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意識と記憶のボタンと少年

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 と言ってもいいのではないだろうか?
「おっと、またしても、政府批判に走ってしまった」
 と、いうことで、話の筋を戻していこう。
 F大学の湯浅チームにおいて、一番考えていたことは、
「特効薬になる原料を、いかに簡単に、そして、加工において、難しくもなく、さらに、永久にその保持が可能なもの」
 ということをテーマに行ってきた。
 そして、最初にそれを達成できるものが何なのかということに辿りつき、それをいかに可能にするかということを考えると、一つの結論に至ったのだ。
「人間が元々持っているものであれば、取り出すことと、半永久的に保持ができるという面では可能であろう」
 と思われていた。
 しかし、問題は取り出せたものをいかに、加工して、難病克服に至らせるかということが大切である。
 ただ、考えてみれば、今までの特効薬というのは、人間の体内にあるものを使うということは行われてきた。そういう意味では、遅かれ早かれ。自分たち以外の研究チームも同じ発想に行き着くことは当たり前のことだろうと思われるのだった。
 それが今の医学の限界ではないかとも言われていたが、この方法ほど一番的を得ていると言ってもいいのではないか。
 大きな問題として、
「経費が少なくて済むということと、体内に元々あるものだから、副作用の問題も解決できるかも知れない」
 という思いであった。
 これは逆に毒薬の問題にも言えることであった。特に身体の中にあるものが、
「毒にはならない:
 というわけではない、
 単独では毒になるのに、他の物質と結びつくことで、毒になるというものであったり、逆に、単独なら毒なのだが、化学反応を起こすことで、薬にもなるというものはかなりあるだろう。
 何しろ、特効薬であったり、ワクチンにしても同じことである。
 身体の中に抗体を作るために、伝染病の中にある善玉の物質が薬になることだってあるのだ。
 そもそもクスリとして今使用されているものも、昔は爆弾の原料として使われていたりするものも少なくはない。
 有名なものとしては、爆弾の原料として一番危険な薬品の代表格であるニトログリセリンなども、実は心臓廟の特効薬として使われている。心臓病の発作が起これば、ニトログリセリンを服用することで落ち着いてくる。薬も危険なものに変わるということである。
 また、麻薬として使用が制限されているものの中には、鎮静剤として使用されている者もある。
 例えば、モルヒネなどそうではないだろうか?
 モルヒネは、麻薬としての覚醒作用があるのだが、それ以上に、癌患者などの痛み止めとしても重宝している。
 ひょっとすれば、モルヒネのような麻薬も、難病の特効薬として効果があるかも知れないということで、研究も進んでいる。
 中には爆弾としても使用されるトルエンなども、特効薬としてかなり前から注目されているということであった。
 身体の中にあるものも。実際に毒として使用されるものもある。元々身体の中にあるものだから、殺害にその毒を使っても、見つかりにくい場合もあったりする。
 つまりは、
「死因を、心臓発作などの自然死に近いものとして、事件にしたくない」
 という思いがある場合である。
 自分が捕まらないということにも繋がるが、もう一つには遺産相続などが絡んでいる場合など、事件にしない方がいい場合もあるからだ。
 体内にあるもので、薬になるものがどれほどあるのか、ということであるが、実は、
「クスリの成分のほとんどは、体内にもある」
 と言ってもいいかも知れない。
 そもそも、薬のように体内に取り込むのだから、薬をしての効果も当然のことながら、身体に対しての副作用がないことが同じくらいに必要なことである、つまり、
「せっかく病気が治っても、副作用でその後、悩まされることになるというのであれば、それは、本末転倒なことである」
 と言われるであろう。
 そんなクスリがいかに、副作用を出さずに、効果的に病気を治すかということであるが、このあたりの問題は結構難しい問題だ。
「核の抑止」
 にも近いものがあるが、核兵器は持っているだけで平和が守れるということであるが、つまりは、運用を間違えると、自国だけではなく、世界全体の消滅を招くということになる。
 格を作ったあと、その管理がどれほどの問題なのか。
 よく映画などで、独裁国家などでは、国家元首の執務室の机の上に、
「核の発射ボタン」
 が設置してあり、それをいつ押すかということが問題になるということである。
 つまりは、
「二匹のサソリ」
 というたとえ話と同じで、
「容器の中に、サソリを二匹入れておくと、一匹は相手を殺すことはできるが、自分も殺されるということを覚悟しなければならない」
 ということである。
 だから、そこには、
「力の均衡」
 が働き、
「先に動いた方が負けである」
 ということになるのかも知れない。
「動いたら、動いた方が負ける」
 という考えは、勝負ごとであれば、ほとんどのことに言えるのではないだろうか。
 さて、その考え方からであろうか。核兵器以外の兵器が、某国で開発されたという話を聞いたことがあったが、その兵器は核兵器に勝るとも劣らない力を持っているという。しかし、それを持っている国は一つしかないので、今は兵器の均衡が保たれているわけではない。
 そのために、他の国家は、いかにしてその秘密を探り出すかということが急務になっていた。
 日本ではそこまで気にしていないのは、その某国というのが、日本との同盟国だからである。
 実際にその情報は、国家の上層部しか知られていないのだが。情報というのは、どこから漏れるのか分からないが、巷では、
「核兵器に勝るとも劣らない兵器が開発されたという話がある」
 その国がどこであるかは、この情報を知っている人にとっては、公然の秘密のようなものであった。
 この兵器における、国家の存亡というところまでは言っていない。まだ開発に成功したと言っても、
「制御できるところまではいっていない」
 という話があるからだ。
 兵器というものは、平気だけではなく、平和利用にも役立てることができるものでないといけないというのが、今の考え方だった。
 核兵器も、元々は、
「ナチスドイツが、世界で最初に原爆を開発するだろう」
 という懸念を、当時の科学者が抱いていて、その代表であるアインシュタインが、アメリカ大統領のフランクリンルーズベルトに、手紙を出したことから始まった。
「マンハッタン計画」
 と呼ばれるものが起動して、それが、原爆開発に繋がったのだ。
 名だたる科学者が終結しての原爆開発には当然、それを制御するだけの力が一緒に備わっていないと、開発はできないということである。
 一歩間違って、
「空輸中に爆発」
 してしまったり、
「製作中に誤爆」
 してしまったなどということは許されないことなのだ。
 核兵器が誤爆すると、ヒロシマ、ナガサキの二の舞だ。
 いや、今の核兵器はさらに強力なので、一つの都市だけではなく、複数の都市を、いや、日本であれば、県単位で壊滅させられるに違いない。