臭いのらせん階段
「サラリーマンをしていると、人の使い方などはいいと思うんですが、どうしても職人としての気概のようなものはないので、店を始めた時も、職人気質の人を、従業員として雇うという気持ちが前のめりになってしまい、職人肌の人が、結構自我が強いということは聞いてはいましたが、どれほどのレベルカマでは知らなかったんです。自分で想像していたよりもさらにすごいだけの気質に、私の方が気おくれしてしまい。なかなか店主としてうまくまとめることができなかったのが、反省点でした。やはり脱サラからの起業というのは、結構難しいものがあるんでしょうね」
と山岸はいって笑ってた。
彼の入社がちょうど半年前。そんな反省を口にするということは、その心の裏には、
「新しく入った会社では、店主の時の苦い経験を生かして。今度こそ、人心掌握をうまくやりたい」
という気概をしっかり持っていると思ったことで、総務部に配属させたのだが、その思いは間違っていなかったようだ。
起業する前のサラリーマンの時代も、総務部に所属していたという。
その時は、備品や社内在庫、物流経費などの業務を行っていたという。敏子もそういう雑用的な部分も担ってきたこともあったので、自分がパンクしかかっているのを感じていた。
特にパンデミックの時代にどこまでできるのかということを考えながらやっていて、混乱の中、何とかなったのは、きっと気力だけはしっかりしていたからだろう。
だが、もしまた似たような混乱があった時、再度うまくできるかというと、さすがにきつい気がした。そこで、自分の業務の一部分でも他の人に任せられればいいと思っていたが、総務部の現社員だけでは、皆がほぼ手一杯だった。
そこで、総務部の雑用的なところを一手に引き受けてくれる人材が欲しかったのだ。それも今回の採用を上層部に進言した理由でもあった。
「どの部署も、一名ほど採用してほしいという要望がありましたので、私から進言させていただきました」
と言って、上層部が承認することで、今回の採用が実現したのだが、総務部的には新たな人材を入れたことは正解だと思っていた。
しかし、彼らが入社して半年ほどすると、いろいろ歯車が狂ってくることになったのだった。
シンナーの臭い
今年の夏は、例年に負けず劣らず暑かった。
日が暮れても、まだ三十度以上の気温があり、日中は、平気で猛暑日を記録している。そんな時は風が吹いてきても、生暖かく、
「風が気持ちいい」
などということはなく、
「まるで、熱いお湯に浸かっている時に、湯をかきまぜた時のようだ」
と言えるくらいであった。
体温よりも低い時は、風が吹いてくると、涼しいと感じるものだが、気温が体温よりも高くなると、吹いてくる風は、風呂場でかき混ぜた時のように、ただの熱風になってしまい、これでは風がない方がましだったのだ。
「熱中症には、くれぐれもご注意ください」
としつこいくらいに、天気予報では言っているが、実際に寝中傷になったことのない人にはピンとこなかった。
確かにうだるような暑さには閉口し、直射日光が髪の毛に当たり、頭がどれほど熱を帯びているのかを考えると、頭がボーっとするのも、無理もないことだと言えるのであった。
「そういえば、昔は日射病って言っていたような気がするな」
と、上司が言っていたことがあった。
「日射病ですか?」
と、あまり聞きなれない言葉に、敏子は聞きなおした。
「ああ、そうなんだよ。私たちの子供の頃はまだ昭和だったので、その頃は日射病には気を付けてと言われていて、逆に熱中症などという言葉は聴かなくなりましたね」
と言っていた。
調べてみると、
「熱中症とは、暑熱環境下においての人間の身体適応の障害によって起こる状態の総称である」
と書かれていた。
つまり、日射病は熱中症の一種ということになる。
日射病は、直射日光照射が原因で起こる熱中症の一種と考えればいいのではないだろうか?
それを思うと、日射病も熱中症も、表現上の違いということだけであり、大した違いはないということなのであろう。
いつ頃から表現が変わってきたのかは定かではないが、上司の話としては、猛暑日などと言われるようになったころからではないかという話であった。
「ということは、昔は猛暑日などというのもなかったわけですか?」
と聞くと、
「ああ、そうだよ。猛暑日というのは、三十五度以上でしょう? 昔は夏の暑さと言っても、行って三十三度がいいところだったよ。それ以上なんて、ほぼ考えられなかったからね。だって、昭和の頃はクーラーがどこにでもあるなんて信じられなかったんだからね。通勤電車でさえ、扇風機に、窓を開けていただけさ。今だったら、風が今度は暑くて耐えられないだろう? それを思うと、暑さの違いがどのようなものだったかということは容易に想像がつくというものさ」
と言っていた。
なるほど、夏の暑さがどれほどのものだったのかということは、なかなか想像がつかないが、クーラーのなかった時代であれば、三十三度でも、耐えがたかったに違いないだろう。
そんな夏の暑さを今ではクーラーがあれば何とかなっている。
だが、実際には、表で炎天下に仕事を余儀なくされる人もいる。しかも、ここ数年のパンデミックによって、マスク着用がほぼ強制になっている。
「暑さに伝染病」
完全にダブルパンチだと言えるであろう。
一時間に十五分くらいの休憩を入れることを、エコモプライズでは、義務化するようにした。それを守るのが上司の役目で、守られていないということが分かれば、上司は責任問題だった。
もっとも、これはエコモプライズだけではなく、多くの会社で、時間の差こそあれ、実行されていることであろう。
「快適な職場環境」
これも、今のコンプライアンスを重視する会社のあり方であったり、政府が推進しようとしている、
「働き方改革」
であったりする。
もっとも、この働き方改革という考え方も、そもそも、政府が経済復興のために行っていることであり、例えば休日を増やしたり、祝祭日の移動させても構わない休みを、月曜日に持っていくなどという考えがあった。
ちないに祝日の中で、
「成人の日」
などのように、途中に、
「の」
という言葉が入っている祝日は、移動させても構わないことになっている。
それを利用しての、
「ハッピーマンデー」
などという言葉はまさにそのための言葉であった。
なぜ、政府が、
「働き方改革」
を推進するかというと、別に従業員に楽をさせるためではない。
休みを集中させることで、バカンスに出かける人が増えると、お金をたくさん使ってくれるという考えである。
お金をたくさん使うということは、それだけ経済が回るということで、不況回復に一躍買うことになる。
つまり、従業員のためなどではなく、経済を復興させることができると、
「あの首相は、経済復興を成し遂げた総理大臣」
ということで、自分の成果になるだろう。
それを狙っているのだ。
確かに経済が復興すれば、首相の手柄だと言えるだろうが、まるで国民を騙すようなやり方が果たして、