伏線相違の連鎖
誰かが故意に落としたのかどうか、その場でしな垂れるように腰を抜かした被害者に変わって、そばにいた関係のない人が、正義感からか、植木鉢が落ちてきたと思われるビルの階段を昇って行ったが、結局誰も見つけることができなかった。
そのビルには臆にも階段があり、そこを通って逃げたのか、それとも、どこかの部屋に入り込んでしまったのであれば、見つけることは困難であろう。何しろ、植木鉢が落ちてきて、割れてからというもの。皆その音に気付いてビビッてしまい、少しの間金縛りに遭っていたとしても、それは無理もないことである。
普通であれば、
「質の悪い悪戯か。それとも、ただの事故なんだろうか?」
というところからの捜査になるのだろうが、この事件を、大げさにして、
「最初から被害者を殺すつもりだったのではないか?」
とまで思わせたのが、その被害者が誰かということであった。
警察に通報が入り、近くの交番から巡査がやってくると、そこに佇んでいた人物に見覚えがあったのだ。
「小山田さん? 小山田さんじゃないですか?」
と言って、道路わきに力なく座っていた男を見かけて、そう叫んだ。
この事件の被害者というのは、そう他ならぬ、例の毒薬殺人未遂事件の渦中の人である小山田哲彦だったのだ。
小山田という男
巡査は、道路わきにうな垂れている小山田を見て、少しビックリした。数日前に見た小山田とは、どこか別人とも感じさせる佇まいだったことで、
「どうしたんですか? 小山田さん。この間の時は結構毅然とした態度を取っておられたのに」
というと、そばにいた目撃したのではないかと思われる人物が、
「私が警察に通報したのですが、ちょうど今から二十分くらい前でしょうか。私が歩いていると、少し離れたところから、ガシャンという音がしたんです。最初は窓ガラスが割られる音なのかと思ったんですが、どうもそうでもないみたいで、高い乾いた音のわりに、重厚さがあったので、最初は本当に音の正体が分かりませんでした。でも、音のした方にいくと分かってきたんです。その音が植木鉢の音だということが分かると、飛び散った茶色い植木鉢に、その真ん中に同じような色の砂が散らばっている。上を見ると、植木鉢が事故で落ちてくるような場所でもないじゃないですか。急いで賊を追いかけたんですが、ビルに入った時には、それらしい人物を見つけることはできなかったというわけです」
とその男は答えた。
「いや、これはご協力ありがとうございます。ということはあなたの目から見てもこれは故意ではないかと思われるわけですね」
と訊ねると、
「ええ、そうです。でも私は音がしたので気が付いたから、最初に状況を見極める時間と、犯人を追いかけるという覚悟ができるまでに少し時間がかかったので、証言できるほどのことはありませんでした。だけど、やはり故意の可能性は高いと思われます」
と彼は言った。
「分かりました、これはやはり事件ですね。刑事課に連絡してみます」
と言って巡査は、刑事課に無線を入れていた。
「こちらは、管内錦町交番の長谷川巡査です。たった今上から植木鉢が落ちてきて、人に当たりそうになったという通報を受け来てみましたが。確かに、被害者にはけがはありませんでしたが、目撃者の証言などから、どうやら故意の可能性があります。しかも、被害さとなったのが、例の殺人未遂事件の関係者である小山田哲彦氏であることから、ご連絡いたしました」
と長谷川巡査は言った。
刑事課の方でこの連絡を受けたのは、柏木刑事だった。
「了解しました。ただちい現地に向かいます。小山田さんにケガがないのであれば、私は行くまでその場にとどまっているよういお願いしてください」
と言われた長谷川巡査は、
「了解しました。その通りにいたします」
と言って、柏木刑事の到着を二人して待つことになった。
長谷川巡査も、小山田も、何を話し手いいのか気まずい感じだった。ただ、とりあえず、今日のことに関してだけは、一度は聞いておく必要はあった。後から来るであろう刑事課の刑事も同じ質問をするだろうが、それも警察あるあると言っていいだろう。
事故があったこの場所は、普段から人通りの少ないとろであった。この奥に何があるというわけではなく、小山田がどこを目的にしていたのかお分からない。
「ところで小山田さんは、どうしてこんな人通りの少ない道を歩いていたんですか?」
と訊かれて、
「実は、この道というのは、梅崎君の部屋に行く時の近道になるんです。僕としては、ある意味勝手知ったる道でもあるというわけで、まさかこんなことになろうとは思ってもいませんでした」
と小山田は言った。
「そうですか。でも、まさかあなたが狙われるとは思ってもいなかったので、お顔を見た時はビックリしました。ところで今日はどうして梅崎さんのところに行こうと思われたんですか?」
と訊かれて、
「梅崎が呼んだからです。三人で集まることよりも、それぞれ二人のパターンというのも結構あってですね。入院中の松下君ともよく二人で話をすることも多いんですよ」
というではないか、
「なるほど、二人きりの方が話せることもあったりしますからね」
というと、
「ええ、そうなんです。二人の方が話がそれることはないじゃないですか。三人だと誰か一人は反対意見をいうこともある。でも、二人ともなると、なかなかそんなこともないんですよ、でも、それも相手によるんです。僕は松下と一緒の時は、ほとんど意見が合うので、あまり話がそれることはないんですが、梅崎が相手の時は、よく話がそれますね。でもそれで新鮮なんです。そういう意味で話が白熱して、夜を徹して話をするというのは、梅崎との方が多いかも知れませんね」
と小山田は言った。
「なるほど、よく分かります」
と長谷川巡査は言ったが、彼にも同じような思いの相手がいた。
今刑事課に移った隅田刑事とは、同期で警察官になった仲間なので、巡査時代にはよく話をしたものだ。
その時の思いがよみがえってきて、懐かしさがこみあげてきたが、これ以上想い出に浸るわけにもいかなかった。
少なくとも、、事件性が高いことは間違いないだろう。だからこそ、刑事課に連絡したのだし、刑事課も飛んできてくれているからだった。
少しして、柏木刑事が、隅田刑事を伴ってやってきた。おそらく、捜査本部に通報が伝えられ、二人が出向くことになったのだろう。
「ご苦労様です」
と、車から出てきた柏木刑事と敬礼をした。
後から降りてきた隅田刑事は、恐縮そうに柏木刑事についてきた。
「小山田さん、災難でしたね」
と口ではそう言っている柏木刑事だが。内心では、小山田には何か狙われる理由があるのであって、それを何とか見極めようという気持ちが態度にだだ洩れのような気がしてきたのであった。
小山田と長谷川巡査は、この事件が起こる前から知り合いだった。
あれは、三年くらい前だっただろうか。一人の女の子を伴って交番にやってきたのが小山田だった。話を訊いてみると、