中途半端な作品
実際に原稿を作成し、先生に見てもらうと、
「なかなかいいなないか?」
と言われ、
リハーサルなどでも、無難にこなせたことで、さらに有頂天になってしまった。
実際の本番でも、自分なりにできたつもりだったし、緊張もしていなかった。
「これは、入賞だってできるかも知れない」
と感じた、
いち年生から三年生までクラスが五つあったが、中には同じクラスから数人出ているところもあった。
出たいという人を、人数オーバーだというのは、実に酷なことだからだ、
考えてみれば、ほとんどのクラスは、皆誰も出たがらずに、推薦で押し付けられた人が多かったのだから、出たい人を出さないとなると、それこその問題になるだろう。
結局、二十人程度の参加者となり、自分の出番とまわりを比較しても、
「これなら、入賞も間違いない」
と思った。
入賞は、大賞と特別賞、佳作三名の五名であった。
「ベストファイブくらいなら、大丈夫だろう」
という思いがあったのも事実で、それこそ自惚れだったのだ。
順位は、上から発表されm入賞者五名の中には入らなかった。
「せめて、七位くらいにまでは入っているだろう」
と思ったが、それもなし。
蓋を開けてみれば、結局自分はブービーの十九位だった。
さすがにショックを隠せなかった。参加証の盾はもらったが、納得がいかない。
そこで、大会が終わってから、放送部の友達に、
「俺のって、そんなにひどかったのか?」
と聞いてみた。
それは、できれば、録画してある内容を見せてもらおうという意味もあったが、その友達は察してくれて、余計なことはいわずに、
「じゃあ、自分の目で確かめてみればいい」
と言われて、こちらの思惑通り、ビデオを見せてくれた。
それを見て、正直驚愕してしまった。
「何だこれ、これ、本当に俺なのか?」
と思わず声に出してしまった。
友達は黙って冷静に最後まで見せてくれたが。
「もっとよかったと思っているんだろう? 入選してもおかしくないというくらいに感じていると思うよ。だから、俺にビデオを見せるように仕向けたんだよな? 分かっているさ、俺だって似たような思いをしてきているからな」
と言って、彼が放送部に入部して最初の放送を練習でした時のことを話してくれた。
「俺は連中だったから、まだよかったんだkど、お前は本番だから、相当ショックだと思うよ。まず、たぶん、自分の声がまったく違っていることに驚いたはずだ。かなり籠って聞こえたはずだからな。俺だってそうだったさ。これ誰の声なんだって思わず叫んだくらいだったからな」
というのだった。
でも、その思いは俺にも分かる気がする。だって、これは同じ感覚になったことのあるやつじゃないと分からないし、今いくら慰めても同じだということも分かっている。だけどな、お前がどうしてこの弁論大会に出たいと思ったのか、俺には分からないが、少なくとも、これからの人生での分岐点になると思っている。きっと。違った感覚になるんじゃないかなって思うのさ」
と言われた。
「俺は、自分の嫉妬心を知りたかったんだ」
というと、
「嫉妬心?」
と言って、意外そうな顔をした。
それはそうだろう、嫉妬心からどうして弁論大会への参加に繋がるのか分からないからだ。
「ああ、小学生の頃からのな」
と言って、小学生時代の話をすると。
「そっか、なるほど分かった気がする。だけど、それは俺は悪いことではないと思うんだ。嫉妬を悪いことのように言うが、嫉妬心があるから、負けたくないという闘争心が生まれるんだよ。行動を起こさなければ、何もしていないのと同じであり、何も考えていないのと同じさ。だから、説得力がないもないのさ。そういう意味で、君は恥と嫉妬を天秤にかけて、プライドを感じたいと思ったわけだ。だけど、今回の順位は君にとっての恥ではないんだ。なんといっても、君は自分から参加したわけだろう? 昔からいうじゃないか。オリンピックは参加することに意義があるってね。でも、それは参加するだけじゃだめなんだ。自分の意志で参加するということが大切なんだ。そのことを君に言いたい。だから、この結果を別に恥だと思うこともないし、人からもし何か言われても、プライドを持てばいいのさ。どうせ何かをいうやつは、参加することからすら逃げたんだからね。そのことは、君が一番分かっていることではないか」
と言われた。
「そうだよ、その通りだよな」
と言った。
確かに見せてもらったビデオはでたらめに近かった。
「穴があったら入りたい」
という言葉そのものであろう。
何しろ、声はしっかりと通っておらず、アクセントもでたらめ。どこの訛りか分からないようなアクセントで、あれでは何がいいたいのか分かるはずもない。
「何が悪かったか、分かるかい?」
と聞かれて、
「訛りがあったことかな?」
というと、
「いや、違う」
と言われ、続けて、
「君の悪いところは、声が小さいことだよ。たぶん、自分では一生懸命に声を出しているつもりなんだろうが、実際には声を出しているわけではない。結局、自分の中で、自信がないという思いが、あの場面で出てきたのさ。ひょっとすると、リハーサルではちゃんと大きな声だったのかも知れないが、あの演台の上は特別だからな」
と言われた。
「そうなんだよ。目の前が真っ暗で、照明が自分の顔に当たって、前が見えない。いつも客席から見ているので、演台の上に立てば、まわりが見渡せるんじゃないかと思っていたので、パニックになったのかも知れない。それが悪かったのかな?」
というと、
「それもあるかも知れないが、何よりも一番の問題は、自分で自分のことを分かっていなかったということさ。きっと、君は、自分では緊張しなければ、絶対に大丈夫だと思っていたんじゃないか?」
と聞かれた。
「どうして分かったんだい?」
と聞くと、
「そりゃあそうさ。僕だって最初の時はそうだったんだから、経験者は語るというやつさ」
と言われた。
「だけど、貴重な経験をしたのは間違いない。だから、自信とプライドは持っていてもいいが、反省をすることも大切だよ。要するに、後悔はしてはいけないが、反省はするということさ。君の場合は、出場することで後悔はしていないだろう? だから、反省をして次につなげれば、それでいいんだよ」
と言われた。
「うん、分かった。ありがとう」
と言った。
その頃から、それまで嫌で嫌で仕方のなかった国語の授業がそうでもなくなってきた。何が嫌だったのかというと、
「教科書を読まされること」
だったのだ。
緊張して何も喋れなくなることもあったり、時には笑い出してしまいそうで、それが自分で怖かった。
実際に、
「俺ほど、真面目な生徒はいない」
という自負もあったくらいなので、授業中に教科書を読みながら笑い出すなど、プライドが許さなかったのだ。
そのために、まわりから嘲笑を受ける。これほどの恥はないと思っていた。
それから三年生になってもう一度弁論大会に出場したが、その時は七位だった。
それでも悔しくはなかった。
ビデオを見せてくれた友達に聞いてみたが、