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臭いのらせん階段

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 そのため世論は、政府批判を行ったり、政府への不信感をあらわにしてしまう。あからさまな政治介入をしているわけではないが、やっていることはそれ以外にはないだろう。
 ここまでの、一部のバカな国民、そしてマスゴミと呼ばれる連中の共通点は、何と言っても、自分たちだけのことしか考えていないということであろう。
 そういう意味では第三番目の戦犯m同じことが言えるのだが、一番自分たちだけのことしか考えてはいけない連中である。つまり、それは一番公共性及び、拘束力を持った存在であるということなのだ。
 三つ目の戦犯は、時の政府である。
 もちろん、上二つに関しては。一番悪いのは、それぞれの連中なのだが、そんな連中をのさばらせたりした原因を作ったのは、政府だからだ。
 確かに世界的なパンデミックが起こってしまったのは、自然災害に近いということで、どうにもならないことだったのかも知れない。
 しかし、起こってしまったことで、次第に解明されていったり、諸外国での対応などを見て学ぶところが学んでいき、それが蓄積されることで、政府の政策が洗練されてくれば、政府としての責任は果たせていると言えるのだろうが、二年、三年も経っても、まったく最初と変わっていないというところが、腹立たしいのだ。
 一番の問題は、国民に対して、緊急事態宣言の発出による、店舗の時短営業、自粛による一時閉店を余儀なくされたとしても、その理由をハッキリと言わないことだ。
 マスゴミがしている質問に対して、レコードの針が飛んでいるかのように、どの質問をされても、同じことしか答えないという、まるで、一つの言葉しか喋ることのできない、
「喋るぬいぐるみ」
 のようではないか。
 そんなバカな連中の多い政府のいうことなのだから、誰がいうことを聞くというのだ。
 確かに、自分のことしか考えていない連中がA級であるとしても、それらの人たちが、自分のことしか考えないようになったのは、政府が発信する、国民への言葉であったり、マスゴミによる情報操作なのだから、無理もないとはいえるが、子供じゃないんだから、大人がそんなことも分からないのかというレベルの問題だ。マスクをしないとか、大勢でたむろして、大声で喋りまくるなどと言った。真面目に生きている人たちから見れば、自殺行為に見えるのだが、やつらが自分で病気に罹る分には自業自得なのだろうが、人に移す可能性があり。しかも、感染者が増えてくると、医療がひっ迫し、そんなバカな連中が入院しているので、真面目に暮らしてきた人たちが、治療も受けられず、苦しむという何とも理不尽な世の中になってしまうのだった。
 確かに戦犯という意味での順位は今の順番であろう。
 しかし、こんな世界を作った原因というのは、順番的には逆なのではないだろうか。それを思うと、世の中に対する思いも若干変わってくるというものである。
 どこまで信じていいものなのか分からないが、ある程度パンデミックが落ち着いてくれば、それらのことを検証する時間ができたというのに、人間がおろかなのか、
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」
 という言葉のように、嵐が過ぎ去れると、まるでなかったことのように、なってしまうのは、人間としての悪い部分なのかも知れない。
 ただ、政府やマスゴミと違って、最前線で痛い目にあった人たちは、決して有事のことを忘れないだろう。
「もう、マスクをしなくてもいい」
 と言われ出したとしても、一部の人たちは、
「マスクを外すのが怖い」
 と思っている人もいるようだ。
「マスクがないと、気持ち悪い」
 と、心配だというよりも、マスクをすることが安心に繋がるということが、マスクをする異議だと考えることで、まず句を外せなくなったのだろう。
 きっと、まだ数年はマスクを外せない人たちがいるだろう。しかし、パンデミックが収まってくると、今度は、そんなマスクを外せない人たちの行動を逆手にとって。それを利用しようと考える輩が出てくる。
 マスクをするというのは、何よりも人相が分からないということで、犯罪に使われることが多いのだ。
 全員が全員マスクをしている時は、、犯罪どころではなかったのだろうが。一段落してくると、それまで収まりかけた世の中に、不穏な空気が淀んでくる。
 だが、考えてみれば、パンデミックが起こる前は、当たり前のように犯罪が多発していて、小さな事件から大きな事件まで、新聞を賑わしていたではないか。
 今から思えば、新聞やニュースになる記事が、まったく起きなかった日など、ありえない。
 新聞のページ数に若干の増加現象があったとしても、社会面や総合面の記事がまったくないなどありえないだろう。
 一日を取ってみれば、どの地域でも、新聞記事になりそうなことが、いくらでもあるのだ。
 世の中、話題性には事欠かないということなのだろう。決して喜ばしいことではないことくらい。普通の理性を持っている人間であれば、分かり切っていることであろう。
 さて、そんな世の中を、五年単位で遡ってみると、直近の五年間が、どれほど波乱万丈であったのかが分かるというものだ。
 パンデミックが起こる前、そして、パンデミックが起こり、世界的に、世の中の光景が一変して、今までの常識が通用せず、新たな常識が、数々生まれてきた。
 それが、有事というものであり、パンデミックというものだろう。
 政府も支持率が最低で、デッドラインであったのだが、パンデミックのおかげで、政権交代も恐ろしいという意見と、今の政府ではダメだ。しかし、他に誰もいないという状況に、どのように考えればよかったのだろうか?
 そんな世の中において、最近気になるというか、パンデミックの時から執拗な感覚であり、最近では慣れてきたはずなのに、慣れながら意識をしているのは、別に嫌いではないからだろう。
 それは臭いであった。
 何の臭いかというと、消毒のためのアルコールの臭いである。パンデミックが流行り出した時から、店舗の前、会社の前、自宅の玄関の前と、いたるところに備えられているアルコール消毒の容器、店に入るにも当然のごとく、アルコール消毒が当たり前になった。
 そういえば、以前に読んだ小説の中で、神経質で潔癖症の人を表す言葉として、
「人が自分の机やいすに触れたというだけで、いちいちアルコール消毒をしたってくらいの人」
 というような表現があったくらい、以前は却って相手に失礼だという感覚だったものが、今では消毒をしないと、白い目で見られる。マスク着用とセットのようなものである。
 そんな時のアルコールの臭いであるが、以前は嫌いだった。まるで病院のような臭いだと思っていたのだが、パンデミックになってから、どこにいってもアルコールの臭いがあるので、却ってその臭いがしてこなければ、不安に感じるくらいになっていた。
 それだけに、アルコールの臭いが、好きになってきたという人も少なくはないのではないだろうか。
作品名:臭いのらせん階段 作家名:森本晃次