昭和から未来へ向けて
「そうだよな、もっともだよな」
と言っていたのだが、考えてみれば、それは、一人貧乏くじを引いた時の自分と同じではないか。
あの時は我慢をしてしまったので、それ以降、
「もう、我慢などしないようにしよう」
と思うようになったのだが、女というのは、そこから先にも足を踏み込むようであった。
踏み込むことで、男には見えない女の感覚が目覚め、新たな世界を見ることになる。それはきっと男には見ることのできない結界があるのではないだろうか。
そう思うと、久則は、
「自分は、男としての限界まで行ってしまったのかも知れない」
と思うのだった。
その先の結界は見えなかったが、そこまで行ってしまうと、まわりが見えてきて、見えてきたまわり皆が冷酷でどうしようもなく感じられた。そんな思いにさせる場所にまで自分を追い込んだのは一体誰なのだろう?
その時の元凶である男なのか、それとも、男にそこまでさせた男の彼女の一種の自尊心がもたらしたものなのか、それとも、自分の彼女のあの冷静な目なのか。
あの時の彼女は、うろたえていたわけではない。何をどう対応していいのか分からないのであれば、もう少しうろたえていてもいいはずだ。それなのに、冷静な目で見ていたということは、あの場面全体を冷めた目で見ていて、自分は蚊帳の外にでもいるかのように思わせるのは、どういうことなのだろうか。
「結局、俺にとってあの女は、あの時にあんなことがなくても、冷めた目でしか見てないやつだったんだ」
と思うと、これまで付き合った女も、類は友を呼ぶというのか、皆同じような女ばかりだったのかも知れない。
同じ人間が好きになる相手だ。皆同じような性格だと思ったとしても、それは無理もないことである、
だから、
「しばらく、女はいい」
と思うようになった。
「男として性的に我慢できなくなったら、風俗に行けばいいんだ」
と思っていた。
風俗を汚らしいもののように最初は久則も思っていたが、実際にはそうではない。
「風紀の面で、いかがわしい商売」
と言われているが、久則が大学生の時、まだ風俗デビューしていなかった頃のことだが、ちょうと、風俗の名称が変わり、風俗営業法、いわゆる風営法も変わった。
当時は、風俗に限らず、音楽の著作権などの問題も社会問題としてあり、それらの訴訟もあったりして、いわゆる、
「市民権」
という問題が表面化した時代でもあった。
当時、レコードのレンタルという業種が全国的にあり、ある地域では、
「カセットテープのダビング」
という商売もあった。
高速ダビング機を使って、カセットのA面、B面を同時に数分でダビングするというものだが、それらがレコード会社であったり、著作権を保有しているアーティストたちから訴訟を受けることになった。
結果としては痛み分けということで、ダビングからも印税を得られるようにして、レコード会社の指定したもの以外のダビングは禁止ということで、レンタルやダビングの業種にも市民権が与えられたのだ。
だが、当時今でいう、
「ソープランド」
と呼ばれる特殊浴場は、以前、
「トルコ風呂」
と呼ばれていた。
トルコ人が、
「トルコという国を軽視した軽蔑的な表現だ」
ということで訴訟を起こした。
だが、こちらも、名称を変えることで、風営法の下で決まった形での営業であれば、立派な市民権を持った職業として認められたのだ。
当時、問題になっていたのは、全世界的に流行し始めた、
「HIVウイルス」
いわゆる、
「エイズ問題」
であった、
致死率の高さと、潜伏期間が五年から十年という気が遠くなりそうな期間のために、従事している人間の定期的な検査なども義務化されるようになった。
そういう意味でいえば、一番安全だと言ってもいいかも知れないが、やはり不特定多数という意識があるので、反対派は、あくまでも敵視していたことだろう。
だが、久則は風俗を嫌とは思わなかった。身体の欲求不満を解消してくれ、お世辞でもいいから、女の子から癒されたいと思うことのどこが悪いというのか、下手に女性と付き合うと、ロクな女に当たらないと思った久則は、
「お金で時間と癒しを買う」
ということを考えれば、他の商売と何が違うというのか。
映画館で映画を見る、レストランで食事をする、どこが違うというのか?
女の子は男を満足させようと、プロの意識を持って、相手をしてくれる。映画を作る監督も脚本家も俳優も、作品に携わる人が皆プロであれば、その代価として、入場料を払うのと何が違うというのか?
風俗の女の子だって、彼女たちは、ただ身体を売っているわけではない。癒しの時間を与えているのだ。当然、プロとしての自覚だってあるだろう。もし、それを否定するのであれば、
「お金が高価だということでの、やっかみなのではないか?」
と思われても仕方がないのではないか。
たぶん、風俗に対して抵抗感を持っている人には女性が多いと思う。そのやっかみは、「自分にはそれだけのお金は稼げない」
という思いであり、それをプロ意識とは切り離して表面だけを見ているから、そういうことになるのではないかと、久則は感じていた。
そんな風に考えるようになったのは、やはり、あの時自分だけが貧乏くじを引いたと思ったことから来ているのであろう。
実際に、風俗で馴染みのお店があったりした。
さすがに大学生ではアルバイトをしても、そんなしょっちゅう行けるものではないし、さすがに、
「大学生という状態で、お金を使うことには抵抗がある」
と思っていた。
社会人になって、お金を稼ぐようになり、ボーナスまで待って、ボーナスでやっと初めていくことができた。
当時は今のような大衆店などはなく、今でいう高級店ばかりだったので、年に数回いければいいというほどだったであろう。
まるで王子様にでもなったかのような気持ち、頑張って働いてきた、自分へのご褒美である。
どうせ他の連中に言えば、
「せっかくのボーナス。もったいないな」
と言われるに決まっている。
しかし、要するに自分にとって、何が大切かということは、他人の物差しでは絶対に計れるものではない。
「じゃあ、お前はボーナスでどうするんだ?」
というと、何も答えないのが関の山だ。
本当に何を買うのか決まっていないのか、それとも、いいたくないようなことなのか。
もし、後者であれば、
「そんなやつにとやかく言われたくない」
と言いたくなったとしても、無理のないことであろう。
初めて風俗に行った時、さすがに誰にも言わずに一人で出かけた。当時はネットなどもなければ、風俗の週刊誌もない、事前に調査というと、風俗街の街に出かけていって、
「無料相談所」
にでも、聞かなければいけないだろう。
「後日の研究のために」
と言って、相手は納得してくれるかどうか分からなかったので、さすがに行くのは怖かった。
しょうがないので、行くと決めたその日に、無料休憩所に行くという方法しかなかったのだ。
初めてということもあり、ドキドキしたが、ワクワクの方が多かったのは幸いであった。
作品名:昭和から未来へ向けて 作家名:森本晃次