伏線相違の連鎖
「とりあえず、先生のところでお話をしてきてください。そして何か気付いたことや、気になることがありましたら、私どもに連絡ください」
と言って、隅田は三人を主治医の先生の部屋に行くように促した。
隅田は、後は明日以降だと思い、そこで梅崎を解放し、家に帰らせた。その旨を当直の桜井刑事に伝えると、
「よし分かった。君はもう今日は上がっていいぞ、出張の帰りにこんなことになって疲れただろう? 今日はゆっくり帰って寝ることだな」
と桜井刑事に言われた。
「ありがとうございます。ところで柏木さんの方はどうですか?」
と隅田刑事は聞いた。
「柏木君の方も、引き上げると言っていたよ。鑑識の調べも終わったようで、しばらくは現場は立入禁止にしておいた。小山田氏も帰したと言っているので、この事件に関しては明日以降の、鑑識の結果を踏まえてのことになるかも知れないな」
と伝えられた。
「分かりました。では明日署の方で」
と言って電話を切り、今日は解散することにした。
梅崎は一人で、歩いて帰るようだったが、その後ろ姿は実に寂しそうで、
――あれが梅崎という男を表しているのだろうか?
と感じた隅田だった。
とりあえず、少しだけの情報は分かったが、三人のうちの松本が今だ意識不明状態ということもあり、いつになれば事情聴取ができるか分からない状態で、彼に関しては、今のところ、
「命が助かっただけでもよかったと思うしかない」
としか言えない状態であった。
そもそも、毒の量が最初からすくなかったのか、それともアナフィラキシーショックをわざと起こさせるかのような細工やトリックが隠されているのか、よく分からなかった。
どちらにしても、犯人がいるとすれば、犯人の目的は達成できたのであろうか? それを考えると、少し気になったのだが、そこに一人の警察官がやってきて、隅田刑事のところに来て、
「お疲れ様です。私は桜井刑事から言われて、被害者である松本さんの警備を仰せつかったものです。一応殺人未遂だとすると、犯人が再度狙わないとは言えないということで、私にここの警備を任されました。被害者の病室の前で見張っていることになりますが、隅田刑事に置かれましては、ご帰宅いただいても大丈夫だと言っておいてくれと、桜井刑事から言われております」
と言って、敬礼をした。
それを聞いて桜井刑事の意図が分かった隅田は、警官に対して自分も敬礼し、
「分かりました。じゃあ、今日はここらで失礼させてもらうよ」
と言って、頭を下げたのだった。
とにかくすべては明日以降である。すでに柏木刑事と小山田は帰宅したということであった、自分もさっさとお開きにして、梅崎を解放してやらなければいけないと思ったのだ。
翌日、K警察署内に、今回の事件の捜査本部ができていた。
「毒薬の存在は、鑑識からも、被害者を治療した主治医からも聞いているので、本人が自殺でも考えたわけでもない限り、事件として扱わなければいけない案件である」
と、捜査本部長の、門倉警部が言った。
門倉警部は、刑事畑が長く、なかなか昇進試験も受けようとはしなかったが、最近になって、後輩に自分の役割を託すということの本当の意味が分かってきたのか、急に昇進試験を受け、一気に警部補と通って警部へと駆け上がったのだった。
門倉警部の第一の部下というのは桜井刑事になるのだろう。元々門倉刑事が第一線のトップを駆け抜けていた時のパートナーを長年、桜井刑事が務めてきたのだ。
今回の捜査本部には、十人くらいの捜査員がいて、基本的な捜査としては、桜井刑事、そして、柏木刑事の二人が中心で、その補佐の先鋒となるのが、最初から事件に首を突っ込んでいた隅田刑事ということになる。
捜査本部には、他に警官や、鑑識の人もいて、捜査会議の最初には、まず鑑識からの報告となった。被害者の松本が昏睡状態で、話ができる状態ではない以上、その時の詳しい経過は想像と、他の二人の証言からでしか、分からない。
だが、鑑識や医者の所見は、少なくとも、松本の意識が戻るまで、
間違いのないものだということを前提に捜査を進めていくしかなかった。
その前に桜井刑事から、昨夜の話の大筋を、かいつまんで話をしてもらったことで、集まった人間の意識共有ができたことだろう。
ほとんどの人間が朝になってから話を訊いただけなので、詳しいことはここで聴くのが初めてだということだろう。
「桜井君には、昨夜の当直で疲れているだろうところを、説明してもらって、申し訳ないと思うが、すまないが、この会議だけは出ていてほしいんだ」
と、門倉警部が労うように言った。
「はい、分かりました。お気遣いいただいて、ありがとうございます」
と、桜井は言った。
「ところで、鑑識の方だけど、どうだったのかな?」
と訊かれて、
「はい、いろいろ調べてみたんですが、まず、毒は青酸系のものであり、玉ねぎからしみだすように出てきているようでした。そして毒の量は本当に微々たるものです。ひょっよすると注射器の針をスポイトのようにして一滴垂らしたくらのものではないですかね。毒の反応は出てきましたが、それほど大量ではありませんでした。だから、毒を服用した松本さんは一命をとりとめたんだと思います。それと、チャーハンの近くで飛び散るようになっていた汚れは、間違いなく吐血でした。血液型はAB型です、松本さんの血液もABなんでしょう?」
と聞かれたので、隅田刑事が立ち上がり、
「はい、確かにそうです、昨日の治療の際も血液型の話を医者がしていました。輸血が必要になれば、AB型なので、少し厄介だとですね」
というと、
「そうですか、分かりました。だた、一つ気になったのは、あの場面の吐血の量なんですよ」
と鑑識官が言った、
「というと?」
と、今度は桜井刑事が訊き返した。
「あれくらいの量を一人で吐いたのだとすれば、よく生きていられるというほどの量なんですよ、しかも、被害者の苦しんでいたというところを被害者の友達に聞いてみると、その人が苦しんでいた部分よりも、結構向こうで吐血が多かったんです。それにですね。その吐血を誰かが、半分、つまり、苦しんでいた被害者の向こう側の痕と誰かが故意に踏み消したのではないかと思われると言っているんですよね」
と鑑識が言った。
「でも、それは、彼らのどちらかが、気持ち悪さから無意識に足で血が見えないようにしようとしていたのかも知れないし、気が動転していたのかも知れない」
と桜井がいうと、
「そうですか? だって残された二人は、すぐに警察と消防に連絡したわけでしょう? しかも大の大人である男性が二人もいるんだから、どちらかは冷静だったはずで、変なことことをしようとすると、現状維持が大切だと止めるんじゃないかな? 特に二人は目の前で苦しんでいる友人を見ているので、尋常ではないことを身に染みている。だから、決して疑われるような行動をしないんじゃないかな?」
と。柏木刑事がいうと、
「でも、それだけに何か決定的な証拠になるようなものであれば、なるべくどうして揉み消したのか、その真意が分からないようにするものなんじゃないですかね」
と、桜井刑事が言った。