意識と記憶のボタンと少年
好評のタイミングは大学側で図っていたのだが、とりあえずは、臨床試験である程度の結果が出たところで行うということで、トップシークレットになっていた。
そういう意味で、薬学部側のトップと、大学首脳くらいしか知らない情報であったが、そのことは、それほど大したことではないと思われていた。
国がプロジェクトを立ち上げるという報道は、三か月前に政府と、厚生労働省から発表があった。文部科学省もこのプロジェクトには参加していたが、中心となっているのは、厚生労働省であった。
他の大学もやり方としては似たり寄ったりのところが多く、ただ、進み具合は、大学の力に比例してか、まだ一つに絞り切れていないところもあるようだった。
「俺たちの大学って。例の国家プロジェクトに参加しているのかな?」
とウワサをしている大学生もいるくらいなので、政府が依頼している詳しい大学名までは公表されていない。
「国立大学と、有力な私立大学を合わせて、十校とちょっとくらいだと思ってくださればいいです」
と、質疑応答で答えていた。
ということは、質疑応答で質問が出なければ、大学の数も国民が知ることはなかったということだろう。
何しろ、記者会見では、
「プロジェクトを立ち上げたという報告と、大学に依頼して、その中からプロジェクトを審査していく」
ということだけくらいしか明らかになっていなかったからだ。
政府の方としても、あまり詳しいことは言いたくないのだろう。ここまで水面下でいろいろ進めてきたのもそのためで、
「政府の政策というのはそんなものだ」
というくらいのことであっただろう。
ただ、今までのポンコツ政府とは違って、先手先手を取っていることに対しては、国民も一定の評価と、期待をしていた。そのおかげで、国民からも野党からも、そこまで大きな反対もなく、無事に進んでいる。
野党の反対が少ないということは、国会の審議もスムーズに進んでいき、当初の予定にあった審議以外の議題まで、先行して行われるくらいになったのは、大きな進歩であろう。
しかし、実際には、これを進歩というのは、少し楽観的すぎるのではないだろうか、
「今までがひどかっただけで、本当によくなったと言えるかどうか、まだ分からない」
と言われている。
つまりは、後退していて、どん底近くになったところで、やっと踏みとどまって、最低ラインの崩壊寸前から、何とか一縷の望みをかけられるくらいにまで戻ってきたということであろう。
先人たちがダメにしてきた社会を復活させるには、まずは、
「明治政府に学ぶというのも一つの手ではないか?」
と言われてきた。
つまりは、
「殖産興業と、富国強兵」
の精神である。
さすがに、
「強兵」
だけは、憲法違反になるので、難しい面もあるが、自衛隊をどのような立ち位置にするか? あるいは、専守防衛だけで国家が守れるのか? ということであるが、この問題は、別の視点から見なければいけないのだ。何しろ、憲法問題が絡んでくるからである。
しかし、それ以外の、
「新たな産業を起こし興業を育成する」
ということ、さらには、
「その産業の力によって、国を富ませる」
ということが、まずは先決であった。
有事において、
「人命と、産業の板挟み」
となっていたことはぬぐいきれない問題だったが、
「元々、国が潤っていて、経済的に強い国であれば、人流抑制を一気に行って、短期で伝染病を抑制し、その後の産業復興を行えば、ここまで国が疲弊することもなかった」
という教訓がある。
つまりは、ロックダウンができるほどのたくわえが国にあって、人々もそれだけの暮らしができていれば、一時期の我慢を強いるだけで、国家が助けてくれるという構図ができあがる。
しかし、これまでの政府は、どっちつかずの政策で、結果、国民を見殺しにし、経済でも締め付けたせいで、自殺者も増えるという結果になった。
「俺たちはいずれ、国に殺される」
とまで、国民に信じ込ませるまでになった政府の責任は重大であろう。
最後の方では、
「誰が政府の要請なんか聞くものか」
と、過去に言われていたギャグにあったような。
「赤信号、皆で渡れば……」
というのと同じ発想である。
しかし、今は違って。ぐいぐい引っ張って行ってくれる指導者がいる。
「世の中って、人間と同じように、最後のギリギリのところまで来なければ、開き直れないものなのかも知れない」
というものではないか、
「だからこそ、今開き直りの人物が救世主として現れ、その人と心中してもいいとまで思えるくらいになってしまったのかも知れない」
と言われている。
「だけど、一歩間違えれば、誰が出てきても、もう国民は政治にまったく興味もなく、政府与党が好き勝手に、国を蝕んで、本当に、国家に殺されるという最悪の事態になっているかも知れないな。今はまだ分からないけど、日本の未来はどっちを見ているんでしょうね?」
と、いうテレビのコメンテイターもいたりした。
そんなテレビのコメンテイターも、最近では、お笑いの人ばかりで、まったくマスコミも腐敗し、マスゴミと言われるようになっていった。作者も最近では、マスコミと書かずに、わざとマスゴミと描いていたが、読者諸君には分かっていただろうか?
もう、メディアを信用できないような時代になってきている。
一般市民がユーチューブdとか、インスタグラムなどと言って、自由に発信できるようになってから、メディアの質は地に落ちてしまい、
「一体、世界はどこに向かっているというのだろうか?」
とまで言われている。
さすがに、
「アルマゲドン」
というところまで行っているとは思わないが、
「アルマゲドンのように、他の星からの影響によるものではなく、現在地球上に蔓延っていて、まだ見えていないものが影響し、地球の終焉に向かっているのではないだろうか?」
と言われている。
それが、地球環境の破壊であり、生態系の異常な変化。今回のウイルスだって、自然破壊によってもたらされた突然変異だとすれば、説明もつく。だから政府が今のうちから対策をしているのは、
「未知のウイルスがいつ出現してもおかしくない時代に突入している」
ということからのことであった。
「ウイルス問題は、そのまま、地球を取り巻く自然環境の崩壊が、引き起こしたことであるとすれば、本来なら、それは人間の犯した自業自得であるのだろうが、かといって、滅亡を黙って見ているわけにはいかない。何とかしなければいけないという状態になっているのに、国民は皆知らん顔だ。そういう意味での今回のウイルス騒ぎは、人類に対しての痛烈な挑戦なのではないだろうか?」
という専門家の先生も結構いるのだ。
「地球環境の破壊。それこそ、人類滅亡へのカウントダウンなのではないだろうか?」
とも言われていて、
「本当は、人間一人一人で考えなければいけないことなのに、あまりにも皆が無関心すぎると考えている人も少なくはない。今回の国家プロジェクトが国民の間に、大いなる一石を投じられるようになるのであれば、国家予算の使い道としては。最高なものなのではないだろうか?」
作品名:意識と記憶のボタンと少年 作家名:森本晃次