正悪の生殺与奪
「鎌倉さんという人は、かつて小説家だったんだけど、何か出版社のいいように使われそうになったことで、小説を書くのをやめて、そして何かの事件を解決したことをきっかけに探偵業を本格的に始めたって聞いたことがあったんだ。元々頭の回転がすごく早くて、小説家だけに感性も鋭かったんだろうね。探偵として成功を収めていて、いくつもの難事件を解決に導いたということなんだ。もちろん、相棒として、門倉刑事の力があることは当然なんだけど、ただのワトソンのような感じではないのではないかな?」
と三角は言った。
「門倉さんが話していたけど、鎌倉探偵は、いつも何かにこだわっているんですって、いわゆるマイブームのようなものなんでしょうけど、その時々で何にこだわっているのか、いつも楽しみにしているって言っていたわ」
「なるほど、それは楽しい話を聞いたな。僕は気付かなかったよ。今度、そのあたりを気にして見ていると楽しいカモ知れないな」
と、三角はいう。
普段からカウンセラーのような人の心の奥底を見る仕事をしていると、見たくないものだって嫌でも見なければいけない。それは、刑事や探偵にも言えることで、いくら気持ち悪いからといって、殺害現場を見ないわけにもいかないだろう。
しかし、
「何が見たくないって、人間の奥に潜んでいる犯罪の火種のようなものは本当にいたたまれないものがある。それは犯人だから持っているというわけではなくて、むしろ被害者だったり、犯人に影響を与えた人だったりする。それを理解していないで事件を軽く見て、その気持ちで人間を見ると、見たくないものを、まともに見てしまうことになって、下手をすれば、事件が解決すると、一気に鬱状態に陥ってしまうことだってありかねないんだ」
というのが、門倉刑事の話であった。
「そういえば、探偵小説に出てくる、いわゆる名探偵と言われる人でも、事件を解決すると、急に鬱状態になってしまう人もいたりするよね。事件の渦中にいる間は、事件に集中しているので、そんな鬱にはなりえないんだが、事件がある程度警察の捜査だけで解決するところまできて、自分の出番がなくなったことを悟ると、言い知れぬ孤独感に襲われるんだそうだ」
と三角がいうと、
「その名探偵さんの本、私何冊か読んでいるわよ。その人は自分が気に入った事件しか引き受けないといういわゆる変わり者の探偵さんなんだけど、結構人懐っこい性格で、警察関係者からも人気があるんだって。とにかく人間らしいというか、元々、探偵になる前には、警察の厄介になったことが何度かあるらしいのよ。いわゆる『前科探偵』とでも言えばいいのか、だから、犯罪者の考えも分かるのかも知れないわね」
と、留美子は言った。
「それは面白い探偵だね。さぞや、お金には困っているような雰囲気だけど」
「うん、いつもよれよれの服を着ているんだって。でも、それはあくまでも探偵としてのキャラクターで、愛着を感じるというのは、そのあたりからなのかも知れないわ。鎌倉探偵とは似ても似つかない感じの探偵ではあるけど、人情味があるのは、鎌倉探偵の方かも知れないわね」
「鎌倉探偵さんは人情深さという点では門倉刑事には及ばないと思うんだけど、それも探偵という職業からなのかも知れない。門倉さんが刑事という職業でいながら、素直なのに対して、鎌倉さんは、冷静沈着なのかも知れないな」
留美子は自分でも小説を書いているが、最近では探偵小説も多い。その中で探偵が出てくるのだが、その探偵のイメージは、鎌倉探偵というよりも、門倉刑事を探偵にして、逆に鎌倉探偵を刑事にするという逆転の発想からの小説であった。
元々性格が似通っているわけではないので、今までしっくりきていたキャラクターを入れ替えると、かなり二人の関係が変わって見えてくるのではないかと思われたが、その関係性においては、別に変わった感じのところはないようだった。
鎌倉探偵と門倉刑事、留美子と三角の二人からこんな話をされているなどとは夢にも思っていないだろう。しかも、そこに絡んでくる久保先生という存在、この四人の中で今一番久保先生のことを意識しているのは、留美子だった。
三角にしても、門倉刑事にしても、久保先生から助けてもらったという経験があるにも関わらず、
「かつて、生徒だった」
というだけの留美子だったが、どうやら今頃になって先生の良さを認識しているようだった。
門倉を探偵に見立てると、以前小説で読んだいかにもヒューマニズムの塊りのような探偵が出来上がるそうな気がする。ただ、彼は人情味が溢れているため、却って何をするか分からないくらいになってしまいそうだ。
フィクションなのだから、なるべくそんな探偵をイメージして書いてみた。おおよそのイメージは本で読んだ探偵にソックリに書いている。
つまり、自分が気に入った事件でなければ、着手しないということ。事件が始まれば、警察関係者たちは、門倉の意見をほぼ信用するくらいの頭脳明晰であるということ。そして事件がほぼ先が見えてくると、急に鬱状態になり、さっさと事件から手を引いて、フラッと旅行に出かけるという、そんな探偵蔵だ。
それも、読んだ小説よりも、もっとあからさまに書こうと思った。前に読んだ小説に出てきた探偵に誰かモデルのような人がいるかどうかは分からないが、自分が書く小説には門倉刑事というれっきとしたモデルがいるのだ。
――犯人は誰にしよう?
と考えたが、門倉刑事を探偵役にしようと思った時から、この小説はフィクションであるが、登場人物は自分のまわりにいる人にしようと思っていた。
しかも、その配役は、実際像とは違う状況を描き出そうと思ったので、この際の犯人役としては、久保先生が最適ではないかと思った。
小説を書いている自分も、どこかで登場することになるだろうが、実際の自分は久保先生とはさほど仲が良かったわけでもなく、しかも先生と生徒という立場で、先生の事情を分かるはずもなかった。本当にただ担任だったというだけの関係である。
小説を書いているうちに、いよいよ犯人が門倉探偵の頭の中に浮かんでくる。ここでの門倉探偵と久保先生とは、探偵と犯人という関係性があるだけなので、別に犯人に同情する必要もないはずなのに、久保先生の動機が分かってくると、久保先生という人間性を理解できるようになった。
ここからが門倉探偵の悪いところで、相手がいくら犯人であっても、いや、犯人であるからこそ、同情心が浮かんでくると、その思いは強くなってくる。門倉探偵にとっての事件がある程度解決してくると、彼がすぐに手を惹きたがるのが、そこに原因があった。
事件に深入りしてしまうと、犯人が誰なのか、自分だけで分かっている時間が長くなってしまうのだ。自分の口から警察に謎解きして見せるという探偵小説のクライマックス、つまりは探偵の一番の目立ちどころを彼が嫌うからであった。
もちろん、探偵をやっている以上、自分の活躍を表に出したいという気持ちは強く持っている。しかし、犯人への思い入れが強いと、相手に対する同情との葛藤が襲ってきて、普通の探偵ではあまり考えられないことをしてしまうのが、門倉探偵のヒューマニズムの真骨頂であった。