たちが手本にならなければいけないのに、大人数うで会食をしたり」
 などという、犯罪にも値するくらいの政府だったからである。
 しかし、今の政府は、国民に自分たちが行っていることをしっかり示している。
 ただ、今回の国家プロジェクトは、国家機密に関わることなので、公表はしていないが、少なくとも、
「国民のため」
 にしていることである。
 それを思うと。誰が文句をいうというのだろう。
 医学薬学に関しては、前述のプロジェクト通りなのだが、それ以外でも、結構あるのだった。
 そのうちの一番の急務は、
「法律研究」
 に関係するところであった。
 憲法解釈から始まって。現行法で、どれだけのことが本当にできるのか、ギリギリまで検証し、さらに、それだけではできないことを、憲法の解釈内で、どこまでできるかを検証し、新しい法律を制定したり、有事の法律を草案する必要があるだろう。
 しかし、法律の改正や、新法の施行には、結構時間がかかる。まずは検証と、他に弊害がおきないかなどということへの問題。さらに、他の法律や、諸外国との関連など、すべての面で検証が必要になってくる。
 下手をすれば、過去の法律から学ぶこともあるだろうし、そうなると、歴史の研究もづ可決になってくるだろう。
 それを思うと、法律改正にはかなりの時間がかかり、いかにうまく国民に広く理解させるかということが不可欠であった。