中途半端な作品
よく作家がテーマのドラマやマンガがあったりするが、そのほとんどが締め切りに追われ、夜もまともに眠れなかったり、担当に缶詰めにされて、自由などどこにもなかったりするのを見ると、
「小説家って、一体何なんだ?」
と考えさせられたりもした。
さらに、小説家になるためのもう一つの方法として、
「出版社に小説を持ち込む」
というのがあるが、これこそ、絶対にありえない。
なぜなら、直接渡しても、来訪者が会社を出た瞬間に、作品はごみ箱の中、編集者は、来客があったことすら忘れているだろう。
「こっちは素人の戯言に付き合わされるほど暇じゃないんだ」
と言わんばかりである。
そんな小説家を目指そうなどと思わずに、
「気楽に自己満足でいいんだ」
と思いながら、小説を書いている時は結構楽しかった。
そして、そのうちに時期が来て、いよいよ機関誌に自分の作品が載る時がやってきた。
それまでは書き溜めてはいたが、誰にも見せることもせず、暖めてきたのだが、さすがに機関誌に載せるのだから、前もって部長に見せる必要があった。
機関誌発行の時は部長が編集長も兼ねていて、
「一応、機関誌としての発行ではあるが、一応の体裁は整えておかないとな」
ということで、見てもらった。
すると。
「なかなかいい作品じゃないか。やっぱり小説理論をしっかり持っているだけのことはあるよな」
と言ってくれたのが嬉しくて、機関誌に自分の作品が載ることで、少し有頂天になっていたのだった。
文芸サークルには十人ほどの部員がいたが、絶えずサークル活動に出てくるのは、半分もいない。ある程度自由なのが売りというところもあって、おのおのの自主性に任せていたが、機関誌の発行の際には、部員が皆エントリーしてくる、中には一度も逢ったことのない人の名前もあるくらいで、
「何か、釈然としないな」
と思うほどであった。
一年、二年と、何度か機関誌に小説を書いて自己満足に浸っていたが、そのうちに、あれは二年生の頃であっただろうか、急に聡子の小説が話題になってきた。
「石松さんの小説が、今キャンパス内で話題になっているようだぞ」
という話を同じサークルの仲間から聞かされた。
「へえ、それはすごいじゃないか」
とまるで他人事のように言ったが、実際にはかなりのショックだったことは否めない。何と言っても、自分が誘いかけて入ってもらった相手なので、素直に一緒に喜んであげれればいいのだろうが、とてもそんな気にはなれなかった。
「自己満足でいいと思っていたくせに」
と自分にいい聞かせるが、どうにも納得がいかないようだ。
なぜなら、小説を書いている時の自分を、笠原はかなり美化しているようだったからだ。これこそが自己満足であり、普通なら自己満足でいいのであれば、他人のことはどうでもいいはずなのに、どうして我慢ができないというのか、それはきっと相手が、聡子だからだということは分かっていた。
しかし、その理由ということになると、自分でも分かっていなかった。ひょっとすると分かってはいるが、分からないと思い込んでいたのかも知れないが、少なくとも今抱いている感情が、嫉妬であることに変わりはない。
元々、嫉妬深い方だったのは間違いないことだったはずなのに、どうしてこんな気分になるのか、どうして自分を抑えられないのかが分からなかった。
「嫉妬の彷彿」
というと、どうなのかと思うが、自分の中で、
「何かを彷彿させた結果が嫉妬だった」
ということだということで、敢えてこの言葉を使いたいと思うのだった。
嫉妬の彷彿
子供の頃から、自分に自信がなかったため、クラスでの運動会の代表や、クラスを代表しての選手などというのには、自ら立候補したことなどなかった。そのくせ、クラスで推薦されたり、自分から立候補して、しっかりと結果を出したことで、皆から賛美を受けているのを見せつけられるのが、嫌だったのだ。
見せつけられているわけではなく、その子は実際に結果を出したのだから、当然の報いなのである。
それを、自分から参加もせずに、ただ見ていただけなのに、羨ましがるなどというのは、普通に考えれば、
「お門違い」
ということになるのだろうが、悔しい思いがどこから来るのかも分からず。人が賞賛を受けたり、表彰されるのを、それこそ、
「指を咥えて見ているだけだった」
わけで、小学生の頃は、そんな自分が嫌で嫌でたまらなかった。
中学生になってから、
「これを嫉妬だ」
と思うようになった。
なぜなら、思春期を迎えたからではないかと思ったからだ。思春期を迎えると、異性への気持ちが現れてきて、初めて嫉妬というものを味わうことになるのだろうが、笠原少年は、小学生時代に、すでに嫉妬心を味わっていたのだが、それが嫉妬であるということに気づいてもいなかったのだ。
だが、中学に入り、異性を意識するようになると、友達が女の子と仲良くしているのを見て、
「面白くない」
と感じるようになる。
何が面白くないのかというと、その理由までは分からないが、
「俺だって」
という気持ちが浮かんでくるのだが、
「自分に彼女などできるはずがない」
と感じ、引き下がるしかないと思うのだった。
しかし、
「この思い、どこかで味わったことがあるんだが」
と考えると、最初は分からなかったが、そのうちに、小学生の頃に感じた。賞賛を受けている友達に対しての思いとソックリであることが分かってきた。
そして、この思いが嫉妬であることが分かると、何が嫌だったのか、そして、どうしてこんな気持ちになったのかということも次第に分かってくるようになる。
そうなると、さらに自分のことが嫌になるのだった。
「小学生の頃というと、異性に意識がないのは、思春期ん入っていなかったからだ」
ということで、だから、女性と一緒にいる友達に嫉妬することもなかったのだと覆ったが、小学生の頃の気持ちが嫉妬だったということが分かると、
「嫉妬というのは、思春期を過ぎないと感じないというものではなく、男女関係だけに対して抱くものでもないんだ」
と感じるようになった。
それを感じたのは、中学生の時、そう思うと、自分の中で、
「恥と嫉妬を天秤に架けてみる」
ということをしてみた。
それまでに恥を掻いたことは何度もあったが、それは、
「恥を掻きたくない」
という思いが強かったからで、実際に掻こうと思って掻いた恥ではなかった。
しかし、この時天秤に架けた恥というのは。
「自分から敢えて掻いても仕方がないと思った恥であり、その感覚をいかに自分で納得させるかということが大切だ」
と思うと、
「恥を掻いても、最後に嫉妬に至るよりもいいような気がする。」
と感じたのだ。
そう思って、あれは中学二年生の頃であっただろうか。学校で弁論大会という行事があった。
演台にクラスの代表が立って、原稿を見ながら演説をするというものであるが。一年生の時、表彰されている生徒が授与されるトロフィーや賞状が羨ましかった。
嫉妬の目で表彰式を見ていたのである。
「今年は俺だって」
と思って参加してみた。