中途半端な作品
とばかりに話をして、
「それじゃあ、俺が品定めをしてやる」
とでもいったのか、笠原が思うには、そういうことだったのだろうとしか思えない。
それを考えると、
「俺って舐められていたのか?」
としか思えない。
確かに、恋愛経験がなく、失恋した女性から見れば怖く感じたのかも知れないのだが、だからといって、別れた男に相談し、男の方も、別れたくせに、友達面なのか、それとも、今でいうマウントを取りたかったからなのか、出張ってくることもないだろうというものだ。
本当に間違いないとは言えないが、さすがに状況証拠は、これ以外を差してはいない。
じゃあ、笠原の立場はどうなるというのだ?
「俺は、こんな女を好きになったというのか?」
と考えると後から別の考えが頭に浮かんできた。
「その時まで俺は、聡子のことを何とも思っていなかったはずだ。友達としては、話をして楽しかったので、女性の友達の中で一番気心の知れる人だと思っていた。それは尊敬の念を感じていたからで、ひょっとすると、恋愛感情なんておこがましいとまで思っていたからなのかも知れない。しかし、それがどうして恋愛感情に変わったのか? そして、なぜ、偶然、彼女が別れたというタイミングで彼女に告白する気になったのか? ここには、よくも悪くも彼女に対してそれまでと違った感情が生まれたからだと感じた。彼女が彼がいたことで、堂々とした佇まいに、尊敬の念があった。余裕が感じられたからだ。しかし、彼女は失恋し、そのショックで、普通の女の子に成り下がった。それを見た時、俺はきっと、今の彼女なら、俺でも行けるんじゃないか? などという浅はかな考えが浮かんだのかも知れない。そう思うと、本当に好きだったのかどうかも怪しい気がしたが、少なくとも彼女の余裕のある凛々しい態度は好きだったのかも知れない。しかし、いくら余裕がなくなったとはいえ、二人とはまったく関係のない俺を、元カレに品定めをさせるなど、ありえないことではないだろうか?」
と感じたのだ。
その時の笠原は、怒りを通り越していたのかも知れない。自分に対しては、実に情けなく、自虐しかなかっただろうし、彼女に対しては、怒り? 恨み? 他にもありとあらゆる悔しいものが渦巻いていたに違いない。
「俺は、こんなやつに嫉妬をしていたんだ。バカバカしい」
と、自虐だった自分が恥ずかしいくらいだった。
ここまで思えたということは、意外とショックは少なかったようだ。一週間もしないうちに、立ち直り、
「そうだ、この思いをせっかくだから、小説にしちまえばいいんだ」
と感じた。
名前さえ伏せておけば、笠原と聡子の関係性や、ましては、品定めをされたなど、聡子が他人に話をしていない限り、分かる人もいない。
そもそも、誰かに話していていたのなら、聡子も大概な女だということになる。本当に救いようのない女だと言えるのではないだろうか。
笠原が書いた、その時の心境を描いた恋愛小説。結構人気があったのだ。
それから笠原は、自分が小説を書くことに自信が持てて、
「趣味としてこれからも書いていっていいんだ」
と思い、自分独自に、自己満足のために、ずっと書き続けることになった。
たまには、文学新人賞などにも応募してみたが、しょせんは、見る目があるのかどうなのか分からない。素人の、
「下読みのプロ」
と呼ばれる連中の、勝手な裁量で、ほとんどが一次審査通過すらかなわなかった。
「まあ、いいわな」
と考えていた。
前述の通り、大学卒業と就職活動を危ないところで何とか達成し、入社したのが、出版社だったというのも皮肉なことだった。
出版社で出版の仕事に携わっていると、それまで想像していたよりも、さらにブラックで闇も深そうだった。
プロの先生を見ていて、なかなかアイデアが浮かんでこないのを見ていると、
「アマチュアで勝手に好きに書いている方が、アイデアなんて湯水のように湧いてくるものだ」
と感じていた。
何よりも、出版社のいう通りにしなければならないということはなかった。出版社がどれほどのものか、考えてみると恐ろしかった。
プロ作家になるには、前述で記したように、新人賞に入るか、持ち込みでしかないというものだったが、新人賞に入選しても、そこで終わりの作家も結構いるのだ。
まるで、プロスポーツのようではないか。学生野球、社会人野球で活躍して、鳴り物入りでプロに入ると、すぐに消えてしまったという選手。
学生時代がピークだったのか、それとも、アマとプロの違いが歴然としているからなのか、事情によって違うだろうが、小説の世界は、アマであれば、いくらでも勝手なことができる。倫理や法律に違反さえしていなければ、どんなことを書こうとも自由である。笠原はそこを狙っていたのだ。
出版社での仕事のストレスも、彼の小説の恰好のネタになっていた。
嫉妬というのも実はあったりする。自分が相手にしているプロは、自分の好きなようにできないことで、
「自分はならなくてよかった」
と思うのだが、やはりそんな人たちを、
「先生、先生」
といって、おだて透かして、やる気にさせなければならない。
これが営業というものであり、編集者の本来の仕事は営業なのだ。
だから、相手がプロだと思っただけで、嫉妬するのだ。
「自分の作品が形になって、本屋に並ぶ。これが物書きの究極の喜びではないか。確かに缶詰めになったり、自分の意見が通らなかったりして辛い状態ではあるが、それでお先生先生と言われてヨイショされるのだ。嫉妬がないわけはないではないか」
と考えさせられるのだ。
嫉妬と、ストレスと、小説家になれないやるせなさ。そんなものが入り混じって、自分の中で、妄想を作り出す。
三十歳過ぎたあたりから、小説を書くのが楽しくなってきた。それまでは、妄想を書き連ねるということが楽しいと思っていたが、文章を捻り出したり、ストーリーを考えたりするのが苦痛であったのだ。
だから全体的に見ると、
「小説を書くことはきついという意識の方が強い」
と思っていた。
それなのに、三十を過ぎてから、三十五歳になるまでは、一日に一時間でも充実して描く時間が持てれば、それで十分だったのだ。
書く内容は、あくまでも、ストレス、嫉妬、それらから思いうかんできた妄想を書き連ねるだけだった。途中で考えてしまったり、筆が止まってしまうと、書くことができなくなるだろう。
三十歳になると、ワープロで書き始め、三十歳後半くらいからが、パソコンに移行した。今まで肉体的にきつかったのだが、鉛筆やペンではなく、キータッチでできるということで、一気に書ける量が増えていったのだ。
基本的には、推理モノであったり、SFモノというものを書くのが好きだったのだが、この時は、恋愛ものを書いてみようと思い、今までの恋愛経験からのどれかをモチーフにしようと思って考えていると、どうしても、最初の聡子との話に行き着くしかなかった。
ただ、この頃は、自分が本当に聡子のことを好きだったのかというと、今から思えば疑問であった。