中途半端な作品
だから、告白をしないという選択をしたとしても、それは可能性がゼロだったから、告白しないわけではなく、限りなくゼロに近いのであるが、告白しないことがゼロではないということを納得しないと、結局、どっちつかずになってしまい、
「告白することが、自分にとっての、言い訳になってしまうのではないか?」
という感情を抱いてしまうことを嫌ったと言ってもいいだろう。
とにかく、いろいろ考えたが、結局告白することにしたのだが、これがまだスタートラインにも立っていないということを分かっていたのだろうか?
「この場合のスタートラインというのが、そもそもどこになるのか?」
ということである。
「告白して、相手から答えを貰うことなのか?」
それとも、
「もし成功すれば、付き合い始める」
というところなのか、
「失敗してしまったら、その時は精神的な乱れが生じるであろうが、精神状態を元に戻して、感情をリセットした時」
なのだろうか、そこが問題だった。
告白するということの目的がどこにあるかによって変わってくるのであろうが、考えてみれば、好きだという感情に変わりはないと思っている。
しかし、付き合うとなると、話は別だった。
何と言っても、相手は自分が嫉妬してしまうような実力の持ち主である。そんな人をそもそも好きになったということが、自分のプライドが許さないという感情に繋がっていたはずだ。
付き合うということは、完全にプライドを捨てて、欲望だけに突っ走ってしまっているということになる。いや、
「達成欲を犠牲にして、恋愛という欲望を手に入れる」
ということであり、この感情が、
「プライドが許さない」
ということになるのであろう。
ただ、自分が玉砕するであろうということは最初から分かっていたような気がしていた。その理由として、
「彼女には、お付き合いをしている彼氏がいる」
という話を聞いたからだった。
一人の話だけなら、信憑性は疑わしいが、利害関係のない複数の人から聞いた話なので、信憑性に関しては、かなりのものがあるだろう。
しかも、一度本人も、
「彼氏がいる」
ということを仄めかしていたのだが、それを自分で認めたくないという思いから、本人が仄めかしているにも関わらず、その時の言葉を、
「限りなくゼロに近い信憑性」
として受け取っていたのだ。
だから、この告白に必要なものは、勇気ではなく、覚悟なのだ。最初からダメと分かっていることに立ち向かい、そのショックをいかに和らげられるかという思い。そして、告白しないと自分が後悔するという思いを覚悟に載せるということであった。
だが、神様は実に悪戯好きであるかということを、この時初めて思い知らされた気がした。
「こんな偶然、神様が与えてくれたチャンスだと思うだろう。普通は」
と考えたのだった。
オールオアナッシング
その日は、偶然を装っての「待ち伏せ」であった。
今であれば、「出待ち」などという言葉になるのだろうが、今の時代、芸能人でなければ、許されないことである。芸能人でも許されないことではあるのだが、今なら、
「ストーカー」
などと言われるのだろうが、当時にはそんな言葉はなかった、
もちろん、
「怪しい気持ち悪い人」
ということで、白い目で見られるのは当たり前だったが、今ほど陰湿な事件が起こらなかっただけ、節操があったというべきであろうか。
ただ、笠原が待ち伏せをしていたのが、何となく分かっていたのかも知れない。聡子には聡子で、何か納得したような気持ちがあったからだ。そんなことを笠原が分かるはずもなく、待ち伏せしていたくせに、偶然出会ったよりもさらにぎこちなく接していること自体が、
「待ち伏せしていました」
と、自らで言っているようなものである。
「どうしたの?」
と笠原の顔を見ると、目を見張って驚いているように見えたが、その実、すぐに安心した顔になったのは、変質者ではないことが分かったからであろうか?
しかし、次の瞬間には、明らかな落胆の表情が浮かんだ。笠原は、この落胆の表情から意識したのである。
さすが、嫉妬をしている相手だけのことはある。考え方だけではなく、見え方までネガティブになっているではないか。
しかし、この表情が何を意味しているのか、お互いに考えていることは違っていたが、結論としては会っていたのだ。
聡子にはウワサ通り付き合っている男性がいる。
だが、その時、ちょうど二人は別れ話をしていた。その話の真っ最中であり、聡子の方では、
「もうダメなのかな?」
と思っているところであり、自分の気持ちが納得いっていなかったということであったのだ。
だから、聡子の方で、どうして落胆した顔になったのかというと、
「ひょっとして、彼が来てくれたのではないか?」
という思いを持ったからであって、笠原の方としては、
「聡子は僕を見て彼氏が来てくれたと思ったが、違ったのでガッカリした」
という解釈だった。
結果としては同じ発想なのだが、そのプロセスが正反対だったのだ。
それだけ、聡子は彼氏のことしか頭になく、笠原の方では、嫉妬している相手に対して後ろめたい気持ちを持っていたという証拠であろう。
ただ、二人とも、違った意味で覚悟を決めていたと言ってもいい。聡子の方としても、すでに別れに対しての覚悟は決めていたに違いない。
男性の方から、女性をふるという感覚は、今でも笠原には分からないが、その時は恋愛経験がほとんどゼロだっただけに、失恋ということすらどういうことなのか、理解できていなかっただろう。
だから、人を好きになると、まわりが見えなくなってしまい、
「相手に対して、尊厳を持つ」
ということが分からないのだ。
「人を好きになるということは、少なからずの自己犠牲を伴うものだ」
と言っていた人がいたが、何度人を好きになっても、そのたびに何度失恋を経験しようとも、その気持ちを納得できないでいた。
「だから、恋愛と失恋の回数が絶えず変わらないんじゃないだろうか?」
と考えるのだ。
その時も、当然のごとく、笠原には聡子の気持ちを考える余裕はなかった。
だが、相手を見る目は持っていたのだろうと思う。なぜなら、後になって考えると、その時は緊張から何を考えているのか分からなかったはずなのに、経験からなのか、それとも時間の経過によるものなのか、辛かった思いなのに、冷静に考えられるのだ。
きっと、後から考えている時の方が、精神的に楽だからなのかも知れない。
笠原を見つめる聡子の目は、
「まるで、迷子の子犬が、雨に濡れて、弱りかけている時のようだ」
と、笠原は感じた。
聡子がその時どうしてそんな顔をしたのか、すぐには分からなかったが、聡子はその時、明らかに迷っていた。迷っていることで、見た目が弱気に見えて、その様子が笠原には、
「自分に対して助けを求めている」
という風に感じたのだった。