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中途半端な作品

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 もちろん、主席から何位かまでは、授業料免除などという特待生制度のある学校は、その順位までは公表するかも知れないが、それに漏れた人間は、
「皆、平等場合格者」
 となるだろう、
 だが、実際には、入学したとしても、最下位でのギリギリ突破かも知れない。入学できたとしても、レベルは最低だったとして、果たして自分よりもハイレベルな連中の中で、自分が行きぬいていけるだろうか?
 もちろん、乳歯の成績だけで、レベルを判断することはできないだろうが、少なくとも教師は生徒のレベルを知る意味で、順位を見ているだろう。
「あの生徒はギリギリ入学してきた生徒だ」
 と思うと、特待生などと比較にならないほどに見えるかも知れない。
 何かあっても、
「あの生徒であれば、やりかねない」
 というレッテルを貼られているのかも知れない。
 そう思うと、遅かれ早かれ授業についていけなくなり、ぐれてしまうこともある、そうなると、大学受験どころか、卒業まで学校にいられるかという問題にまで発展してしまうだろう。
 これでは、不合格だった方がよかったかも知れない、そもそも志望校を考えた時、当確ギリギリのラインを冒険して狙うより、無難路線の方が、後々無難だったりする。なぜなら、受験というのは、合格すればそこで終わりではないからだ。あくまでも、そこがスタートライン、レベルの問題だけではなく、燃え尽き症候群になってしまう可能性だってあるからだ。
 幸か不幸か、そんな最悪なことにはならず、普通に大学を受験し、何とか現役で合格した。大学に入ってしまえば、さらに次の学校ということもなく、しかも、高校までの授業とはまったく違う勉強が待っていたので、ある意味、入学した時の順位などは、ほとんど関係ないと言ってもいいだろう。
 高校までと違って、
「よくも、ここまで個性的な連中が集まったものだ」
 と思うほどで、高校時代には、
「自分のまわりに、暗い人たちしかいない」
 という風に見ていたのが、まるでウソのようだ、
 高校時代の鬱積した毎日が爆発したのかも知れない。
 考えてみれば、笠原も高校時代までの自分と比較にならないほどに明るいではないか。もっともそれは、まわりの影響が大きいからだと思っているが、果たしてみんなも同じことを思っているのだろうか?
 皆が皆、まわりの影響だと思っていたとすると、誰も影響を与えた人がいないことになるが、それもおかしな話である。影響を与えられた相手が果たして誰なのかを見極める必要はないが、
「誰かに誰かと決まっているのではないか?」
 と考える。
 そのきっかけが出会いだとすると、誰か友達になった人の中で、
「この人とは必然的に友達になったんだ」
 という、運命を感じることができる人がいたことになるが、それが誰なのか、気付く人もいれば、気付かずに卒業する人もいるだろう。
 しかし、最終的には分かるというもので、大学を卒業してから気付いたとしても、在学中とさほど変わらない効果を本人には与えるのではないかと思った。
 それでも在学中であれば、相手の気持ちを聞くことができるが、卒業して会うことがなくなってしまうと、その可能性はなくなってくる。卒業してしまうと、それまでとまったく違った生活が待っているのであって、心構えを再度リセットしないと、やっていけないと思った人がほとんどではないだろうか。
 在学中にそこまで看破できる人がいるはずもなく、あれだけ楽しいと思っていた大学生活も、二年生の時の甘い考えのために、三年生以降の楽しみを棒に振ってしまったのも、自業自得とはいえ、
「大学生活があっという間だった」
 と感じさせる要因になったのだった。
 大学生活において、文芸サークルで過ごしたことが、いずれは大きな転機に向かってのプロローグだttのだろうが、本人はそんなことが学生時代に分かるはずもない。とにかく大学時代というと、
「淡い思い出」
 しかなかったような気がした。
 なぜなら、大学を卒業してからの人生を決定づけたのが、大学時代における文芸サークルだったので、今の人生をどう思っているかということは、大学時代をどのように記憶しているかということに繋がっているのかも知れない。
「大学時代というと、文芸サークルでの思いが一番なのだが、今の俺はあの頃の気持ちを忘れてしまっているのではないだろうか?」
 と感じていた。
 しかも、大学時代の想い出は、すぐに思い出せるくせに、かなり昔のことのようで、自分でもビックリしているのだ。あれからどれだけの時間が経っているのかは当然分かっているので、かなり昔に思えるのは当然だ。だが、実際にはsれほど時間が経過したという感じはない。どちらかというと、
「あっという間に過ぎ去った」
 という意識で、時空を飛び越えるというワープを感じさせるものであった。
 まだまだ素人だった小説の技術。プロットを組み立てることが苦手で、最初の頃は、プロットも作らずに、いきなり書き出していたものだった。
 今でもカッチリとしたプロットを作ることはないが、せめて、起承転結の、起承の部分くらいまでは考えてはいた。ほとんど箇条書きの落書きにしか見えないかも知れないが、それで十分だった。
 あまりキッチリしたものを書いてしまうと、小説の内容が結論を急いでしまって、小説が書けなかった頃に逆戻りしてしまう気がした。
 つまり小説を最後まで書けない人は、ある程度の内容ができあがって書こうとするから、結論を急いでしまって、数行で終わってしまうのではないだろうか?
 その思いは、後にならないと分からないことで、それがいつなのかというのも、結構重要だったりする。
 それでも、自分よりも目立つ人がいると、
「自分は自分だ」
 という思いを持っていたとしても、自分よりも目立つ人がいると、精神的に穏やかでないのは、やはり若さゆえであろうか。
 子供の頃の意識が読みがってくるからなのか、若気の至りなのか、どちらにしても、真鍮穏やかではないと言ってもいいだろう。
 しかも、
「自分の首を自分で絞めたようなものだ」
 という思いがある以上、しなくてもいいという後悔をしてしまうのだから、それも嫉妬に繋がっていったのだろう。
「あの時、小説を書くことを勧めたりしなければよかったんだ」
 という思いはあるが、今から思えば、あの時に誘ったのは、
「一緒に小説が書ければいいね」
 などという素直な気持ちからではなかった。
 もっと下心がありありだったはずで、
「女の子が入ってくれれば、自分のサークル活動も楽しくなるだろう」
 という考えからであった、
 ただ、彼女が自分が思っていたよりも聡明な女性だったというだけで、彼女に罪はない。罪を作っているとすれば、笠原が勝手に思っているだけで、誰も彼女に罪など感じてなどいないはずだ。
 だから、彼女が小説で評判になった時、
「もう、放っておけばいいんだ」
 といつものように思えれば、そんなに意識する必要もなかったはずなのに、それどころか、意識という意味で、別の意識を、いや、本来の意識を思い出したと言った方がいいのかも知れない。
 この意識があったからこそ、彼女に対して嫉妬したのだ。
 その意識とは、
作品名:中途半端な作品 作家名:森本晃次