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中途半端な作品

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「聡子のことを一目に見た時から意識していたんだ」
 という思いである。
 それは、女性として意識していたわけで、最初にテキストを見せてもらったあの瞬間から、
「この人は自分にとって、忘れられない人になる」
 というくらいの意識があったように感じた。
 この時に感じた、
「忘れられない」
 という意識が余計な暗示をかけてしまって、それが嫉妬となって表れたのだろう。
 この嫉妬というのは、相手が好きな女性として感じた嫉妬ではなく、同じ道を歩んでいて、その人が自分よりもさらに先に進んでしまったことで、彼女に小説の道を教えるというまるで自殺行為のような、自らの首を絞めるという行動を取ってしまったのだろう。
 ただ、その時に、その嫉妬というのは、その正体が何であるのか分からなかった。
 嫉妬というものを、男性として、好きな女性を見ることでしか感じられないはずだと思い込んでいたことで、最初にy間できた言葉が嫉妬だったというのが、ある意味、不運だったのかも知れない。
 自分の中でジレンマがあった。
 女性として好きだということが分かっていることと、相手に勧めてしまったという後悔を伴う行動に、ジレンマを感じていたのだろう。そのジレンマの両方に、嫉妬という言葉が絡んでいるのが厄介だったのだ。
 しかも、最初からジレンマを起こさせたのが、最初に浮かんだ言葉が嫉妬だったということであろう、
 最初から自分の行動に自信を持っているつもりで、こんなことになるなんてと、自分でも信じられないという思いとが、笠原を追い込んでいくのだった。
 こうなってしまうと、
「もう、どうなってもいいので、告白してしまおうか?」
 という意識が強くなる。
 自暴自棄の状態ではあったが、一度後悔してしまったのだから、その後悔がどこから来るのかを見極めて、どうすれば前に進むのか、そのあたりを考えていく必要があったのだ。
 今まで、女子に告白したことなどなかった笠原に、そんな大胆なことができるはずがない。自分でそう思うことが、失敗した時の言い訳として、いつも意識の中にあったことが、今回のことを招いたのではないかと思うと、少し自虐にもなるというものだった。
 ただ、小説においての嫉妬気分がある中での告白というのは、自分のプライドが許すのか、そのあたりが気になるところであった、しかし、このまま告白しないでいるということは、プライドを傷つけられたまま、何もしなかったということであり、さらに恥の上塗りとなってしまい、プライドを再度持つことができるかどうか、そこが問題だったのだ。
 そんな思いを抱いたまま、告白の有無を考えていた。
「このまま告白しないでいると、波風を立てないでいることはできるが、プライドという面において、先に進むことができない。いきなり、断崖絶壁の吊り橋の上に放置され、前に進むことも、後ろに下がることもできないところに放置される感覚に陥ってしまう。もしそうなったら、どうなるだろう? 結局、最後には覚悟を決めて、どちらかに行く選択をしなければならない」
 と考えた、
 ただ、その時、普段なら考えないような不思議な感覚が頭をよぎった。
 これは、当時としては、まだ発表されたばかりの学説で、そのことがまだ認知もされていない時代であったが、何かの本でその学説が発表されたと聞いた時、印象として残っていたことであるが、その考えというのは、
「吊り橋効果」
 というものだった。
 これは、一般的な感情の経路を、一つではなく、二つあると考えたのだ。つまりは、
「出来事から、その出来事への解釈があって、感情というのが、感情の発生経路だと胃荒れているが、恋愛でいえば、魅力的な人物に出会う。そして魅了される。最後にドキドキするという経路が考えられるだろう。しかし、学説では、出来事から、感情、っしてその感情への解釈という考え方もあるだろうと考えた」
 という。
 つまり、恋愛で言えば、
「魅力的な人物に会い、ドキドキすることで、これが恋なのではないか?」
 と考えるということである。
 実際にこの証明として、
「間違った認知に誘導できること可能性があるのではないか」
 ということで、
「恋の吊り橋実験」
 というものを行ったのだ。
 恐怖を煽った方が、恐怖もない人よりも、興味をそそられるという研究結果から、
「恋の吊り橋効果」
 というものが立証されたというのである。
 この時の発想として、告白すると、どういう感情になるかを考えた時、頭の中に浮かんだのが、吊り橋の光景だったというのは、それだけ、恐怖に対してのイメージが、
「吊り橋というものが一番恐怖を煽るものだ」
 という感覚だったのか、前に読んだ本から、吊り橋効果が頭をよぎったせいなのかということである。
 吊り橋というものが、自分の中でいきなり想像されたのは、偶然だったのか、それとも、意識の中に最初からインプットされていた意識が吊り橋だったのか、この発想こそが、吊り橋効果を実証するうえでの感覚であるとすると、これを、
「ただの偶然だ」
 と考えるのは、乱暴な気がするのだった。
 そう思うと、このまま告白をしないということは、自分の中の恋愛感情を否定するということと、吊り橋効果というものの実践から、逃げ出そうとしているのではないかと思うのだった。
 とにかく、告白することにかなり傾いてきたのは間違いない。
 だが、このままいけば、自殺行為であることは間違いない。
 自分にはあまりにも不利な状況が揃っていることが分かっていたからだ。
 何よりも、相手は小説の実力として、自分よりもさらに上であることは、彼女にも分かっていることだろう。そして何よりもその感情を一番強く持っているのは、何を隠そう、本人である笠原だった。
「負けるかもしれないと分かっている相手に勝負を挑むことは、最初から分かっているはずだ。それでも挑まなければいけないということは、それだけの覚悟がいる。自虐の感情をそのまま利用するという手もある。だが、そうなると、プライドが果たして許すかどうかの問題が大きい」
 と考えてしまう。
 この覚悟に必要なものは、
「後悔をしたくない」
 という感情が強くないとできないということだ。
「恐怖を煽ることで、後悔をしないという感情を最前線に持ってくることができれば、吊り橋効果を実践できる」
 と考えたのだ。
 また、告白しない場合をなるべく考えないようにした方がいいのかどうかということを考えてみた。
 考えてしまうと、確かにネガティブな発想にしかならない。
「逃げている」
 という発想が頭をもたげ、そう感じてしまうと、つり橋の上に放置された時、じっくりと判断するべきなのに、怖さが先に来て、
「どうでもいいや」
 という感情が生まれてくることが分かったからだ。
 まず、どうでもいいと考えるのは、これこそが、吊り橋効果というもので、
「間違った認知に誘導できること可能性があるのではないか」
 ということを証明することになる。
作品名:中途半端な作品 作家名:森本晃次