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臭いのらせん階段

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 そんな中において、最近起こった事件の中で、臭いが影響しているものがあった。まずは、最初の発端になった事件について話をしなければならないと思う。ここ最近において、世の中にアルコールの臭いが蔓延ってきたということは、伝染病予防という広義の意味で、パンデミック予防が、他の伝染病関係においても、効力を示してきたというのは、ケガの功名だったかも知れない。
 少なくとも、パンデミックの間、季節風インフルエンザがほとんど流行らなかった。
 例年であれば、予防接種を十月うらいから開始して、年が明けても、予防接種の予約ができるくらいだったが、パンデミックの間は、十月中旬から予約を開始できるようになっても、一週間もして病院に予約を入れようとすると、
「今年のインフルエンザの予防接種の受け付けは終了しました」
 と言われるのだ。
 パンデミックにインフルエンザ。とりあえず、昔からのインフルエンザの予防だけは確立されているのだから、予防接種を確実に打とうという人がほとんどなのだろう。
「一緒に罹ってしまえば、目も当てられない」
 とでもいう感じであったが、幸いなことに、パンデミックの間はインフルが流行することはなかったのだ。
 その原因として、
「伝染病予防のマスクやアルコールが功を奏しているのだろう」
 と言われているが、その時に流行っている伝染病との関係が明らかになっていないことで、実際には何も言えないのだろうが、
「流行っている伝染病のウイルスが強いおかげで、インフルエンザウイルスが死滅してしまうのではない?」
 という考えは成り立つのではないかと思われるが、その確証は得られていない。
 少なからずの影響はあると思われるが、確証がないだけに、迂闊なことは言えないのだ。
 それを思うと、伝染病が他の伝染病の効力を打ち消すということがあるのだとすれば、
「目には目を、歯には歯を」
 という言葉にもあるように、敵対するウイルスが、特効薬として使えるのではないかということで、そっちの筋から重ねられている研究もあるのではないだろうか。
 そんな状態で、パンデミックがある程度収束してきても、ウイルスg死滅したわけではない。どういう意味で、アルコール消毒は日常でも行われるようになり、マスクもしている人はしているという状況になってきた。
 変異を繰り返し続けてきた悪性のウイルスは、落ち着いてはいるが、いつまた変異して活発になるかも分からない。
 しかし、人間というものは、危機が少しでも背を向ければ、ある程度忘れていくものである。
「身に染みていたはずなのに」
 と、一度罹った人も治ってしまうと、まるで他人事という感覚であろうか。
 それを思うと、恐ろしいという感覚であり、街中に溢れているいろいろな臭いは、ひょっとすると、いろいろな悪臭が混ざり合って、却ってうまいバランスで、無臭になっているだけなのかも知れない。
 臭いがまったくないなどという物質はほとんどないと思われること考えると、無臭という状態は、無臭になる可能性がある、実に稀な状況を作り出した、素晴らしいと言えるくらいの偶然なのかも知れない。
 そんな中で、臭いのきついものは他に何かあるか?
 と言って皆は何を思い出すだろう。
 昭和の時代ほど、町工場がいたるところにあるわけではないので、ピンとこないかも知れないが、今でも工業地帯と呼ばれるところは、昔ほどではないまでも、、公害の元になったであろうと言われる、煙突の煙や、下水などという悪臭を放つものは存在していることであろう。
 それを思うと、新たに次から次へと発生する新型ウイルスというのも、元々の公害問題からの波及かも知れない。
「どこかの兵器開発が元になったのではないか?」
 という話もあったが、根拠としては薄い。
 その理由としては、自然環境に配慮した新たな開発への取り組みが行われているにも関わらず、頻繁に発生する芯がTウイルス。これは自然現象と考える方がいいのかも知れない。
 ただ、人工的に作られたものであれば、
「開発をやめさせることで何とかなることだが、今の科学力で、自然現象によって生まれるウイルスを発生前に予防することは、ほぼ不可能に近いだろう。発生してしまえば、発生したで、それをいかに解決するかということが問題になるのだろうが、そう考えると、自然現象に比べて、まわりからの圧力で何とかなる場合もあるのではないか?」
 と考えられるのではないだろうか。
 自然発生のよるものは、基本的に、そのウイルスの全貌を知ることがスタートラインだ。
しかし、このスタートラインに立つだけでもどれだけの労力と頭脳の終結、さらに時間が必要となるかということを考えれば、一つの禍の根を断ち切るということがどういうことなのかを身に染みて誰もが感じることになるのだろう。
 考えてみれば、二十一世紀になってからというもの、一国だけに限らず、せめて地域単位で流行した伝染病がいくつあるというのだろう。
 そのうちの数個しか日本に影響を及ぼしたものはなかったのだろうが、数個でも多いのではないかと思う。
 伝染病にはいろいろな特徴があり、感染力の高いもの、致死率が高いもの。また感染経路によっても、いくつかの種類に分けることができる。
 たとえば、血液感染、空気感染、接触感染、飛沫感染などである。
 さらに、もう一つ厄介なのは、潜伏期間の問題である。
 数時間から数週間のものもあれば、長いものでは、五年から十年というものもある。
 それが一番致死率が高い病気というだけに、恐ろしいものである。
 やはり何と言っても恐ろしいのが、重症化率と、致死率などの関係であるが、かといって、一日の感染者数を甘く見てはいけない。
 政府が途中で、
「感染者数は増えては来ているが、重症率はそうでもない」
 などと、寝ぼけたことを言っていたが、気付けば医療はひっ迫し、医療崩壊が起こっているのに、そのことに一番気付いていなかったのが、政府だという、何とも情けないことになっていたことがあったくらいだ。
 政府は、方針は口にするが、それについての具体的な指示は国民にはしない。
「国民を縛るわけにはいなかい」
 というようなことを言っていたが、そんな甘っちょろいことを言っている場合ではないといことは、小学生にだって分かりそうなものだ。
 一番危機感がなく、さらに頭が悪く。さらに判断力のない連中が、政府で政局を握っている連中だということは、これほど恐ろしいこともないのだろう。
 もちろん、政府にばかり文句を言っていても始まらないということは分かっているが、最終的には方針を決めるのは政府だ。少なくとも、国民を導いていかなければいけない人たちがこれほど情けなく、しかもトンチンカンだということは、どうしようもないことなのだろうか。
 ハッキリ言って、問題になる連中に、問題意識すらないのであれば、情けないで済まされることではない。
 もうそうなると、税金泥棒のレベルではない。
「国民は、瓦解する政府の道ずれに、集団で殺されていくようなものである」
 と言えるのではないだろうか。
「国民が政府に殺される」
 そんなバカげた世界が今の時代に存在するのか?
作品名:臭いのらせん階段 作家名:森本晃次