正悪の生殺与奪
これまで見せたどんな純粋な笑顔よりも、幼く見えたその表情を門倉は、
「ずっと忘れることのできない顔」
と感じるようになってしまったのだった。
留美子と話をしていると、時々、
――自分の気が変になったのではないかと思う――
と感じることがあった。
だが、それは錯覚で、本当はそれだけ留美子が頭のいい子だったということであった。まだ高校生ということもあって、何にでも興味を示す、ごく普通の女の子だと思っていたが、実際には頭がよかったのである。
それは頭の回転が早いということなのか、キレているということなのか、ハッキリとは言えなかったが、少なくとも人のできない発想をするのが得意で、その発想が結構的を得ていたりする。やはり頭の回転が早いのは間違いないようだ。
彼女は、密かに探偵小説を書いているということだったが、それを知ったのは、偶然だった。彼女の友達が話しているのを影で聴く機会があったことで知ったのだが、それを本人に確かめる気にはならなかった。
「言いたくなったらいうでしょう」
というのが門倉の気持ちで、ある程度のことはほとんど話をしてくれる留美子が敢えて話そうとしないことであれば、話題にされたくないと思っているからなのかも知れない。
しかし、彼女が試験中でもないのに、忙しそうにしているのを見ると、
「新人賞にでも応募する作品を書いているのではないか?」
と感じた。
なるほど、もしそうだとすれば。新人賞を取ることができて、初めて話そうと思っているのかも知れない。もし取ることができないとしても、いずれは話してくれるだろうから、こちらから聞くのは、やはりやめておこうと、気を利かせることにした。
留美子は、さすがに新人賞には輝かなかった。さすかにプロを目指して努力している人の中から選ばれるのは至難の業であろう。それも分かっている。
だが、それから少しして留美子の方から、
「私、黙っていたんだけど、実は小説を書いているのよ」
と言い出した。
どうした風の吹き回しなのかと思ったが、
「ほう、そうなんだ」
とまるで、最初から知らなかったかのように振る舞った門倉刑事だったが、そんなことはどうでもよかった。留美子が自分から話をしてくれたことが嬉しかったのだ。
「私ね。大それたことをしたのよ。小説の新人賞に応募したんだけど、しっかりと撃沈しちゃったのよ。でもね、初めての投稿だったんだけど、二次審査まで通過したのよ。これってすごくない?」
というではないか。
かなり興奮していた。その様子を見れば、本当は二次審査を通過したところで言いたくて言いたくてたまらなかったのではないかと思わせるほどだったことを印象付けていたが、そもそも二次審査を通過するということがどういうことなのか、小説に興味のなかった門倉にはハッキリと分からなかった。
そんなキョトンとしている門倉を見て、少しでも自分が興奮しているということを知らせて、二次審査を通過したことが、どれほどの喜びに値するかということを、門倉に教えたかったのだろう。そのために、普段使わない女子高生の言葉を使ったに違いない。だが、本来の女子高生というものは、こっちが本物だと言えるだろう。門倉は今留美子を見ていて、自分が知らなかっただけなのか、それとも初めて留美子の本当の姿を見ることになったのか、どちらなのかを考えていたのだ。
そのうえで留美子は続けた。
「その新人賞というのは、プロへの登竜門って言われていてね。だから、初めての投稿なので、最初から新人賞が取れるなんて思ってもいないのよ。最初だから、腕試しみたいな気持ちと、実際に自分の実力がどこまでなのか、少しでも分かればいいと思って応募したのよ」
と言っていた。
「そうだね、一次審査も通過しない人が結構いるんだろう? そんな人は自分がどのあたりにいるのかはまったく見当がつかないのだろうけど、少しでも通貨していくと、自分の段階がどこなのかって、叙実に分かってくるよね。しかも、最初に最低ラインにはいないと分かっているだけに、気も楽になるというものだ」
「ええ、その通りなの。だから、私は応募して、その評価がもらえたことが嬉しいのよ。次には大賞を狙いたいって思えてくるでしょう?」
「そうだね。僕も応援したいと思っているよう」
「ありがとう」
その顔には笑顔がみなぎっていた。
「私、ミステリーを書こうかと思って、今いろいろと勉強しているところなんだけど、門倉さんは本物の刑事さんなんだから、いろいろな事件をご存じなんでしょう?」
と聞かれて、
「まあ、普通の事件とかは結構扱ってきたけど、そんな探偵小説などのような奇怪な事件なんて、そんなにあるもんじゃないよ」
「でも、事実は小説よりも奇なりっていうでしょう? 実際には変わった事件なんかもあるような気もするんだけどな」
「どうなんだろうね?」
という会話から、探偵小説談義に変わっていった。
門倉刑事も学生の頃には結構探偵小説というものを読み漁ったものだった。今はどんどん新しい小説が出てきているので、さすがに古くなった小説を留美子が読んでいるとは思ってもみなかった門倉刑事だったが、
「えっ、そんな古いのを読んだりするの?」
と、門倉刑事が驚くほど、古い小説を留美子は読んでいた。
留美子が読んでいるという小説は、大正の終わり頃から昭和初期にかけての、本当の意味の探偵小説と呼ばれるものだった。門倉刑事はその頃の小説が結構好きで、実は部屋の本棚には、昔敢行された本が所せましと並んでいた。今ではまったく本屋で見ることはできなくなってしまった代物なので、これだけの蔵書は、他の人にはないと思い、門倉刑事のお気に入りでもあった。
「ねえ、門倉さんは、昔の小説のどこが好きなんですか?」
と聞かれて、
「そうだね。まずは時代背景かな? 僕は歴史も好きなので、大正から昭和にかけての激動の時代というのを勉強するのが好きだったんだ。だから、想像させてくれる探偵小説という意味合いもあるし、そんな時代にいかなる風俗習慣があったのかというのを知りたいという思いも探偵小説に自分を引き付けるきっかけになったんじゃないかな?」
というと、
「それはあくまでもきっかけという意味ですよね?」
「ああ、そうだよ。留美子ちゃんは、っじゃ、どういうところに興味を持ったの?」
と聞くと、
「私はね、その時代のことは確かに他の本で読んだりして興味もあったんだけど、きっかけではなく、読んでいくうちに分かるようになったということなの。もちろん、面白くて惹かれるようになったのは事実なんだけど、私がその時代の探偵小説をよく読むようになったのは、トリックなどの幅が広いというのが、一つの理由かしらね?」
「というと?」
「私は今のミステリーも結構読んできたり、サスペンスなどをテレビで見たりしてきたんだけど、どうもトリックなどの謎解きなどを強調しようとしている作品が多いとは思うんだけど、何かが物足りない気がしてきたの。それはたくさん読めば読むほどそう思えるのんだけどどうしてなのかしらね?」
という留美子の疑問は、もっともであった。
門倉は、ゆっくりと諭すように話が自メタ。