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昭和から未来へ向けて

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「これも集団行動ができるようになるための訓練のようなもの」
 と先生はいうかも知れない。
 しかし、やりたくない生徒まで巻き込んで、リハーサルをやらせるというのは、子供として合点がいかなかった。
「小学生なんだから、そんなに細かく考えなくてもいいから、先生の言うとおりにしていなさい」
 と、一度、リハーサルの愚痴をこぼした時、そう言われた。
 言い方としては、優しいものだが、
「やるというのは決まったことなんだから、あれこれ言わずにやればいいんだ」
 ということであろう。
 一体何が楽しいのか、まったく分からない学校行事、授業も面白くもないのに、何を学校の中で楽しめばいいというのだろう。それこそ、
「学校で好きな時間は?」
 と訊かれて、
「給食」
 と即答するしかないだろう。
 そんな子供の頃を思い出すと、今の社会がどれだけよくなったというのだろうか?

              デジャブの魔力

 昭和から平成、そして令和へと続く今の時代、令和二年から、世の中は狂ってきてしまった。
 全国的な禍、いや、全世界的に恐怖の伝染病が蔓延り、いまだに収束すら立っていない。
 時代がどのように動いているのか分からないが、元々、日本という国が戦後の復興を成し遂げたということで行った、今から五十数年前に行った東京オリンピックは一応成功(大成功とは言わない)を収め、その後の日本の礎となったのは確かだろう。
 しかし、時代は流れ、令和二年に行われるはずだった東京オリンピックが、伝染病の影響で一年延期となった。
 そして、まだ蔓延が続いている状態で、しかも、都市によっては医療崩壊が起こっている状態で、政府は、
「禍に打ち勝った証のオリンピック」
 などという欺瞞に満ちた大会を開こうとしている。
 国民のほとんどが反対している状態で、強引なオリンピック開催、果たしてどこまで許されるというのか、
 昨日の報道で、
「看護師は確保できる。今休んでいる人間がいるから、その人たちを使えば……」
 などという、血迷った首相の会見が行われていたが、果たして、これを狂気の沙汰といわずに何という。
 そもそも、看護師が今従事していないのには、事情があるからだ。
 誹謗中傷を受けた人もいれば、不眠不休で身体を壊した人もいる。
 それを、あと二か月ちょっとしかないのに、これから集めて投入しようというのか?
 それはまるで、
「兵器の使い方を知らない人間に、最前線に行って戦え」
 と言っているのと同じではないか。
 さすがに戦時中の日本でも、召集令状で駆り出されたとしても、訓練くらいは行ってから前線に送り出すものだ。
 それすらなく、ただ人を集めればいいという考えが、一国の首相の口から出てくるというところが、すでに終わっていると言ってもいいのではないか。
 そもそも、医療から離れた人というのは、家族を守るために離れたのであって、いまさらボランティアのためにいまさら出ていくことはないだろう。
 たぶん、いくら札束を積まれても、誰もいかないのではないか? それでも行けというのであれば、まるで、やくざの鉄砲玉ではないか。
「見事に敵対する相手を殺すことができれば、出所後には幹部として迎えてやる」
 と言われているのと同じ感じであり、それが日本国の首相で政府なのだ。
「本当に国民の命を何だと思っているのか?」
 というのが、ほとんどの人の気持ちであろう。
 血の通った人間を、まるでモノとしか見ていない。それを思うと、精神論を通り越して、独裁国家顔負けではないか。
 基本的に日本は前述のように、立憲民主の国である。そんな独裁国家のようなマネ事をしたとしてうまくいくわけはない。独裁には独裁のルールというものがある。勝手にルールを曲げて無理を通そうとしても、その先に見えてくるものは、想像を絶する混乱と疲弊ではないだろうか。
 それを思うと、時代は進んでいるのか、過去に戻ろうとしているのか分からない。
 これを浄化として捉えるかどうか、それこそ、宗教にすがる人が出てきたとしても、無理もないことかも知れない。
 さすがに、三十年近く前に起こった、宗教団体を名乗る連中によるテロ行為によるクーデター未遂事件。それを知っている人は、簡単には手を出せないだろうが、もう三十年近くも前のことである。我々のように五十歳を過ぎている人間でも、その頃はまだ二十代だったのだ。
 三十代ともなると、知っている人はまずいない。
 そうなると、あの事件も、
「今は昔」
 ということになる。
 宗教団体の事件は、歴史の教科書の一行くらいにしかなっていないのが、現状なのかも知れない。
 今のそんな時代にも、おかしな宗教団体があった。そこも同じように会場というのを借りて、人と会話をするという形式は変わりはなかった、どんな話をしているのか分からないが、そんな団体があるということで、大学時代の宗教団体を思い出したのだ。
 その団体は、教祖と呼ばれるようなカリスマな人物が表に出てくることはなかった。彼らは全国に支部を持っていて大阪にも数か所あり、阪神間を総括していたのが、友達に連れて行ってもらった会場だった。
 そこには支部長らしき人もいるとはいうが、どんな人だか、会ったことはなかった。
「いつもは、どんな活動をしているんですか?」
 と聞くと、
「この会場に来て、皆それぞれの話を訊いているだけですよ」
 というではないか。
「えっ? 誰かが講義をするとかいうことはないんですか?」
 と聞くと、
「ええ、ありませんよ。ここでは皆が集まってお話をするだけです。だから、ここの登録は宗教法人となっていますが、半分は学校法人のようなものかも知れないとも思っているんですよ」
 と、その人は言った。
 なるほど、最初に話をした高校生の女の子も、そんなに緊張しなくてもいいと言っていた。彼女が団体の行動に対してあまり詳しいことを話さなかったのは、
「話をしても、誤解を受けるだけだ」
 と思ったのかも知れない。
 相手は、宗教団体ということで、最初から身構えて聴いているはずだ。そんな相手に、余計なことを言っても通用するわけがない。それを思うと、実際に会場に来て、他の人からその場で聴いた方が分かるに決まっている。そこで気に入らなければ、その人は縁がなかったということになるからである。
 久則は、そんな風に考えた。
 久則があたりを見渡すと、この間の高校生の女の子は見つからなかった。
「今日は、この間の子は来ていないんだね?」
 と聞くと、
「ああ、彼女は大阪地区を中心としたところで、この間君に面会したように、この会のことを軽く話すという役目なんだ。彼女にはそれなりに人を引き付けるものがあるようで、地区本部長が彼女にその役を任せたんだ」
 ということだった。
作品名:昭和から未来へ向けて 作家名:森本晃次