意識と記憶のボタンと少年
「ええ、そうだと思います。ただ、これは彼女にだから言えることで、他の人とだったら、そんな関係は薄氷を踏むようなもので、あっという間に吹き飛んでしまいそうな関係だと思うんです。そこが、自分にないところを感じることができた秘訣のようなものだったのではないかと感じています」
というので、
「そうですね。そういう意味でも、亡くなったのは残念ですね」
という桜井刑事に、
「ところで、康子さんが殺されたというのは本当なんですか?」
と、いまさら何をと思うような質問が返ってきた。
「どういうことですか? 確かに間違いないですけど」
と桜井刑事がいうと、
「やっぱり、そうだっやんですね? いえね、私は康子さんが死んだと聞いた時、すぐに頭に浮かんだのは、自殺じゃないかと思ったんです。彼女は冷静沈着な人ではあるんだけど、誰かに恨まれたりするような人ではないと思ったんです。だけど、もし、これが殺されたのではなく、自殺だとすれば? と考えると、考えられないこともないと思ったんですよ」
というのを聞いて、
「何か自殺をするような素振りが感じられたんですか?」
と桜井刑事が聞くと、
「ハッキリとしたものがあったわけではないんですが、彼女が誰かに殺されたということよりも自殺したという方が、よほどリアルな感じがしたんです。あくまでも、彼女が自殺を考えていたらの話ですけどね」
と友達がいうと、
「何かに悩んでいたんですかね?」
と桜井刑事が聞くと、
「それはそうだと思います。内容は分からないけど、たぶん悩んでいたと思うんです。きっと彼女のことをあまり知らない人は、彼女を見ていて、いつも何かに悩んでいるように見えたかも知れないですが、その様子が普段の康子なんですよ。だから、そんな彼女のことを熟知していると、逆に彼女が本当に何かに悩んでいるという時がよく分かるんです。全体的な様子から判断するのではなく、彼女の中にちょっとした違和感を感じた時、その違和感が普段との違いに微妙な変化の大きさを感じるんです。それが、悩みだということなんですよ。だから、彼女が本当に何かに悩んでいるということを分かる人は少ないとは思うんですけど、その違いを感じることのできる人は、その感覚への信憑性はかなりのものだと思いますよ」
というのだった。
「なるほど、あなたは、本当に康子さんのことをよくご存じだったんですね?」
と桜井刑事が聞くと、
「ええ、私の中では親友だと思っていますが、康子の方ではどうだったんでしょう?」
というのを聞いて、
「それだけ分かってもらえる人に対して、親友だとは思わない人だったんですか? 康子さんという人は」
という桜井刑事に対して、
「いえ、そういう意味ではなく、先ほども言ったように、康子というのは、少し変わっている性格なんです。こと自分のまわりの友達に関しては、ほぼ単独の友達だったり、どんな人が好きなのかということを、どう考えたりとかですね。正直そこまでいくと、私でも分かりません。彼女は内部に入れば入るほど、難攻不落になっていくんです。きっと彼女の本心を知っている人は誰おいないと思いますよ。たぶん、私は彼女本人にも分かっていないと思っていますからね」
というのだった。
「本当に性格を理解するには大変な女性だったんですね?」
という桜井刑事に対して、
「いえ、そうでもないと思うんです。大変だと思うのは、理解できない人が理解しようとしてできなかった時に感じるもので、私のように理解できてしまうと、それほど大変だとは思わないものなんでしょうね。世の中って、意外とそういうものなのではないでしゅか? 何に対して理解できるいうのか、最初は苦労しても、分かってしまうと、最初から以心伝心だったような気がするんです。きっと本当に最初から引き合うものがあって、相手を見ているから、理解することは、必然だったとしか思えないんじゃないでしょうか?」
と、彼女はいうのだった。
「それじゃあですね。あなたは、薬学部の鶴崎玲子さんとご存じですか?」
と聞かれて、
「鶴崎玲子さんですか?」
と名前を聞いてもピンとこないようだったので、
「この方なんですが」
と写真を見せると、
「ああ、この人ね。最近、康子と一緒にいるのを時々見たことがあったわ」
というので、
「見たことはあったけど、お名前まではご存じなかったということですね? 実はこの人が死体の第一発見者だったんです。通報をくれたのも彼女でした」
と、桜井がいうと、
「そうなんですね。でも、私は見る限りでは、そんなに親しい関係という様子でもなかったんですけどね」
というと、桜井刑事は少し不審に思い、
「でも、彼女、合鍵も持っていたんですよ」
という桜井の言葉に、今日一番の意外な表情を彼女はして、
「えっ? そうなんですか? 康子が合鍵を渡すなんで、正直考えられないんですけどね。一番の親友であるはずの私も合鍵を貰ったこともありませんし、合鍵の話題すら上がったこともありませんよ」
という彼女に、
「じゃあ、あなたは、康子さんから合鍵を渡すと言われれば、素直に喜んで受け取っていたんですか?」
という桜井の質問に、
「うーん、難しいところですね。簡単に受け取ったということはないかなと思います。まずは、彼女の真意を考えてみて、納得しなければ受け取らないでしょうね、他の人であっても、同じことだと思うんです。でも、他の人が相手であれば、真意を考える前に、素直に嬉しいと思ったことで、自分が頼られているんだという思いが強く、その思いに素直になろうと思うんでしょうね」
と彼女がいうと、
「ということは、あなたが、もし合鍵を貰うような立場になれたとしても、自分が康子さんに頼られているという思いには至らないということなんでしょうか?」
という桜井刑事に、
「ええ、そうだと思います。だから、今回のように、康子がその鶴崎さんという女性に合鍵を渡していたというのが、不思議なんですよ。康子が簡単に合鍵を渡すとも思えないし、相手の鶴崎さんも、簡単に受け取るという光景が想像もつかないんです。そういう意味で、二人は本当に友達だったのかな? という疑念が浮かんでくるんですよ」
という彼女に対し、
「というのはどういうことですか? まるで二人は親友ではないとでも言いたげなんですけど?」
と桜井刑事が聞くと、
「ええ、私はそう思っています。親友だから合鍵を渡す。つまり合鍵を渡す相手だったら親友に違いないという考えがそもそも違っているのではないかと思うんですよ」
と聞いてから、桜井刑事は間髪入れずに、
「じゃあ、合鍵を渡したという行為は友達だからだということではないと言いたいんですか?」
と聞かれて、彼女の方も間髪入れずに、
「ええ、私はそんな風に思っています。あの二人は親友というわけではなく、むしろ本当に友達なのか? ということさえ疑念に感じるほどなんです」
というではないか。
それを聞いて桜井刑事は、康子に対しての考え方を改める必要に駆られたということと、その分、この大学で起こった盗難事件の関係が、まんざらでもないように思えてくるから不思議だった。
作品名:意識と記憶のボタンと少年 作家名:森本晃次