昭和から未来へ向けて
すぐに警察に通報され、付近一帯を捜索されたが、なかなか見つからない。翌日になってそこから下流に数百メートル行ったところで、死体が打ち上げられているのを、朝犬を散歩させていた老人が見つけたのだ。
どうやら、その川は、見た目に比べて水深が深いようで、落ちてしまうと、自力で起き上がってくるのは難しい場所だったという。
そもそも、そんな場所に柵も何もなく、舗装もされていない道路だったことが問題になり、しばらくは通行止めとなった後、舗装され、柵も施されたことで、そんな事故はなくなった。その区間だけはしばらく車は通行できず、新たな道を作って迂回するようにまでしていた。
やろうと思えばできることを、そう簡単にできないのは、
「警察というのは、何かなければ動かない。誰かが死んだとか、殺されたなどでもなければ、動こうとしないのだ」
ということに結論は落ち着いた。
子供心に、
「警察って、何ていい加減な組織なんだ」
と思ったくらいなのだから、大人の憤慨もハンパではなかっただろう。
ただ、実際には、大人も皆苛立っているのだろうが、結局、
「苛立ったって、いつものことであり、ただ、繰り返されるだけのことを、いちいち苛立っているのも疲れるだけだ。自分の身に降りかかってこなかっただけよかったと思うしかない」
というのが、本音であろう。
大人が皆他人事なのかそういうことの積み重ねであるということを理解するまでには時間が掛かる。自分が大人になって、その立場にならないと分からないことなのであろう。
そう思うと、警察が犯罪事件などの捜査で、聞き込みにいく相手が、非協力な人がいたからと言って、ドラマなどでは、
「一般市民がああも、非協力的だとやってられんわ」
などというセリフを見たことがあったが、大人になって考えてみると、
「どの口が言うんだ」
とでも言いたくなってしまう。
まるで選挙前の政治家や、契約を結ぶ前の生命保険会社のレディのようではないか。
選挙前にはうるさいくらいに、
「清き一票をお願いします」
と言って、選挙カーに乗って笑顔を振りまきながら手を振っているのを見るが、実際に当選してしまうと、公約に掲げたことがまるでなかったかのように、好き勝手しているし、市民とは一切向き合おうとはしない。
保険会社のレディさんにしてもそうだ。あれだけ昼休みにうるさいくらいにやってきた人たちが、入ってしまうと、見向きもしない。営業なのだから仕方がないと言えばそれまでなのだが、本当にそれだけでいいのだろうか。
それこそ、大人の世界の勝手な都合であり、大人になってからの自分が、ここで批判できるような人間だったのかと言われると、何ともいえない。ただ、大人の理屈が分かったうえで、子供の頃の環境になってみれば、その矛盾と理不尽さに、自己嫌悪に陥ってしまうだけのことがあるだろう。
ただ、警察というのはそうはいかない。人の生き死にに直接関係しているのだから、警察には責任がある。いわゆる、
「治安を守る」
というものだ。
ただ、昔のような治安維持になってしまわないようにしないといけないというところで、いわゆる落としどころが問題と言ってもいいだろう。
昔の治安維持、それは、自分たちがまったく知らない時代のことで、戦前と呼ばれる時代である。
その時代は、今とまったく違った国家で、憲法すら別であり、
「まったく違う国家」
と言ってもいいだろう。
何しろ、政治体制の根本が違っているのだから当たり前のことで、今の世の中は、
「立件民主主義」
と言われるもので、戦前は、
「立件君主国」
だったのだ。
立憲というのは、読んで字のごとく、
「憲法に則った国家」
という意味である。
民主主義というのは、主権は国民にあり、国民の総意で政治が行われるというものだ。逆に君主というのは、国家元首は一人、君主と言われる人で、ただし、憲法の規定にある以上の権利を有しない。ただし、国家を担うに十分な君主としての権利は認められていて、かつての日本は、
「帝国」
だったのである。
その君主というのは、天皇のことで、天皇がある程度のことを決めることができるのだが、政治家を引退したいわゆる「元老」と呼ばれる人たちの意見を受け入れて、天皇が決定するというやり方を呈していた。
これが、いわゆる立憲君主というのだが、かつての日本は、その天皇を神のように祭り上げ、軍事国家としての道を歩むことになる。
だからと言って、当時の天皇の取り巻きがすべて悪いというわけではない。中には、
「君側の奸」
と言われる、天皇の側近という立場で、私利を貪っている人たちもいただろうが、ほとんどは、国家のために考えて、憂いている人がほとんどであったと思う。
そういう意味では、今の令和の時代の政治家などは、そのほとんどが、私利私欲を貪っていて、
「国民のため」
などと言って、欺いている人のどれほど多いことか。
国民の命を危険に晒してまで自分の政権を維持したいと思う連中や、自分の私利私欲を行った代償に自殺した人まで出たのに、
「知らぬ存ぜぬ」
を決め込んで退陣することもなく、君臨していたやつまでいた。
そんな連中が今では国家元首と呼ばれる人たちなのだから、昭和の動乱を生きていた人間が見れば、どう思うことだろう。軍事裁判に掛けられて処刑されていった人から見れば、死んでも死にきれないと思っていることだろう。
「こんな国家にするために、自分たちは人柱になったのではない」
と言いたいことだろう。
処刑された人は、全員が潔かった。事実を述べ、決して自分を擁護することはなかった。彼らが死んでいったのは、きっと平和な世界を夢見てのことであろう。
その平和な世界が、果たして今の世界なのだろうか。なるほど、戦争というのは、それ以降起こっていない。しかし、国家内部が平和だと本当に言えるのだろうか。彼らが夢いて死んでいったその国家がどんなものだったのか、実際に聞いてみたいものである。
確かに戦争を犯すことは愚の骨頂であるが、その時代を実直に生きた人たちの精神までも否定することは許されないと思う。あくまでも、昭和、平成を生き抜いてきた人間が思うことであり、今の若い連中には決して分かろうはずのないことだろうと思うのだ。
話は逸れてしまったが、河原から見た工場の光景を、大学生の頃に思い出して、
「懐かしい」
と感じたのは、時間的には十年ほどしか経っていなかったのに、今から大学生のその頃を思い出すと、本当に同じくらいのイメージでしかなかった。
社会人になってから、どんなに毎日が薄いものだったのか、逆に小学生、中学、高校時代が、そんなにも濃いものだったのかと言われると、どちらもそうでもない。同じ一日は同じ一日にしか過ぎないのだ。
それを分かっているからこそ、長い目で見た時、かなり歩いてきたと思った道を初めて振り返ると、まだ、ほとんど進んでいなかったという錯覚に陥る時と似ているのかも知れない。
そういう意味で、時間と想い出との感覚は、矛盾したものなのではないかと思うのだった。
作品名:昭和から未来へ向けて 作家名:森本晃次