小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

臭いのらせん階段

INDEX|5ページ/27ページ|

次のページ前のページ
 

 一見、ポーカーフェイスな説得に思えるのだが、力の入れどころに、絶妙な技があった。そのおかげで、訊いている方は、説得力が一度も下方を向くということがなく、綺麗に坂を駆け上がっているように見えるのだが、その実、途中で一度気付かれないように下に下がって、その勢いを駆け上がるように、飛び出す勢いがあり、目に見えない力が説得力として彼女の中に君臨していることが、上司の考えが付け入るところがないほどに、相手を洗脳できているようだった。
 つまり、意見は敏子からのものであるにも関わらず、説得している相手が、まるで、
「今考えていることは、最初から、自分で考えていたことなんだ」
 と思わせるほどに、さりげなく相手の気持ちに入り込んでいるのだ。
 この絶妙の、相手に触れるか触れないかという指触りのテクニックが、敏子の能力であり、いつの間にか、敏子という人物と話をしていると、話をしているだけで、何か心地よい癒しに感じられるということが、洗脳に繋がっているのだった。
 だが、この洗脳は悪いことではない。別に悪いことをするために、相手の気持ちをコントロールするわけではない。営業の人だってそうではないか。相手の気持ちに入り込んで、いかに相手を気持ちよくさせて商品を販売するかが、営業テクニックと言われるものであろう。そういう意味で、敏子は営業に向いているのかも知れない。
 だが、本人は、総務の仕事に固執しているようで、もし営業へ配属と言われると、たぶん、迷わずに退社を選ぶだろうと思っている。
 もっとも、彼女を総務が手放すわけもなく、そんな転属など最初からありえないのだが、営業部長としては、彼女のような営業が一人でもいれば、部全体のノルマは、彼女がいるだけで達成できるのではないかと思うだけに、もったいないと感じられた。
「いつも、達成未達成ラインを行ったり来たりしていて、目標達成回数は、半分にも満たないが、未達成の時でもあとひと踏ん張りだと言っているのに、何が悪いのか、最後の力が足りないのだ」
 と思っていた。
 そんな中で、
「白鳥君がいてくれれば」
 と、何度営業部長は思ったことか。
 総務部として顔を合わせなければいけないだけに、余計に総務簿に白鳥敏子というだけで、余計に苛立ちが募ってくる。そういう意味で、営業の他の社員も、いつも領収書の件ではチクチクと苛められているだけに、苛立ちの思いはどうしても、顔から出てしまうのだった。
 だからと言って、敏子が悪いわけではない。どちらが悪いかと言えば、ほとんど営業部の連中に勝ち目はない。彼女の正論に立ち向かえる人は影響にはいない。そもそもそこが営業部長の頭の痛いところであった。
 必要経費を使わなければ、営業を取ってくることはまずできない。営業としてのセンスに欠けているのではないかと、部長は思っていた。
 確かに部長の時代の営業とはかなり変わっていることだろう。
 部長の時代は、バブルが弾けて、経費節減が一番の問題だった頃で、それまでほとんどの仕事を正社員ですべて賄ってきたのだが、経費の問題から、アルバイトや正社員にでもできるような仕事はその人たちに任せて、営業に専念するようになった。
 その代わり、社員はグッと人数を減らされて、リストラという名の下、残っている社員も、さぞや毎日胃が痛い思いをしたことだろう。
「営業不振が続くと、リストラされる」
 と、ビクビクしていた。
 今では当たり前のようになったリストラという言葉も、バブルが弾けて、経費削減の中の、人件費削減という意味合いのリストラという言葉であった。
 しかし本来のリストラという意味は、英語のリストラクチャリングという単語の訳である、「再構築」という意味であった。
 本来の意味としては、組織の再構築という意味で使われていたが、日本で使うようになった時は、不採算事業からの撤退であったり、部署の縮小などに伴っての「従業員削減」、つまりは、人件費削減ということを差すようになった。
 つまりは、合理化や、解雇という言葉がそのままリストラとして解釈されるようになtってきたのだ。
 正社員を整理した後、業務を専門会社に委託するというアウトソーシングなどの考え方や、非正規雇用社員としての、パートは派遣社員などを雇うことで、経費を節減しようという考えである。
 この会社も、そこまでひどいリストラ策を取ってきたわけではないが、今のところ酷い落ち込みもないので、社員としては安泰だが、これからの時代、いかにここ数年におけるパンデミックの影響が経済に及ぼす影響は計り知れないと言われてきた。
 どこの企業もボロボロで、国家財政も疲弊している。
 金をどこに掛けなければいけないのかということも見失ってしまうほど、国家愛誠はひっ迫していて、それを扱う人間もロクなものではない。
「増税増税で国民を締め付けて、かといって、社会福祉へのお金も滞ってしまう。医療費は国民に背負わせることにして、自分たちが積み立ててきた年金も怪しくなってくる。それなのに、政治家はこの期に及んでも、甘い汁を吸うことだけしか考えていない。利権と私欲の塊りが政治家だと断言してもいい時代になってしまった」
 と、すでに国民に政府を期待する声などなかった。
 もっとも、選挙にいかなかったのが有権者である。
「支持率が下がれば、与党が当然のごとく勝つ」
 というのが、世間の通説である。
 そこまで分かっていても、選挙にいかないのだ。
 もっとも、野党がまったくもってだらしないので、
「あんな野党に国家を任せるくらいなら、どうしようもない今の与党の方がマシだ」
 ということになって、与党が勝っても、しょうがないという図式になる。
 そのくせ、世の中が悪くなってくると、率先して政府批判をするのが、選挙にもいかない連中だ。したがって、よくも悪くも、表に出てくるのは、何もできない、いや、参加しようともしない連中がただ吠えているだけなのだ。
 政府ばかりが悪いわけではないという意見もあるが、まさしくその通りではないかと思えるところが、この国の現実を突きつけられているようで、恐ろしい。
「できることなら、政治家を誰かがリストラしてくれないかな?」
 ということを思っている人がいたりするのだろうが、しょせん、後先のことなど考えてもいない人が、そんなことを考えているに違いないと感じていた。
 敏子は、そんなリストラという言葉が流行った頃を知らないので、バブルが弾けた頃、そしてリーマンショックという大きな不況は知らない。しかし、今少しずつ忍び寄ってくるパンデミックによる不況の波を感じ始めていたのだ。
 パンデミックの最中、自粛や販売に際してのかなりの制限があったために、中小の飲食店や、卸、製造と言った会社で、零細企業と呼ばれるところは直接、まともに商売に支障をきたすことになる。特にたくわえなどなく、自転車操業をしていた会社などは、数か月で先行かなくなる。
 そもそも、自転車操業というのは、途中に赤字があっても、すぐに収入で、補えるというものなので、マイナスになった時点で、収入が当てにできなければ、坂道を転がり落ちるというわけだ。
作品名:臭いのらせん階段 作家名:森本晃次