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正悪の生殺与奪

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 それではということで、一つのCDをゆっくりした気分で聞いていると、すっかり落ち着いた気分になって、
「ねえ、ここいいでしょう? 私には隠れ家のようなお店なのよ。テーブル席もあるんだけど、結構一人でくるお客さんが多いので、カウンターも結構広く作ってあるのよ」
 と言っていた。
 お品書きは多少根が張ったが、これだけのサービスであれば、十分である。音楽を聴くコンセプトなので、一時間、二時間は当たり前の滞在時間、常連お客が多いだろうというのは十分に飲み込めた。
 音楽を聴いた後は、ゆっくり会話をしようと思った。
「クラシックって、聞いているだけで、情景が浮かんでくるでしょう? 行ったこともない場所に、自分がいるような雰囲気よね」
 と彼女が言うと、
「僕は、西洋のお城を上から見ているような錯覚に陥ることがあるんだ。その時は、煙突のように天の伸びた細長い塔に、誰かがいて、こちらを覗いているように思えてくるんだけど、何とそれが自分なんだ。空を覗いている自分が、下を見ている自分を意識しているとは思えないんだけど、こっちは見られているという意識があるので、隠れなくてもいいのに隠れてしまう。隠れる場所もないのにね。何とも滑稽な感じなんだけど、想像するだけで滑稽な中に不気味な感じが味わえてしまうんだ。何か心理的にあるのかも知れないな」
 と三角は言った。
「それに近いことを私も感じたことがあるわ。私の場合は、森の中にある湖畔なんだけど、風も吹いていない湖畔に、なぜか波紋が出ているのよ。しかも実に周波の狭いもので、小刻みとでもいうのか、そよ風程度のものなんだけど、身体には感じないの。そして見えないけど、向こう岸から誰かが私を見ているの。本当なら気持ち悪いんでしょうけど、どうもそこかでの気分ではないのね」
 と、留美子が言うと、」
「そうだね。それに僕たちは、何かにつけて感動した時には、誰かに見つめられているという感覚を持つのかも知れないな」
 と、三角は答えたが、その通りだと留美子は思った。
 留美子は自分が、まわりに与える影響が少なからずあるということをこの時知った。自分が他の人にはない発想を持っているということから、この間、門倉刑事と鎌倉探偵が話をしていたものが自分と同じ発想をしていたからだと感じるようになった。それは自分だけではなく、同じ能力というか、持って生まれた才能のようなものを三角も持っていることぉ知った。
――いや、そんな二人だから出会ったのかな?
 だとすれば、これから自分たちが行う行動は、後の三人には分かってしまうということになるような気がする。
 少し気持ち悪い気もしたが、基本的には誰も自分のことを分かってくれる人をまったく皆死んでいくのだ。それを思えばまだ自分は幸せなのかも知れない。
 以心伝心という言葉だけでは表すことのできないものを留美子は感じていた。クラシックを聴いていて感じた森の湖畔で向こう岸に見えたのは、果たして三角か、門倉刑事か、鎌倉探偵か、そのうちの誰かなのだろうと思った。そんなことを留美子が考えているなど誰が感じていただろう。もし感じていたとすれば、三角だけだったのではないだろうか……。

              正悪の狭間

 ゆっくり歩いていくと、そこには断頭台が見えた。まわりからは外国語で大勢が罵声を浴びせている。何を言っているのか分からないが、想像するに、
「早く殺せ」
「さっさと処刑しちまえ」
 などと言っていることだろう。
 まわりにいるのは金髪の外人ばかりだ。自分の馴染みになる人など一人もいない。
 どうやら、衆人監修の下で、自分はこれからギロチンにかけられて処刑されるようだ。まわりの騒然とした雰囲気と、自分をここに引き出した役人と思しき人の実に事務的で冷めた目を見ていると、何ら疑いようのないものであった。
 なぜ、自分が断頭台の餌食になって、首をはねられなければいけないのか、そんなこと分かるはずもない。正直この場面はまったくの想像していなかった光景だったのだが、テレビドラマなどで見たことのあるものだった。
「マリーアントワネットの処刑」
 そう、あのフランス革命で庶民の手に寄って処刑されたフランス皇帝、ルイ十六世の王妃である、あのマリーアントワネットの処刑である。
 そう思うと、この場面はマリーアントワネットの処刑以外には考えられないものとなってしまった。
「殺せ、殺せ」
 と、まわりは喚いている。
「どうして、そんなに私が憎いの? 私が何をしたというの?」
 想定外の出来事であるにも関わらず、留美子はまるでマリーアントワネットになったかのように断頭台で声なき声を挙げていた。
 すると、群衆の一番前で、冷たい視線を浴びせている一組の男女の姿が見えた。
「あれは、私と三角君じゃない?」
 二人は現代の日本の服装、普通ならまったく違和感がないが、この光景で誰も何も言わないことが不思議に思える服装で、こちらを見ている。その目は哀れみというよりも、憎しみすらあった。
 だが、自分の目は憎しみとも哀れみとも違う。早く処刑されて、楽になればいいというイメージだ。
――どうしてそんな目をするの?
 と思いながら、どうして自分がそんな複雑な心境になっていることに気付けたのかという方が不思議だったが、今はそんな感情を抱いている場合ではない。
 だが、逃れることはもはや不可能だった。
 自分は完全にアントワネットになっていて、このまま処刑されるだけであった。
――死にたくない――
 と思ったが後の祭りである。
 まわりの声が次第に耳に入らなくなってきた。耳鳴りがしているような感覚もあり、それ以上に、まわりの雰囲気が緊張し、固唾を飲んでいるのが感じられたのだ。
――ああ、いよいよ処刑が近いのかも知れない――
 と思い、それでも皆が緊張しているのだとすれば、理屈は通る気がした。
 首に掛かっている抑えの板も、足や手首にかけられた手枷、足枷、痛くてたまらなかったはずなのに、今は感覚がマヒしたのか、痛みも感じらくなった。
 このまま死んでいくとなると、何かを思い出しそうな気がしているのに、こんな時に限って頭をもたげるものは何もない。
 考えてみれば、自分は精神だけがマリーアントワネットの処刑の場面にやってきたのであって、痛みや苦しみとは別のもののはずだ。痛みの感覚がマヒしたのではなく、最初から感じていないのかも知れないと思うと、このまま首を切られても、自分には痛みがないと思えてきた。
 すると、今度はどこに行くというのか、まるで自分がこのまま、処刑の場面を巡り巡っていきそうな気がするのだ。
 処刑というと最初に思い浮かんだのが、誰もがそうだろうが、このマリーアントワネットの処刑の場面だった。自分が女性だということもあるが、もし、自分が男性であっても同じであったような気がする。
 では、次に処刑を思い浮かべるとすれば誰なのか? 他の時ならいざ知らず、今思い噛んできたのは、幕末の幕府側の志士というべき、新選組の組長、近藤勇の処刑場面であった。
 武士としての切腹も許されず、まるで見せしめのように処刑された近藤勇、それを考えると、
「一体、正義って何なのかしら?」
作品名:正悪の生殺与奪 作家名:森本晃次