正悪の生殺与奪
「交換殺人というのは、小説ではよくあるけど、実際には起こり得ないんじゃないかというお話だったわ。でも、それも同じ時間に犯罪を犯すことに成功し、さらにアリバイを完璧にできれば、交換殺人もあるいは現実にもあり得るのではないかという発想だったのよ」
と、留美子が言った。
まさにこの間門倉と鎌倉氏が話をした通りの、交換殺人の部分の話であった。
「そうだね。交換殺人については、僕も実は考えたことがある。それは心理学という勉強をする意味でのサンプルとして、考え方を考察してみたんだよ」
と、三角は言った。
心理学という言葉は、実に犯罪と密接に結びついている。いや、犯罪だけではなく、市民生活の中に浸透していると言ってもいいだろう。しかし、犯罪というのは特殊な感情から生まれるもので、日常生活の感情とは切り離して考える必要があるのかも知れない。
「心理学の上では交換殺人というのは、どういうことになるのかしら?」
と、留美子が聞くと、
「僕の個人的な意見だけど、不可能を可能にしようとするような心理なんじゃないかって思うんだ」
「不可能を可能に?」
「うん、交換殺人というのは、一見、被害者とまったく利害関係のない自分が実行犯なので、発想としては面白いと思うんだけど、そのためにはリスクが大きすぎる。まず最初には脳を実現するために、もう一人の犯人を見つけなければいけない。これが一番大変で、最初が一番大変だという意味で、この犯罪は不可能だと思える。リスクという意味では、自分は実行犯でもありながら、実行犯のために犯罪を計画するという意味での殺人罪もある。つまりは、二つの殺人について、一気に関与することになるだろう?」
「ええ、そういうことにあるわね」
「しかも、同時に相手を殺してしまわないと、先に殺した方は、実行犯で逃れることはできないが、相手は自分のアリバイを証明させて、しかも他の人が殺してくれたんだから、危ない橋を渡す必要はなくなった。だから、これ以上相手のために何もしないことだってありえるんだから、やるんだったら、同じタイミングでやらないと、交換殺人というのは成立しないんだ。だったら、それを成立させるためには、不可能と思えることを可能にする。つまり、いかに同時に殺人を可能にして、お互いに同じ立場に相手を追い込み、自分も追い込まれるかということを考えないといけない。そこが犯罪を犯す人間の心理としては一番の醍醐味であり、いかに不可能を可能にできるかというのが、キーになってくるんだよ」
「うん。言っていることはよく分かる気がするわ。でも、交換殺人というのは、すすねば進ほど、後戻りはできなくなって、精神的に追い込まれてしまうような気がするんだけど、そうなると精神的に不安定になった場合、どうなるか分からないわよね」
「そこが難しいんだけど、そのためには、他にもいくつかの逃げ場のようなものを見つけておかなければいけないよ。二人で一つの犯行を犯すのが、共犯だとするなら、二人で一緒に二つの犯罪に手を染めるわけだから、共犯というわけでもない。あくまでも、表向きには二人の関係はまったく利害関係のないところに置いておかなければいけないものだよね」
「そうね。それが不可能を可能にするということは、完全犯罪を目論んでいるということになるのかも知れないわね」
二人は、門倉刑事と鎌倉探偵が話していたことを、留美子は思い出しながら、三角は、
「二人なら、こんな話をするのではないか」
ということを考えながら、話した。
前に門倉と鎌倉探偵の話を聞いていた留美子だったが、自然とこういう話を頭の奥に封印されていったが、三角と話をする中で、どんどん思い出してきて、まるであの時聞いた話をまた聞いているかのような既視感に見舞われていたのだった。
似たような言葉が出てくるたびに、今ここに門倉刑事と鎌倉探偵がいるのではないかという思いもあり、まるで三角に二人が乗り移ったのではないかとまで感じたほどであった。
三角の方も、二人の話を直接聞いたわけでもないので、最初は、二人がいいそうなことを想像しながら話していたが、そのうちに、自分としての意見を、心理学の観点から話していたが、話しながら、やはり、
――二人であっても、同じことをいうに違いない――
と思った。
それだけ、二人の発想と、自分の心理学からの観点とは、似た考えであるという思いがあり、その発想を口にして、二人の話を実際に聞いていた留美子が感心して聞いていたのだから、自分の考えが二人と同じなのだろうと感じるのだった。
「じゃあ、一人二役については、君ならどう感じている?」
と、三角は聞いてみた。
留美子はしばらく考えていたが、
「一人二役というのは、まるで自分のことのような気がするの。それは二重人格というような意識はないんだけど、何か自分の中にもう一人が潜んでいるような気がするのね。その人が自分の気付かない間に急に出てきて、何かをしているんじゃないかって思うの。でも、それを他の人は私だっていう意識を持っていないから、二重人格に見えていないだけだって思うのね。だからまわりからどう見えるかということが違う、二重人格と言えばいいのかしら?」
と言っていた。
「二重人格というのは、本人が自覚していることが重要なんだって思うんだけど、きっとまわりが自覚していないように、本人もほどんど自覚していないというのが、留美子さんが話一人二役という発想なんだろうね。なかなか個性的だと僕は思う。門倉さんも鎌倉さんも今の君のような発想はしていなかったんだ。でも僕は心理学という観点から考えると、今の君の話には大いに興味がある。もっと、そのあたりを掘り下げて考えてみたいと考えるよ」
と言っていた。
その日、二人は門倉刑事と鎌倉探偵の話を交互に思い出しながら、二人が考えている内容を出し合って話をしてみた。この会話は思ったよりも面白く、特に留美子の方が大いに興味をそそられたようだった。
「どれにしても、三角君はどうして、カウンセラーになろうと思ったの? クラス委員も申し訳ないけど、何か気合が入っているように見えなかったので、誰かのために行動するようには見えなかったんだけど、そのあたりの心境が正直気になるところなの」
と、失礼とは思いながら、思ったことを口にしてしまった留美子だったが、留美子としてもこんな口のきき方をして三角が嫌な気にはならないだろうという意識があってのことであった。
実際に三角も嫌な気がしているわけではなかったが、っすぐに返事ができなかったのは、今までにそんなことを考えたこともなかったからなのかも知れない。
月蝕
「僕がカウンセラーになろうと思ったのは、久保先生から勧められたからなんだ」
という。
留美子は久保先生とは直接話をしたことはあまりなかった。確かに担任の先生ではあったが、自分から何かを相談しに行ったりすることもなく、留美子から見て、
「ごく普通のどこにでもいる担任」
としてしか思っていなかった。
進路指導の三者面談でも、余計なことはまったく喋らなかった。久保先生は別にそれでいいと思っていたのか、言葉を促すこともない。