意識と記憶のボタンと少年
ともいうべき、聖徳太子の肖像が、実は違ったという説もあり。そもそも、現在では、聖徳太子という称号すら使われなくなり、学校教育などでは、
「厩戸皇子」
と呼ばれるようになったということである。
そんな時代において、さすがに有事というものを国民全員が体験したわけだが、その中で一部の人間が、
「有事を有事と思わない」
と言われる行動をとっていた。
これは、有事の最中から言われていたことであり、冷静に考えれば、誰にだって分かることではないか。
つまり、有事の際に何が悪かったのかということを考える。いわゆる、
「戦犯」
と言われるものだ。
極東国際軍事裁判においては、戦勝国の勝手な都合により、処刑された人もいたのだが、それでも、戦争が起これば、それに対しての反省を行い、いかに次を起こさないようにしないといけないかということを、しっかりと検証し、条約として結ぶのが最低でも必要であろう。
あの世界大戦も、第一次が終わってから、第二次までの間というのは、時間的に、たったの二十年しか経っていないではないか。
しかもその間に、ベルサイユ条約が結ばれ、新たに国際連盟が結ばれ、
「二度と悲惨な戦争を起こさないようにしないといけない」
という意識を持っていたにも関わらず、それ以後の世界は動乱の時代を迎え、戦争に突入することになった。
もちろん、ベルサイユ条約において、敗戦国のドイツに、何百年経っても、払うことのできないほどの賠償金、さらには、領土や軍備の制限、そんな状態で、敗戦国を苦しめたのだ。
その考えとして、
「敗戦国に戦争ができるだけの軍事力を維持させない」
という意味もあったのだろうが、あまりにもひどすぎた。敗者の気持ちをまったく考えていないということである。
さらにそんな時代に拍車をかけた世界恐慌、それにより起こったことは、国よる、貧富、さらに強弱の国がハッキリしてきたということだった。
時代が進めばさらに、強国に対して、弱国は太刀打ちができなくなる。今のうちに何とかしなければいけないという気持ちになるのも当然である。
さらに、共産主義、ファシストの台頭、世界情勢は、刻一刻と変わっていくのだった。
そんな、諸事情が絡んできて発生した第二次大戦、第一次大戦が、大量虐殺の消耗戦であれば、第二次大戦は、一発の爆弾が、大都市を粉砕できることができるようになった戦争であった。
それはそのまま、破滅戦争を意味し、そこから、冷戦なるものが生まれてくるのだった。
世界は、、戦争を起こしてかっら、それを反省し、今後の世界をどのようにしていけばいいのかということを、戦争中から話し合っている。それが人間としては、まともな考えなのではないかと思えるのだが、日本の場合は、それをしない。
何かがあれば、事後でもいいので、検証し、何らかの答えを見つけ、それに対しての対応を行う。
法整備や、平和のための機関など、やることは山ほどあるはずだ。
大日本帝国時代の日本のように、一つの戦争が終われば、さらに動乱の時代を迎え、対処するまでの時間があまりにも短く、検証もままならなかったのだろうが、それでも、軍部でも、政府でも、検証を行っていたのは間違いないことだ。
だが、今回の有事に際しては、日本の中で、何ら対応をしている様子はなかった。
敵が未知のウイルスということで、対応をどのようにしていいのかが問題になるのは仕方のないことだ。さらに、
「わが国には有事はない」
という考えが頭のどこかにあるのだろう。
国民は、政府に対して期待も何もしていない。
「毎回、まいかい、同じことしか言わず、やることも、緊急事態宣言を出しては、解除してというループを果たして何度繰り返したことか」
とはいえ、政府ばかりを批判するというのは違う。
曲がりなりにも、厚生労働省は、有識者の意見から、一般市民がしなければいけない対策についてのマニュアルは作っていた。
「三密回避」
などと呼ばれるものである、
しかし、実際に三密回避というのは、採取の半年くらいは、その指示を国民は充実に守ってきた。
そのうちに、宣言の無限ループが引き起こされるようになると、国民の若年層を中心に、
「政府のいうことを聞いていたって一緒だ」
という連中が増えてきた。
気持ちは分かるのだが、相手は伝染病である。自分が掛かるだけではなく、自分がまわりに広げてしまう。そこから、どんどん感染者が増えていき、次第に入院が困難になってくる。
最悪、救急に電話をしても、繋がらないというほどになってきた。救急車が来て、受け入れ依頼を掛けても、百以上の病院から断られ、搬送を断念し、緊急入院を必要とする人を、どうすることもできず、そのまま自宅で死を迎えるということが現実に起きてくるのだ。
それなのに、感染対策をまったくせずに、マスクもせず、わいわいわめいている連中がまったく減るどころか、増えてくるのだ。
見ているまわりは、
「お前たちが先に死ねばいいんだ」
と思っていることだろう。
「お前たちが伝染病に罹って、入院されたりなんかすれば、その分、助かる命が助からないんだ。どこかで密かに暗殺されるレベルの犯罪だ」
とも思っているだろう。
もっとも、こんな連中は、生死の境を彷徨ったとしても、それが過ぎて回復すれば、すぐにそんなことがあったなどということを忘れて、同じ事態に突入すれば、きっと同じことを繰り返すだろう。
これほど理不尽なことはない。
そういう意味では、国家総動員法まで作って、戦争を遂行させたというのは、有事においては、本当に間違いなのかということを初めて考えさせられたような気がする。
それだけ今の日本は、有事に対しては。まったく無防備で、
「平和ボケ」
と言われても、仕方のない状態なのだろう。
特に今回の伝染病に関しては。一番大きな問題の中の一つに、
「医療崩壊」
というものがあった。
諸外国からすれば、
「日本くらいの感染者や重症者の数で、どうして医療崩壊を起こすのだ?」
と言われてきた。
これは、医師会というものの存在が大きかったのではないだろうか。
確かに個人病院は、
「自分たち病院が潰れてしまったら、誰が患者を診るのだ?」
という言い分があるだろう。
だから、相手は伝染病なので、伝染病以外で入院している患者と混ぜるわけにはいかない。しかも、伝染病専門の医者や看護婦がそんなにたくさんいるわけではないという理由で、伝染病患者の受け入れを拒否してきたのだ。
しかし、受け入れている病院は、二十四時間体制で看護しているのを考えると、あまりにもその差が激しすぎる。しわ寄せが行ったところも、医者や看護婦で倒れる人もいるだろう。そうなると、さらに人材がいなくなり、問題が拡大していくのだった。
国はそのために、一般病院でも伝染病を受け入れるベッドを確保できれば、協力金を出すと言って、病床を確保してきたにも関わらず、病院の中には(いや、ほとんどかも知れないが)、協力金を受け取っておいて、一度も伝染病感謝を受け入れたことのない病院がたくさんある。いわゆる、
「協力金詐欺」
と言ってもいいだろう。
作品名:意識と記憶のボタンと少年 作家名:森本晃次