昭和から未来へ向けて
映像というのは、楽しくなければ見ている価値がないと思っていただけに、自分がどれだけ映像作品に依存していたのかということを、その時に思い知らされたのだろうが、その理屈が子供では分からない。
だからこそ、自分でも分からないうちに、本やテストでの文章を読む時は、どうしても端折って読むのだった。
それは、結果を早く見たいという思いがあるからではないだろうか。結果を見るということは、それだけ映像のように視覚に訴えることでしか、情報を得ることができなくなっていたということであろうか。
そういう人間が急激に増えてきたのか、学校でも、
「活字をどんどん読むようにしてください」
と言われていた。
それは自分たちが子供の時代にしか経験のできない小学生の時代だから、その一点でしか見えていないが、自分たちよりも前の世代、後の世代とでは、どんな言われ方をしているのかが分からない。
ひょっとすると、ずっと同じように、活字を読めと言われていたのかも知れないが、むしろ、他の時代に関しては、あまり意識をしていることはなかった。
そんな文芸に対しても、久則はまったく興味を示していなかったと言えるであろう。
だが、大人になるにつれて、
「どれでもいいから、芸術に携わっておけば、よかったな」
と感じるのだった。
中学に入ってから、何となくであるが将来のことを考えていると、それはまず自分の好きな教科から、考えるようになった。
まず最初に考えたのは、学校の教師で、それも、社会科の先生だった。
歴史であったり、地理を教えることができればいいと思うようになっていったが、それとはまったく違った発想として思うようになったのは、
「薬学への道」
であった。
生物、物理は苦手だったが、化学は好きだった。たぶん、物理が嫌いだったのは、数学という学問を受け入れることができなかった自分の責任ではないかと思うようになっていた。
物理というと、、どうしても数学の知識が必要で、昔の偉人が発見した理論を数学的に証明したのが物理学だった。だが、薬学は、確かに数学の知識が必要であるが、基本は化学で、数学というのは、基本的なことさえ分かっていればよかったような気がした。
歴史が好きなことも手伝ったかも知れない。薬品の多くは、医薬に使っていながら、同じ薬品を、爆弾のような兵器としても使用している。それは歴史が好きな久則にとってもってこいというものであった。
近代史が好きな久則は、近代戦争の時代に造詣が深く、政治的な面、さらに兵器開発などと言ったことにも興味を持っていた。世界大戦など、そういう意味では、総力戦であり、大量破壊兵器、殺戮兵器のオンパレードであった、
いろいろな社会的にも信頼を得ている科学者たちが、祖国のためというか、半強制的というか、開発に携わることになる時代。人間の精神がそれほど病んでいたということなのか、それとも、時代が精神を狂わせたのか、常軌を逸したかのような兵器がどんどん開発される。
科学者の中には、人類を飢餓の恐怖から救った面を持ちながら、大量殺りく兵器を開発するという正反対のことを行った人もいる。それほどの罪悪感があったのかは分からないが、その精神的な感情が一体どこから来て、どのようになるのかということを、誰が知り得るというのだろうか。
在阪プロ野球観戦
久則は、自分からスポーツをしようなどという考えはほとんどなかった。特に学校での運動部の活動は、見て見ぬふりをしてきた。確かに統制の取れた集団生活を行うことで、規律正しい人間形成ができるということなのだろうが、その頃から、集団生活というものに疑問を持っていた。
団体競技では努力をすればレギュラーになれて、試合にも出れるだろう。活躍すれば、人気も出て、まわりからの注目度はアップするだろう、だが、しょせんは団体競技、一人だけが目立つということもできない。時には自分を捨ててチームのためにしなければいけないことも多い。逆に自分のことよりもチームのために出場しなければいけない立場の選手だっているくらいだ。
では、陸上などのような、個人競技ではどうだろう? 確かに個人競技なので、個人での連中になるのだが、あくまでも部活は陸上部。生活の行動もすべては団体に属していることになる。
そんな生活が人間形成に役立つというのだが、一体それはどういう理屈なのだろうか?
実際にクラブ活動というものを冷静に見ていると、表から見れば確かに統制が取れていて、練習は厳しいが、それでもみんなの必死な顔を見ていると、裏があるとは思いたくない。
しかし、辞めていく人間も後を絶たないのも事実だ。そんな連中に対して、
「団体生活に馴染めないというのは、落ちこぼれたんだ」
というような話が出てきた。
それは部活だけではなく、学校の授業においても同じだ。
テストの成績が悪くて、授業についていけなくなる。
「落ちこぼれの生徒を出してはいけない」
ということは、どこの社会でも言われているが、実際にクラスに何十人もいれば、学年が進んでいくうちに、理解度は千差万別で、理解するスピードもさまざまだ、
理解するスピードが速い人に合わせた授業を行うと、どうしても、ついてこれない生徒をたくさん産むことになる。しかし、逆に落ちこぼれを出さないようにと、底辺を中心に授業を行うと、理解度の早い生徒を待たせてしまうことになり、他のクラスとの格差が生まれてくる。
これは、理解度の高い生徒からすれば、差別を受けた科のように感じることだろう。
落ちこぼれを出してしまう授業をすれば、落ちこぼれた連中は、授業に出るの苦痛になり、そのうちに学校にもこなくなるだろう。授業は面白くないし、一人の孤独を味わうためにいく学校なら、家で一人でいるか、同じように落ちこぼれた連中とつるむしかないではないか。
それを考えると、落ちこぼれがそのままグレてしまい、学校を辞めて、当時でいうところの不良となってしまうことは避けられない流れであり、大きな社会問題となったことだろう。
当時はまだ社会問題としての、
「苛め」
というのが表に出ていなかった時代だ。
表に出ないところでは結構あったようだが、社会問題になってくる頃ほど、ひどいものではなかった。それでも、学校を辞めて不良になったという流れは、その後の、苛めによる引き込もりや、校内暴力、家庭内暴力へと引き継がれることになっただろう。
そして、当時の風潮としては、テレビドラマなどで、熱血教師というものが人気だった時代でもあった。
しかも、運動部の顧問をしていて、学生生活の中での部活というものが、美化されて描かれていた。特に、ラグビーやサッカーなどが大きな話題ではなかっただろうか。それは、オリンピックが終わってからの、スポーツ根性路線と呼ばれるマンガなどから派生したものと、学園ものというジャンルが融合したのが、熱血青春ドラマなるジャンルだったような気がする。
作品名:昭和から未来へ向けて 作家名:森本晃次