意識と記憶のボタンと少年
国からの依頼も当然ストップ。大学は赤っ恥を掻いてしまい、教授は教授会からも除名されてしまったようだ。
それから、数か月の間に、教授は失踪したということであった。
社会的に抹殺されてしまった湯浅教授は、大学を辞めて、一人、余生を楽しんでいるのかと思うと、教授の一番弟子を自認していた男が、大学にやってきて、
「教授が消えてしまったんだ」
といって騒いでいた。
「どこか旅行にでも行ったんじゃないのかい?」
と言われて、
「いや、部屋の中はまったく変化がなかったんだ」
というではないか。
彼は教授から絶対的な信頼を受けていて、合鍵すらもらっているくらいだった。だから、教授の部屋に入ることは別にできないわけでもない。
しかし、そんな彼に対して黙っていなくなったということの方が問題だったのだ。それを彼が訴えたことで、さすがに一緒に研究をしていた連中も急に怖くなって、
「警察に届けた方がいいのかな?」
ということになり、最初に教授がいなくなったということを言い出した人が警察に行って、捜索願を届けたのだった。
教授は一体どこに行ったのか? 不思議な事件でもあった。
それからしばらくして、盗難事件についての現場検証が行われた。あくまでも、犯人が捕まったわけではないので、防犯カメラの映像にしたがって、映像を検証するというだけのことであったのだが、その中にいくつか不可思議な光景があったようで、検証も少し時間がかかったようだった。
一つ、気になったのが、
「犯人の行動」
だった。
その防犯カメラは、音声が残るタイプの防犯カメラだった。しかし、音声を広いのは、陳腐なマイクだったこともあって、遠くからかすかに音が聞こえる程度だったので、静かな犯行現場で聞こえてきた音は、犯人が警報センサーに触れて、警報機の音が鳴り出した時のブザーの音だけだった。
音と映像が微妙に違っているように見えたのは、それだけマイクの拾う音が低かったからなのかも知れないが、その瞬間、犯人が防犯カメラを睨みつけたように見えた。
しかし、防犯ブザーには本当にビックリしたようで、その時、引き出しから取り出した書類を見ながら、必要なものを選別しているように見えて、音が鳴った瞬間、慌ててそこまでの分を持って行ったようだった。
その様子を見て、研究員の人が、
「うーん」
と言って唸っていたのだが、それは、画面に映っている男について、
「おなしな行動をするものだ」
と感じたからのようだった。
検証に立ち会った刑事が、そんな研究員の行動を不審に感じ、
「どうされたんですか?」
と訊ねてみると、その男はそれを待っていたのか、それとも、自分が考えていることが大それたことのように思っているからなのか、もう一度、
「うーん」
と唸ったのだ。
そして、今度は落ち着いたかのように。
「彼の行動と、残された書類から、何か違和感を抱いたんですけどね」
と言い始めて、
「実は、あの犯人が持って行った書類なんですけどね。ちゃんと選別してあったんですよ」
というではあいか。
「それがおかしいんですか?」
と刑事が聞くと、
「ええ、この男は映像を見る限り、防犯ブザーに驚いていますよね? まるでセンサーを知らなかったようにですね。でも、その前に、チラッとだけど、カメラの方を浮いて、ニンマリと笑顔を見せたんです。つまり、やつは防犯カメラの位置を知っていたということですね。そして、ブザーには驚いた。これがまずおかしな点です」
というと、
「確かに、ここまではいいたいことは分かりますが、これだけなら偶然目が合っただけかも知れないともいえますよね?」
と刑事がいうと、
「それはそうかも知れませんが、やつは、ブザーの存在に驚いて、途中まで選別していた資料を、そこまで抜き取る形で持って行ったんですよ。でも、やつが持って行った資料というのは、そのすべてが、本当に必要なもので、残っているものが不要なものだけだとしっかり選別できているんです。ブザーで驚いて逃げ出したようには見えないのに、実際には驚いている様子を見せている。どうして、そこで終わりって最初から分かっていたんだろうか?」
と、彼は言った。
「ということは、あなたの説が正しい見解だとすれば、犯人は、内部の人間ではないかということですよね? 実際に研究に携わっている人。もし、犯人が自分の素性を知られたくないから、このような盗難事件をわざわざ引き起こしたのだろうけど、内部犯行だとすれば、隙を見て、写メを取るなど、やろうと思えばできないこともないんじゃないですか?」
と刑事に言われたが、
「それは無理ですね。ここのセキュリティはしっかりしていて、書類を表に持ち出そうとしたり、書類を写メに撮ろうとすれば、画像がおかしくなるような細工がしてあるんです。それを最初からしなかったということは、その細工を最初から分かっている人間の犯行だと言えるのではないでしょうか?」
と、研究員は言った。
「とにかく、目出し帽をかぶっているだけなので、犯人の特定は難しいかも知れないですね。体型として、ここの研究員に似たタイプの人がいれば、教えてくださいね」
と刑事は言ったが、刑事の方としても、
――まさか、内輪で犯人を警察に差し出すようなことはしないだろうからな。何かあったら、忠告をするくらいだろうな――
と感じたのだ。
「はお」
と男は答えたが、それ以上のことはしないだろう。
警察は湯浅教授の失踪も、事件に何か関係があるのではないかと思っている。しかし、責任に耐えきれずに失踪したのだとすれば、それも分からなくもない。
だが、、果たしてそうなのだろうか?
他の研究員の話を聞けば、あの時雄教授は変だという話ではないか。
「湯浅教授という人は、石橋を叩いて渡るような人なんですよ。その人が、セキュリティが普通の会社程度のものであるのを、まるで谷事おように楽天的に考えていたんですよね。案の定、書類が盗まれて、責任を取らされる形になってしまった。今までの教授からは、考えられないようなことだったんですよ」
というではあいか。
「確かに、それはおかしいですよね。しかも、研究においては責任者だったんでしょう? しかも、国家の機密に近いことなので、もしなくなったら、自分が責任を取らされるわけですよね。それなのに、そんなに楽天的だったというのは、どういうことなんでしょうね?」
と言われて、
「まさか、教授はすべてを承知の上だったということではないだろうか?」
と言い出した。
わざと盗みやすいようにしておいて、盗まれたことが分かって。自分が職場を追われることで、何かを達成させたかったのではないだろうか?
ただ、この考えは少し危険だ。
何があって、そんな危険を冒すというのは、湯浅教授は、そのままであっても、教授の地位、あるいは、いずれは学長の椅子や、博士として君臨することなど、いくらでも、出世や、社会的な地位を得ることができるのである。
それなのに、なぜ、失踪などということをするのだろう? 可能性はあっても、信憑性には乏しい。それを思うと、いろいろな想像が豊かになってくるのだった。
作品名:意識と記憶のボタンと少年 作家名:森本晃次