昭和から未来へ向けて
最近ではドーム球場も増えてきて、昔のような雨で中止であったり、雨の状況を見ながら作戦を考えたりといろいろあったが、そのあたりも今はないので、安心して見て居られるのだろう。
ただ、昔の観客と今の観客の違いを挙げろと言われると、
「今は、あまり野球を見ていないような気がする」
と思うのは、自分だけだろうか。
外野席の応援団の近くで、統制された応援を形成しながら、ビール片手に叫んだり、メガホンを叩いたりしている。正直、外野からでは、ほとんどよく見えない。昔の球場みたいに、内野席からであれば、ベンチの上くらいから見えるので、バッテリーを中心に、内野を見ていると、いかにも野球を見ていると思うのだが、外野からではそうも思えない。だから、野球を見る時は、内野席に入るようにしていた。フィールドもよく見えるし、応援席を外から見ると、それはそれで綺麗に見えるからだった。
久則が福岡にやってきてから、ホークスが福岡に球団を持った。昔のライオンぞの本拠地、平和台球場である。
約十年ぶりくらいに誕生した地元球団にファンは熱狂したが、その頃から、応援が様変わりしたような気がした。トランペットなどの応援も、選手の応援歌が決まっていたのもちょうどその頃からではないだろうか。
同じパリーグでも、在阪球団の野球を見に行くのとでは、観客動員がまったく違った。地元球団ができたことで、それまでのパリーグの観客動員数の中でも上位を占めるようになり、野球を最後まで見ていると、帰りがごった返してしまい、天神の駅まで歩くだけで、人の飲まれるようであった。
そのため、試合を七回くらいまでしか見ずに帰ることが多かった。学生時代と違い、翌日も満員電車に揺られての出勤が待っているからだ。野球場を出た頃から、もうすでに翌日の仕事モードに頭を切り替えなければいけなかった。
そういう意味もあってか、学生時代の頃の野球観戦に比べて、数倍疲れることが分かってきた。
しかも、関西の球場の内野席に比べて、平和台球場の内野席の料金は高かった。それを思うと、学生時代の頃のように、野球観戦が趣味だといって、そんなに何度も足を運べるものでもなかった。
さらに、応援が様変わりしてしまったことで、何か野球観戦熱も冷めてしまったようだった。
あれは、大学二年生の頃だっただろうか。大学でできた友人も、野球観戦が趣味だということで、よく一緒に見に行った人がいたが、その人から、
「一度、会ってほしい人がいるんだけど」
と言われたことがあった。
「どういうことなんだい?」
と聞くと、
「人って、自分が何かに悩んでいると思いながらも、漠然としているため、何に悩んでいるかということすら分からない人が多いと思うんだよ。そういうことを研究している人で、話を訊くとためになると思うんだけど、もし、よかったらでいいので、その人の話を訊いてみないかい?」
ということだった。
それは一種の宗教活動の一環ではないかと思ったが、当時はまだ、宗教団体による決定的な事件などが社会的なニュースになっていない時代だったので、怪しいと思われることでも、比較的宗教団体にとっては、勧誘しやすい時代だったのかも知れない。
もちろん、相手も自分たちが宗教団体であることを言わない。
時代的にも、自分が何者なのか分からないというような漠然とした悩みを、
「本当に悩みだと思っていいのか?」
という何となく矛盾したような悩みを持った人が多かったような気がする。
そんな人であれば、
「ちょっとくらい話を訊いてみるくらいはいいだろう」
と思うのだった。
大学の近くにある喫茶店、もっとも大学の街と言われるところだったので、駅前には大学生相手の喫茶店が軒を連ねていた。
その中で久則が好きだったのは、クラシック喫茶と言われるところであった。
その店は、マスターのこだわりから、店内には所狭しと、クラシックのレコードが並べられていた。
当時はまだ、CDなるものが普及していない時代であり、レコードにカセットというのが、主流だった。ステレオを一式揃えると、結構な値段にもなり、レコードプレイヤーにカセットデッキ、アンプにスピーカーのついたステレオというと、相場が二十万円くらいではなかっただろうか。
さしがにそれだけを買うお金はないので、バイト代から、一つずつ集めて、一年ほど経って、一式をそろえることができるほどになっていた。
そんな時代なので、クラシック喫茶には、数多くのレコードが並んでいて、好きなものを客がチョイスして、BGMとしてリクエストできるシステムになっていた。
もちろん、サービスであり、お金がかかるわけではない。当時はロックやポップ調の曲の中でもユーロビートが流行っていて、クラシックのファンがそんなにいるものかと思っていたが、結構店はいつも満杯で、そのくせ、自分が入る余裕がないほどではなかった。
「結構常連さんが多いからね」
とマスターが言っていたが、いつも同じくらいの人なのは、それを聞いて納得したものだ。
といっても、久則もその常連の一人なので、人のことはいえなかった。
そんなクラシック喫茶で知り合ったのが、その時、話を持っていた友達だったのだ。
クラシック喫茶は、店内は薄暗く、客の顔を確認できるほどのものではなかった。クラシックという性質上、暗い演出がよかったのだ。
しかも、ソファーはフカフカで、睡魔を誘う。クラシックの音楽が余計に眠りの世界に誘っているようで、店の中で寝ている連中も結構いるのが特徴だった。
久則もよく眠ったものだ。就職を食べた後の、
「食後の一杯」
のつもりで入ったのに、気が付けば夕方近くになっているというのもよくあることで、店内は確かに全体的に暗くはしてあるが、その席ごとにスポットライトはついていて、本を読む人などは、スポットライトをつけて、読んでいた。
久則も本を読む時はソファー席に行くことも多い。普段マスターや他の常連客と話したいと思う時は、カウンターに座っていた。
どちらが多いかと言われると、
「半々くらいかな?」
としか言えなかった。
本を読みたい時と、人と話したい時、つまりは一人がいい時と、一人になりたくない時の比率が自分の中で半々だったということなのだろう。
だが、自分としては、カウンター席に座ったことの方が多いように感じているのは、やはり人と一緒にいる時は自分だけの感覚でいられないだけに、印象はそれだけ深いものだったと言えるのではないだろうか。
それを思うと、この店に来る意義が時々分からなくなることがある。
「一人でいることの方がこの店らしくていいのに」
と思っているのは、クラシックの奏でる演奏と、コーヒーの香ばしさが実に合うと思っているからで、それが優雅でゆとりのある時間を与えてくれることが分かっているだけに、この店に来る時は、普段の大学生とは違った気持ちになれたのだ。
「いや、これこそ、本当の大学生の姿ではないのかな?」
と思って入ってきたはずなのに、いつの間にかそうではなくなっていたというのは、ある意味大学というところの、魔力のようなものがあるのかも知れない。
作品名:昭和から未来へ向けて 作家名:森本晃次