昭和から未来へ向けて
工場の煙突から見える煙は、煙というよりも、もやを出しているに過ぎなかった。学校で習った国語の文章には、
「家の近くには工場があり、その煙突からは、白い煙が空に向かって、一本まっすぐに昇って行った」
と書かれていたが、まったく違った光景に、教科書に書かれていることがウソだと思っていた。
一つのことでウソがあると、それ以外の表現も信じられなくなり、同じ光景であったとしても、
「ただの偶然にすぎない」
としか思えなくなってしまったのだ。
だけど、煙突が一本であれば、煙は普通に上に向かって伸びていることは分かっていた。それは風呂屋の煙突も近くにあったからで、風呂屋の煙突は、キレイに空に向かって煙を噴き出している。
「モクモクと」
という表現がピッタリである。
「会場」に行く途中に戦闘があった。今だったら、実に珍しい日本家屋の建物に、入り口には二つの暖簾が掲げられていた。男湯と女湯と書かれている。家の近くの銭湯には何度も行ったことがあったが、入ってすぐの場号の書かれた靴のロッカーも今では見ることのできないものだ。ただ、温泉などにいけば、昔の銭湯を模したようなところもあるだろう。木でできたロッカーに、木のキーがついていて、差し込めば、まるでカラクリ仕掛けであるかのように、カチッという音とともに、カギがかかる仕掛けになっている。番台と呼ばれる少し高いところから、男湯と女湯の脱嬢が見える仕掛けで、中には常連の中には、女湯の脱衣場を覗こうとする輩がいて、番台のおばちゃんから、注意されていた。
と言っても、基本的には常連なので、きつい言い方はしない。お互いに挨拶のようなものだというだけだった。
脱衣場で、一番覚えているのは、奥にある冷蔵庫に冷やしてある。コーヒー牛乳である。湯上りの身体と喉には、コーヒー牛乳がよく似合う。腰に手を当てて、グイッと飲み干すのが、当時のトレンディーであった。
さすがに中学くらいになると銭湯にもいかなくなったが、洗面器に書かれた、
「ケロリン」
という文字、そして、浴槽の向こうのタイルに描かれた見事な富士山。それが銭湯の代名詞というものだった。
今ではほとんどみることのできない銭湯だが、その懐かしさは、そんなに昔のことだとは思えない。やはり、シンボリックなものがたくさんあれば、思い出がかすむということはないのだろう。
そんな銭湯を横目に見ながら、行ったところに会場があったのだが、会場は前述のようなロールケーキを半分にしたような建物の中にあった。
その建物は想像にたがわず、中は体育館、及び、講堂になっていた。
奥には一段も二段も高くなっている演台があり、そこでm演劇であったり、講演会のようなものがあるのだろうが、その日訪れた場所は、完全にフリートークの場所になっていた。
宗教団体だということで覚悟の上で乗りこんでいったので、壇上から、教祖と思しき人物がお偉い講義を施すのではないかと思っていたが、どうもそういうことではないようだった。
友達に連れていかれたサークルは、数人が輪を作っている集団が、十個くらいあるだろうか。人数としては、五十人くらいなのだが、皆がそれぞれの集団を形成していることで、見た目にはもう少し少ない人数に思えたのだ。
会場の広さは、人数に比べて思ったより広かった。その分、人が多く見えたのであろう。
会場にそのまま座るとさすがに足が痺れてしまう、こたつ布団の敷布団のようなものを敷いて、足の板さを防いでいるようだったが、さすがにじっと座っているには限度があるようで、奥の方を歩いている人がいた。人数よりも広めの会場になっているのは、そういうことなのだろう。
「どうですか? ビックリしたでしょう?」
と友達が座ったところにいた人から声を掛けられた。
背広を着ているので、サラリーマンであろう。他の人は、女性が多く、男性は学生の友達とその人の二人であった、後の四人は女性だったが、一人は主婦っぽくて、後の三人は学生であろうか?
「あなたがこのグループのリーダーですか?」
と聞くと、彼はニッコリと笑って、
「いいえ、ここにはリーダーと呼ばれる人はいないんです。皆さん平等ですからね。ただしいていえば、年齢が上の人が人生建研が豊富だということで、代表として、グループの中にいるという感じでしょうか?」
と言っていた。
最初聞いた時、
――代表もリーダーも変わらないじゃないか――
と思った。
言い回しを変えただけでの同じもの、それを思うと、
――彼らの口車に乗らないようにしないといけない――
という思いを持ち、最初から挑戦的だったように思う。
そんな久則をメンバーがどう思っていたのか、誰も態度を変えようとしない。説明も誰かが代表してするわけでもなく、自然と誰かが口にするのだ。そんな時、他の人が口を挟んだり、一緒に声を挙げるということはない。まるで示し合わせたような状態に、普通であれば、信じられないように思えた。
確かに、久則は人との会話が苦手だということもあって、集団行動は嫌いだった。特に小学生の頃に毎年のようにあった、音楽会、運動会、さらには学芸会と呼ばれるものは、そのどれもが嫌いだった。
特に嫌だったのは、日曜日を潰されることであり、いくら平日に休みになるとはいえ、一週間にリズムが壊れるのは嫌だった。
ただ、それよりも何が嫌だと言って、リハーサルという名の予行演習を何度もしなければならないことだった。
どれもが、言葉では表現していないが、すべては、
「発表会」
なのだ。
芸術的なことを発表会として、父系に見せる。まるで、
「お子さんを学校で教育して、発表できるくらいに仕上げましたよ」
と言わんばかりのことで、生徒の発表というよりも、学校の威信が掛かっているということであり、そういう意味では発表会よりもむしろ、最初の行進であったり、整列などの見事さを見せつけたいがためのものではないだろうか。
さすがに小学生でそこまで考える子供はいなかっただろうが、久則は感じていた。
それだけ、リハーサルというものに疑問を感じていたし、それ以降、リハーサルのいるものは毛嫌いしていた。
だから、演劇であったり、音楽は大嫌いだった。音楽は前述の通り聞く分には問題ないのだが、実際にやらされるとなると嫌だった。予行演習があるからだ。
「どうして皆、リハーサルが嫌だって言わないんだろう?」
と思っていた。
自分がこれだけ嫌なんだから、リハーサルが好きな人などいるのだろうか?
芸能人は自分の発表に必要なリハーサルなので、それなりにプライドを持ってできるのだろうが、どこまでリハーサルというものに妥協するかとしか思っていないとすれば、やはり自分の考え方が間違っていないような気がした。
だが、一度、放送局に行った時、舞台のリハーサルを見たことがあったが、自分の考えが間違っていたかと思うほどに皆真剣にこなしていた。だから、プロである彼らには必要なものとしての認識があるので、一生懸命にできるのだろう。
しかし、小学生である生徒は、自分たちが望んだことではなく、学校から勝手にやらされているのだ。
作品名:昭和から未来へ向けて 作家名:森本晃次