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昭和から未来へ向けて

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 そういう意味での、スポーツや運動部の部活に対して、大人の都合を押し付けようとするのを、主人公の熱血教師と、彼が顧問をしている部活の生徒によって学生生活を守るという構図は、かなりウケたのであった。
 特に、教頭先生という職業は、
「生徒を優秀な大学に進学させて、進学率をアップすることで、実績を上げ、いずれは自分が校長になる」
 という構想を持っていた。
 これこそ、本当の、
「大人の都合」
 と言えるのではないだろうか。
 そんなドラマに影響されて、ラグビーやサッカーが注目されることになったが、どうしても、プロ化をするほどの社会情勢でもなく、やはりブームは野球だった。
 いろいろなスポーツがマンガになったりしたが、やはり野球が花なのおは、プロ野球の存在が大きかったのではないだろうか。
 少しさらに時代は前になるが、
「巨人大鵬卵焼き」
 などという言葉が流行り、子供が好きなものの代名詞となっていた。
 まるで、初夢のようではないか、ただ、順位をつけられないというだけである。
 今ではレジェンドとなってしまった有名選手がいた、彼らがプロ野球の人気を決定づけたのは間違いのないことであり、さらに、高校野球というのも、野球人気の火付け役でもあった。
「甲子園」
 という言葉が、高校野球の代名詞であった。
 全国大会の行われる球場が、
「阪神甲子園球場」
 ということでその代名詞になっていたのだが、サッカーでいうところの「国立」、ラグビーでいうところの「花園」なども、「甲子園と匹敵するだけの代名詞であったのだろうが、どうしても、定着しなかったのは、野球人気には勝てないというところからであろうか。
 どうしても、プロ化すると、その存在感は強烈な印象を与える。スポンサー会社がいくつもあり、そもそも球団自体が単独の会社なのだから、営業活動がそのまま経営になるのだから、熱の入れ方も半端ではない。
 今のように、サッカーやその他のスポーツがプロ化をしている時代でもあり、メディア発信の根本が、民営の地上波放送から離れている関係もあって、仕方のないところは十分にある。
 考えてみれば、プロ野球と、サッカーでいうところの、
「Jリーグ」
 とは、結成とモットーのコンセプトがまったく違っているところも、サッカーがプロ野球とは違うというところを示したという意味で、画期的だったのかも知れない。
 久則が中学高校時代というと、いわゆる七十年代である。そしてサッカーがプロ化されたのは、一九九三年だったであろうか。二十年以上も経ってのことだった。
 プロ野球と違って、サッカーというのは、
「地元のファン、いわゆるサポーターを中心に盛り上げていくもので、地元に根付いた活動を行うことをコンセプトにする」
 という活動がメインであった。
 したがって、スポンサーを表に出すことのあまりないやり方で、プロ野球のように、球団名に企業名を入れるところはサッカーでは少なかった。あくまでも、地域の球団なのである。
 プロ野球も次第にそのサッカーでの成功に触発されてか、それまでは、在京、在阪と言った人口密集地にフランチャイズの球場を持って、観客動員を増やすということをしていたが、サッカーの方針に触発されてか、サッカーがプロ化する前後くらいから、地方の年に移転することが多くなった。
 昔であれば、関東関西以外では、広島、名古屋、福岡くらいであったが、今では、一度去った福岡に新たに球団ができたことを皮切りに、北海道や東北にも球団ができて、プロ野球も盛り上がってきている。
 しかも、以前は、学生野球、ノンプロ、プロ野球という括りしかなかったg、当時ノンプロと呼ばれる、プロ野球機構には属していない、職業野球のようなものが、全国大会に進む形式のものはあったが、ノンプロのリーグ戦形式のものはなかった。
 だが、これもサッカーがプロ化された頃からくらいだったか、完全なプロ化ではないが、地元地域の職業段によるノンプロリーグのようなものが設立されたりした。
 そもそも、このノンプロリーグの目的は、
「選手を育てて、プロ野球で通用する選手を育成する」
 という目的も含まれていた。
 以前では考えられなかったようなことが、野球界を大きく変えたと言っても過言ではないだろう。
 ここ数十年で、いろいろと変わってきた。
 以前はプロ野球経験者が、アマチュア野球の指導者になることはできなかった時代があったり、プロ球団とアマチュア球団の試合が、いくら交流試合であっても、実現化されることはなかったりしたが、今では行われている。
 やはり、他のスポーツがプロ化するということが大きな影響を持っていたことに違いないのだろう。
 久則は中学高校時代には、高校野球を見るのが好きな時期があった。
 と言っても、高校野球自体は嫌いだったのだが、その中から誰がプロ野球に行くかというところだけが興味があっただけだ。
 そもそも高校野球が嫌いだった理由はいくつかある。
 まず一つは、
「学校や大人の事情い、振り回される典型であった」
 ということだ。
 強くなるために、いわゆる、
「野球留学」
 などというものを用いて、まるで、昔のドラフト前の選手争奪戦のようなことが、今度は高校野球で行われていた。
 プロ野球でもドラフト制度ができる前は、選手獲得は自由競争だった。そこで起こった問題によって、ドラフト制度の導入が決まったわけだが、その理由は大きく二つあったと言われている。一つは、
「あまりにも、争奪戦がひどすぎて、選手の念帽が上がりすぎてしまい、球団の経営が圧迫される」
 ということだった。
 企業側の問題ではあるが、これは球団維持の問題でもあり、経営に行き詰ってしまうと、身売りであったり、球団消滅に繋がってくる。実際に、球団の消滅、身売りが横行した時代があったではないか。
 それが一つと、もう一つでは、
「金のある球団に選手が集まるのは当たり前のことで、そこで有名選手が人気球団に集まることで、戦力に歴然とした差が生まれてしまう」
 ということであった。
 確かに人気チームが優勝するのは盛り上がるだろうが、対抗球団を下しての優勝というのがいいわけで、シーズン前から分かり切っているような、まるで出来レースを見て、何が面白いというのか、これではまるで茶番を見せられているように思われるのも仕方のないこだ。
 人気球団が意外でも、選手を均等にするという目的もあって決まったドラフト制度、今も存続されているが、時代の流れとともに、いろいろな問題を残してきた。
 選手に不利だという考えから、逆指名なるものも出てきたが、結局、以前の自由競争に変わりはないという考えもあり、このままでは本末転倒な状態になってしまうことから、今でも試行錯誤が続いている。
 プロ野球でもそんな感じなのだから、高校野球や大学野球などのような学生野球は、闇の部分で何が行われているかというのも問題だった。
 自由競争なので、優秀な選手を中学時代から目をつけて。野球留学という形で、授業料の免除であったり、奨学金のような形にするところもあった。
 だが、実際にはどうであろう。
 有名高校に野球留学してきた生徒、それは、中学時代までは、
作品名:昭和から未来へ向けて 作家名:森本晃次