正悪の生殺与奪
「僕は門倉君との話の中で、出題者と回答者がまるで一人二役なんかを構成していたら面白いと思うんだよな」
と鎌倉氏は言った。
三角は、何か頭の中を見透かされた気がした。この間の話を聞いていたことを知っていたのだろうか?
三角はこうなったら、隠して置こうという気にはなれず、ここまでくれば白状した方がいいと思った。
「実はこの間、門倉さんとお二人がお話しているのを僕も聞いていたんですよ。その時は確かに一人二役のお話をしていたと思うんですよ」
と正直にいうと、
「そうですか、それは僕も誰かに聞かれているとは思っていたんですが、別にまずいことを話していたわけではない。探偵と刑事の会話ですからね、これくらいの会話は普通のこととしてお許しいただけると思っているんですよ。でも、僕はあれから、なぜかあの時に門倉君と話をした内容を半分以上忘れてしまっているんですよ。内容と言っても、そんなに犯罪に関係がある話だったのかすら、覚えていないんだよ。たぶん、元々は、算数は時として問題を作るよりも回答の方が難しいことがあるというような話から入ったような気がする。そして、算数と数学について話したというような意識は残っているんだけどね」
と、鎌倉探偵は言ったが、三角が聞いた話もほぼそれに近いような話しかしていなかったような気がするので、鎌倉探偵が忘れてしまったと思っているのは勘違いで、本当はほとんど覚えているのかも知れない。
それも少しおかしな気がするのだが、なぜ忘れてしまったと感じたのか、話し終わった時の充実感のようなものが、記憶よりも大きかったからなのかも知れない。そう思うと三角は、自分にも似たような感覚を覚えたことが、かつてあったような気がして仕方がなかった。
三角は、高校時代から、留美子のことが好きだった。最初はあまり気にしていたわけではない。正直言って、タイプでもなければ、どうしても話をしてみたいと思うような相手でもなかった。
ただ、気になる存在であり、そこにはきっと話をしなくても通じ合える何かがあるように感じたのではないか、そして、相手も自分を同じような目で見ている。ひょっとして自分に話しかけてほしいという目を向けているのかも知れないが、それを三角は察知できないでいた。
「そういえば、最初に何の話をしたんだっけ?」
最初に話をしたのは、もう三年生になっていたのではなかったか、勉強はそれほど嫌いではなかったが、受験のためにしなければいけない勉強を考えると、自分が好きな勉強も、どこを好きになったのか、自分でも分からなくなっていそうだった。
受験のための図書館、受験のために立ち寄るカフェやファーストフードの店。そう思うだけで何となく嫌な気分になるのに、さらに気分が滅入るだけではなく逆なでさせられるのは、試験勉強を大人数で行おうと、ファミレスやファーストフードの店に屯して、一応はノートや教科書、参考書などを広げてはいるが、実際に勉強をしている様子はない。スマホを見たり、ゲームをしたりと、何しに来ているのか分かったものでもない。
しかも、大音量で、まわりを憚ることなく大声で話をしている。まわりの客も大迷惑だ。
「受験勉強をしているんだから、しょうがないか」
と思ってくれているのか、それとも、バカな連中と関わり合いになることを嫌だとするのか、まわりの大人は、近寄ろうともしない。
それをいいことに、彼らは自分たちは受験生で、毎日が大変だということを言わんとしているのだろうが、社会に出れば、どれほど理不尽なことも待っているか、まだ知らない青二才として、大人は冷めた目で見ていることだろう。
それは同じ年の真面目に受験勉強をしている連中から見ても、同じである。いや、もっと露骨に嫌がっているかも知れない、
なぜなら、
「俺たちは、真面目にやっているのに、あんな連中と同じに見られることになるじゃないか」
ということであった。
最近では、法律で決まっているわけではないが、路上喫煙はマナー違反ということで、ほとんど今は誰もしていない。だが、たまにしている連中を見ると、禁煙車が怒るであろう。
実は本当に怒っているのは禁煙車よりも、喫煙者の方かも知れない。
「あいつらのせいで、俺たち迄白い目で見られる」
として、真面目にルールを守っている人間も、同じ人種だと思われるすれば、実に心外だ。
だから、マナー違反をする連中には、まず味方はいない。まわりがすべて敵だらけだと思ってもいいだろう。
留美子と最初に話をしたのは、普通とは違う会話だったような気がする。
「そうだ、確か音楽の話ではなかったか」
三角は、高校に入ってから洋楽を聞き始めたが、小学生の頃から中学生の間くらいまではずっとクラシックを聞いていた。
ベートーベン、ドヴォルザーク、チャイコフスキー、とジャンルは結構幅広いものであったが、それは小学生の時に、学校内の音楽といえば、そのほとんどがクラシックだったということもある。
ただ、クラシックというと、大げさなオーケストラを従えて、指揮者が中央にいて、タクトを振っているという印象がある。
「一度くらいはクラシックコンサートにもいってみたいな」
と思っていたが、なかなかそんな機会もなかった。
しかし、クラシックコンサートというと、どうも昔の上流階級のお嬢さんが聞きに行くものという偏ったイメージがあったことから、なかなか実現しなかったのではないかと自分で感じていた。
高校に入ってから、クラシックとは遠ざかっていたが、それを思い出させてくれたのが留美子だった。
留美子とは、街の図書館で一緒になった。ちょうど勉強の休憩にと、彼女は音響室で、クラシックを聞いていたようだった。
彼女がクラシックを好きだということはその時に知ったのだが、自分も中学時代までずっとクラシックを聴いていたことを彼女にも話した。すると、
「じゃあ、お勉強が終わったら、ご一緒してくれません? お連れしたいところがあるんですよ」
と、クラシックを聴いていたからか、言葉遣いまで、上品に聞こえてくるから不思議だった。
勉強が一段落すると、図書館を出た二人は、そこから十分ほど歩いたところにある、古風な喫茶店にやってきた。
赤レンガで彩られた作りに、蔦が薄く絡まっている。中に入ると、表からは想像もできないような木造のまるでペンションのような建物で、ただ、明かりは乏しかった。わざと暗い雰囲気を醸し刺していて、店内は申し訳程度にクラシックがBGMとして流れていた。
中に入ると、彼女はマスターに挨拶をすると、マスターも分かっているかのような挨拶を返した。どうやら顔見知りのようだ。
――人を連れてこようというのだから、顔見知りなのも当然というものだろう――
と思うと、彼女は先に進んで、奥のテーブル席に腰を掛けた。
テーブル席の上にはヘッドホンが人数分置いてあって、その向こうに小さめのステレオのようなものがあった。
「ここはクラシック喫茶なの。この奥のカウンターにはクラシックのCDがいっぱい置いてあるので、好きなものを取ってきて聴けるようになっているの」
というではないか、