正悪の生殺与奪
実際に、殺人事件すら刑事課で取り扱うものは数日なく、ただ、最近殺人がない代わりに、自殺などが急増していた。
ここ最近、経済が不安定であったり、伝染病が流行ったりと、経済への打撃がハンパではなく、その煽りを食って、禁乳不安が襲ってきたことで、リストラが流行り出しているようだ。
実際の数字もひどいもので、失業率はここ十年間でも最低レベルにまで落ち込んでいて、静かにではあるが。巷はリストラが吹き荒れているようだった。
「陰惨な殺人事件はないが、自殺が多いというのもやり切れないよな」
「ああ、そうだよな。殺されたというのであればまだしも、自殺したなんていうことになると、どうしようもない。保健も下りないひともいるだろうし、鉄道を使って自殺なんかした日には、残った磯久が賠償金を払わなければいけなくなるんだよな」
と言って嘆いていると、
「何をくだらないことを言ってるんだ。自殺だろうが、殺人だろうが、人ひとりが死ぬことになるんだぞ。不謹慎な言い方はやめるんだな」
と、課長にいわれた。
「はい、申し訳ありません」
この会話に門倉は参加していなかったが、不謹慎だとは思っていた。
若い血気に早やっているいる新人刑事としては、自分の活躍の場面がなかなかないことを残念に思っていることだろう。しかし、犯罪がないに越したことはないのだ。彼らだって、そんなことは分かっているのだろうが、やはり覚悟を固めて刑事になったのだから、自分が活躍できることを夢見ているのは、本当であれば頼もしいことなのだが、事件がないというのは皮肉なもので、下手をすればせっかくの新人の成長のチャンスがなくなっているのかも知れない。
そんな時、門倉は課長に呼ばれた。
「門倉君、ちょっといいかな?」
「はい、何でしょう。課長」
二人は、奥の応接室に入った。
「実はね。今度、近くの高校で防犯講習会があるんだけど、君に手伝ってもらいたいんだ」
というような話だった・
「えっ。私がですか?」
「さあ、そうだ。最近はちょうど重大事件も発生していないし、このあたりで警察が市民と触れ合う場面を演出しておく必要があるんだ」
「そういうのは、広報課だったり、交通課がやるんはないんですか?」
「そうなんだが、広報課の方から応援依頼があってね。署長もそれなら、誰か出せばいいじゃないかっていうんだ」
「それでどうして私なんですか?」
「老練の刑事には若い人たちは少し難しいだろうし、かといって新人の連中には任せられない。そこで刑事としてもそれなりに経験のある君に白羽の矢が立ったというわけだよ。お願いできないだろうか?」
と、頭を下げられれば、無碍に断ることもできない。
渋い顔をしていると、署長が入ってきて、
「いいじゃないか、門倉君。君が市民の人から信任が厚いというのも、私は知っているよ。だからそんな君に頼んでいるんだ。刑事は犯人を逮捕するだけが仕事ではない。犯罪を未然に防ぐのも大切な仕事なんだ。被害者を出さずに、そして、若い人たちにも防犯意識を持ってもらうことで、これからの市民生活に我々警察が寄り添っていけるようになると、犯罪だって減るだろうし。万が一起こってしまった犯罪も、市民が協力してくれれば謙虚にも繋がるというものだ。君だって、捜査をしている時、市民が警察というだけで嫌な顔をして、捜査二非協力的な場面を嫌というほど見ているんじゃないか? そんな思いはもうしたくないはずだ。だから、頼んでいるんだよ」
と、いう署長の説得には、それなりの説得力があった。
「分かりました。こんな私でよければ」
というと、
「そうか、やってくれるか。君がやってくれると言ってくれたのは実に心強い。これからは君が先駆者となって、市民との懸け橋を築いていってくれたら。私たちは安心なんだけどな」
と、署長は手を差し出して、握手を求めてきた。
署長に勧められたからと言って、
「じゃあ、やりましょう」
というのは、本来の門倉刑事としてはあまりありえないことだった。
署長としても、門倉刑事が本当にやってくれるかという意味では、五分五分くらいを考え、必要以上に期待はしていなかったはずだ。それでもやろうと思ったのは、最初の候補になっている学校が、留美子の学校だったということである。
「留美子ちゃん、今度君の学校でうちの署による、防犯教室があるんだけどね」
「ええ」
「実は僕が講師としていくことにあったんだけど、どうだろうか?」
と聞くと、
「えっ、門倉さんが来てくれるの? それは嬉しいわ。私、門倉さんという刑事さんと知り合いだということを、学校では誰にも話をしていないのよ。これを機会に話そうかしら?」
と言っているのを聞いて、
「それはいいかも知れないね」
と言った。
留美子が意外な顔をするかと思ったが、別に気にしている様子はない。普通なら門倉は自分を友達に紹介するなどというと、恥ずかしがって、変に意識してしまうと思ったのだろう。実際に一年前くらいの門倉であればそうだったのかも知れないが。今回は署の代表としていくのだ。一種のスポークスマンの役目も背負っているということで、学生にある意味顔を売っておくというのも悪いことではないと思ったのだ。
それに、留美子という女の子が、今まであまり学校のことを話そうとはしなかった。それだけに友達に自分のことを話していないのも分かっていたし、今度もそうだろうと思ったのだ。
つまり、自分のことを話すだけの友達がいないということであり、それは門倉にとってはあまり嬉しいことではなかった。自分が少々恥ずかしい思いをするかも知れないが、留美子に友達が増えるのであれば、それはそれで喜ばしいことだと思ったのだ。
「僕だけではなく、広報の人や交通課の人もいるので、結構いろいろな話ができると思うんだけど、それでもいいかな?」
「もちろんよ。私楽しみ」
と言って、本当にワクワクしているようだった。
留美子という女の子は性格的に分かりやすい子で、気に入ったことには熱心に、気に入らないことに対しては、あくまでもクールにであった。クールさも表情に出て、彼女の場合は、
「無表情な表情」
と言ってもいいだろう。
日程は、次の月の最初の月曜日に決まり、半月ほどあったので、門倉も十分な練習期間が持てた。何をするかというと、まずは実技である。
主に女性の防犯が大きいので、主役は女性警官であり、門倉は襲う側という、ちょっと嫌な役回りだったが、前もって留美子にはその話をしてみたが、
「いいわよ。だってそれが門倉さんのお仕事ですものね。でも、その後にちゃんと格好のいいところもあるんでしょう?」
「ああ、その後に僕の講義の時間があって。そこで犯罪の種類や防止方法や、検挙の例なんかを話すことになるんだ」
「最初にちょっと格好悪いことをしておいても、最後にはキッチリと決めてくれるんであれば、その方が恰好いいんじゃないかしら?」
と言ってくれたのも心強かった。
実際の講義で何を話そうか、いろいろ迷ったが、やはり一つはこの間の厄介な事件を、鎌倉探偵の気転を利かせた推理で解決した、あの事件にしようと思った。