昭和から未来へ向けて
それでも、おいしいからと言って、店主のわがままを我慢している客もいるようだが、久則は絶対にその考えには従えない。
「お金を払ってまで、何を我慢するというのか」
ということである。
そんな店には二度といかないと思っている。もし、自分が嫌ではない押し付けであっても、店側から客を強制するようなことがあれば、即座に退店するようにしている。
まだそれほど忙しい時間帯でもないのに、一人で店に行った時、
「カウンターにどうぞ」
と言われたら、即座に退店する。
言葉には出さないが、
「勝手に店の都合だけで決められるのは、容認できない」
と思っているからだ。
だから、久則はランチタイムの時間をわざと外すようにしている。しかも、十二時前ではなく、一時半を過ぎてから行くようにしている。
なぜなら、客の波が終わって、客が減ってきたのが明らかに分かっている時間帯で、そこで客に訊かずに、勝手に店側で咳を強要するようなところは、問答無用で、嫌な店だからである。
だから今でもずっと、
「客が店に対しては絶対なんだ」
と思うようになったのだ。
それがわがままであると他の人がいうのは分かっているが、本当にそうであろうか、そんなことをいう人も本当は、
「わがままなんかじゃない」
と言いたいのかも知れない。
しかし、それを言ってしまうと、大人げないと言われてしまうことに懸念を感じ、それが自己嫌悪を誘発するのであれば、最初からわがままだとして諦める方がマシだと思うのだろう。
そんな思いをしたくないと思っているのが、久則であった。
久則は、
「後で後悔するくらいなら、その場でまわりの人から疎まれてもいい」
と思う方であった。
そんな思いをまわりの人が、
「あいつは我慢できないタイプのやつだ」
と言っているであろうことも分かっている。
それでも、その時の自分の気持ちにウソをつくことは、我慢できるかできないかという発想と、次元が違っているのではないかと思うのだった。
だから、第一印象を大切にする。
将棋の世界の話だが、
「一番、隙のない布陣というのは、どういう布陣なのか分かるか?」
と訊かれて、
「分からない」
と答えると、質問者が、
「それは、最初に並べた形なんだ。一手指すごとにそこに隙が生まれる。だから、最初の布陣は考え抜かれて編み出した布陣なんだろうね」
と言っていたのを思い出した。
これも、一種の第一印象。そこから何かを考えるということは、隙を与えることにもなる。最初が一番の布陣だという考え方は、危険であるかも知れないが、中途半端で正解が分からないで終わるよりもマシではないかと久則は考えていた。
そんなことを考えていると、
「俺みたいな考えって、強引なのかな?」
と思うようになった。
たぶん、自分のような考え方をする人ばかりであったら、世の中は成り立たない。
そもそも、磁石の同極が反発しあうようなものではないか。
ただ、それも、自分が何かを生み出すことに喜びを感じる素質のある人間だからこそ感じることではないかと思うようになったのは、それからかなり経ってからのことだった。その頃に、またしても、子供の頃に芸術に親しめる機会があったにも関わらず、簡単にあきらめてしまったことに後悔がよぎる。
「頑固で偏屈な考えの人に芸術家が多い」
という考え方と、
「芸術家には、頑固で偏屈な考え方をする人が多い」
という考え方、言葉の順序を入れ替えただけだが、ニュアンスとしては若干違っている気がする。
前者の方が柔らかい物腰のように言葉だけでみれば感じるが、抑揚をつけると、後者よりもかなり厳しく聞こえてくるような気がする。それというもの。前者の方が、芸術家というものを攻撃する気持ちが強いと感じるのは、主語としての力が強いように感じるというのは、久則独自の考えであろうか。
ただ、この考えも漠然と考えた時と、ふとした時に思いついて考える時とでは、かなり違っている。ただ、久則の考えでは、そのどちらも、柔らかい物腰に感じる。久則は十中八九、芸術家には偏屈がほとんどだと思っているからだ。
逆にいうと、
「頑固で偏屈な人間でなければ、芸術家にはなれない」
という意味で、むしろこの思いがあるから、頑固で偏屈な人間を、ある意味尊敬できるのではないかと思うのだ。
自分が頑固で偏屈な人間だと思うのは、
「後になって後悔したくない」
という思いがあるからで、だから、自分なら芸術家に近づけると思った。
そういう意味で小学生の時、芸術に対して、早めに見切りをつけてしまった自分を、
「もったいない」
と思うのだ。
音楽鑑賞が好きになったのは、その気持ちが強いからなのかも知れない。
「一度、会ってほしい人がいるんだけど」
と、声を掛けられたのは、そんなことを考えている頃でもあった。
芸術に関しての何かをまた始めたいという思いを持ち始めていたが、何をどうしていいのか分からない。考えてはいるのだが、最初の一歩が分からないのだ。
何となく引っかかっているのは、
「将棋の最初に並べた時の布陣」
ということだった。
クラシック喫茶の数軒先に、外観が赤レンガに包まれた喫茶店があった。その店も何度か行ったことがあったのだが、そこは、モーニングサービスを食べるにはちょうど良かった。
駅前ということもあり、その店は、他の店に比べて開店が早かった。朝の六時半から開店していて、七時には店内の半分くらいを客が埋めている。さすがに朝の七時頃というのは学生よりもサラリーマンの方が多く、モーニングを食べてからの出勤者であった。
朝の八時くらいが店の客のピークであろうか、テーブル席はほぼ満員であった。
その店もモーニングが終わる十時半くらいには、客足はほとんどなくなっていて、どちらかというとコーヒー専門店の様相を呈しているので、ランチタイムにランチメニューを提供はしていない。モーニングサービスの時間だけは特別ということであろうか。
トーストにハムエッグ、レタスにトマトには、シザードレッシングが掛かっている。
「コーヒーが美味しいから、モーニングも特別な味がするような気がするんだよな」
と常連客は言っているようだ。
さらに、この店は夕方も結構人が多い。昼下がりのマダムと呼ばれる人たちがやってきて、今でいう、
「女子会」
のようなことをしているようだ。
そんな時は、コーヒーとケーキのセットを頼んでいる。ケーキはこの店の自家製であり、コーヒーと両輪の人気を誇っているのだ。
そういう意味でこの店は、モーニングの時間と昼下がりは賑わっているが、意外とそれ以外の時間はゆったりとしている。この店にも常連の客が多く、ちなみに、ここでの常連というのは、一人での来店を差していて、いくら定期的に来るとはいえ、女子会のようなマダムたちはここでの常連には含めていない。
常連さんのほとんどは、モーニングの時間と、昼下がりは外している。昼前に来る客もいれば、夕方以降に来る人もいる。
作品名:昭和から未来へ向けて 作家名:森本晃次