意識と記憶のボタンと少年
鑑識というのは、本当に暗黙の了解だった。声を掛け合っているのだが、その声が聞こえるか聞こえないかくらいなのに、その声を分かっているのかどうなのか、それでも、スムーズに時間の無駄がなかったのだ、
鑑識がしばらくテキパキと捜査をしているのを見ていると、その様子が感覚的にマヒしてくるのを感じ、今度は時間があっという兄過ぎていくような気がした。
どれくらいの時間が経ったのだろう。自分では五分くらいのつもりだったが、結構経っていたような気がする。
「大体分かりましたか?:
という刑事の声が聞こえた。
「まあ、現場を見たところでの感じにはなりますが」
と言った、
「では、まず、死因は?」
と聞かれた鑑識官は、
「胸に刺さっているナイフで刺されたのが致命傷でしょうね。首などに扼殺痕がなかったことと、毒を服用もしていないようなので、刺殺で間違いないと思います」
と言った。
「死亡推定時刻の方は?」
と聞かれたが、
「死後だいぶ経っているような気はしますね。死後、九時間から十二時間くらいというところでしょうかね? 死後硬直もハッキリしているし、出血の凝固具合からも、死後九時間は経っているのではないかと思われます。もちろん、正確には司法解剖によることになると思いますね。胃の消化状態なども、分かるでしょうし」
と鑑識官は言った。
なるほど、胃の消化状態によって、死亡推定時刻から、食事を最後に摂った時間が分かり、そこから、足取りがハッキリしてくることもあるからだろう。
桜井刑事もそれくらいのことは分かっているので、今そのことを追求しても仕方がなかった。とりあえず、鑑識の話を聞くことにした。
「死後九時間以上ということは、日付が変わる前くらいまでは生きていたということになるんでしょうね。そうなると、彼女が昨日はこの部屋にすっといたのか、それとも、どこかに出かけていて、何時頃に帰ってきたのかということを調べる必要がありますね」
と、白石刑事が桜井刑事に言った。
「そうだね、このマンションにも防犯カメラってあるのだろうか?」
と言われて、
「ありますよ。私はこの部屋に入ってくる前、マンションの入り口で、防犯カメラがあったのを見ていましたので、あるはずですよ」
と白石刑事は言った。
「防犯カメラに何が映っているかを選別する必要はあるだろうが、まずは、それ以外のものを見て判断する必要があるのかも知れないな」
と、鑑識官が言った。
それを聞いて、桜井刑事も納得したように頷いたが、
「鑑識官として、何か気になるところはありませんか?」
と言われて、
「そうですね。胸を刺されて倒れたわりに、血が飛び散っている様子がないんですよ。正面から胸を刺されてから、きっと本人は即死ではなく、致命傷ではあったんだろうけど、すぐに倒れたわけではなく、座り込んでから、苦しむ時間があって、最後に力尽きて、倒れたんでしょうね。いきなり倒れたのであれば、胸に凶器がさらに突き刺さる形で、抉れるのではないかと思えるからですね」
と鑑識官は答えた。
「なるほど、確かにそこまでの血液は流出していないですもんね。胸が抉れたのなら、放射状に血が飛び散って、そこに、血の塊ができてしまうんじゃないかって思いますよね」
と、桜井刑事が答えた。
「たぶん、犯人には返り血がついていることはないと思います。だから、その人が落ち着いた態度でここから帰ろうとするのであれば、防犯カメラを見ても、誰が怪しいか、わからないでしょうね」
と鑑識官は言った。
「でも、犯行時間前後に来てから、すぐに帰った人がいれば、その人が第一の容疑者ということになるでしょうね、もし、指紋が残っていなかったとすれば、手袋をしていたかも知れないので、カメラに手袋が映っているかどうかも、監察点ではありますね」
と、白石刑事は言った。
「うむ、その通りだ。監視カメラの映像を見るのは、それが中心になるだろうね。だけど、帰りは犯行後少ししてからだと思うが、来たのは、もっと前かも知れないよね。何しろ人を殺すのだから、タイミングを見計らう必要がある。来てからすぐに相手を殺傷するなんて、普通は考えにくいからね」
というのが、桜井刑事の考えだった。
「ところで、動機は何なんでしょうね?」
と、白石刑事に聞かれた桜井刑事は、目線を鑑識官に向けた。
「何かを物色したような跡はなかったので、物取りでないことは確かでしょうね。そうなると、怨恨ということになるんでしょうけど、そこから先は刑事さんの管轄になりますね」
と、鑑識官は答えた。
「傷口というのはどうだったんですか? あなたは即死ではなかったように言っていましたけど、急所を少しでも外れていたのかも知れないということでしょうか?」
と言われた鑑識官は、
「少なくとも、素人の犯行であれば、なかなか即死に至らしめるのは難しいでしょうね。練習もできるわけではないですからね。でも、一つ言えることは、そんなに強く刺したわけではないということですね。刺した時のタイミングが悪かったのか、それとも、力が入っていないということなのかなのでしょうね」
というと、
「じゃあ、力が弱い、そう、女性や老人、子供の可能性が高いということでしょうか?」
と、桜井刑事に聞かれて、
「大いにそれはあると思います。傷口の向きから考えられると、下から抉られているのは確かなようですね。子供、老人、女性、そのどれもに当てはまるということでしょうね」
と鑑識官がいうと、
「子供というのはないんじゃないですか?」
と白石刑事が言った。
「どうしてなんだい?」
「だって、子供がナイフを持ち出して、大人を殺すというのは、なかなか難しいですよ。それなら女性の方が可能性があるのではないかと思います」
と白石がいうので、
「そうなのかな? 白石君は、子供は犯罪を犯さないとでも思っているわけではないよね? 中学生くらいになれば、平気で猟奇殺人を犯すということだって過去にはあったよね? バラバラ殺人の犯人を捕まえてみたら、中学生だったというようなね。精神に異常をきたすのは、大人だけではなく、子供だって、洗脳されたり、苛めに遭ったりしたことで、精神的に猟奇殺人を犯しそうな精神状態になることだって十分にありえるんだよね。分かっているとは思うけどね」
と、桜井刑事は言った。
「確かに、私は子供は犯罪を犯しにくいという感覚になっていたかも知れません。ただ、この被害者が、子供と結びつくという感覚がないんですよ。女や老人とであれば、何か接点があるような気がするんですけどね」
と白石刑事は言った。
「もちろん、いろいろ身元調査をしてみないと分からないが、女子大生が自分の部屋でナイフで刺殺されたということであれば、一番考えられるのは、痴情の縺れというのが一番可能性としてはありそうな気がするんだけどね」
と桜井刑事がいうと、
「それはどうでしょうか? この女性の部屋をさっき一通り見てみたんですが、男の影はあまり感じられないんですよ。少なくとも、同棲をしているということはないと思うんですけどね」
という白石刑事に、
作品名:意識と記憶のボタンと少年 作家名:森本晃次