正悪の生殺与奪
どちらにしても、アリバイトリックを完成させることで、交換殺人も決して不可能ではないと思えるところまで考えてくると、一人二役なるジャンルと交換殺人というのも、複合するものとして考えることもできるかも知れない。
犯罪というのが、いかにトリックのバリエーションによるものなのかということは、今の交換殺人におけるアリバイ工作でも分かるように、不可能と思われることを可能にするのかも知れない。
一人二役と、交換殺人について考えてみた。
前述のような考え方とは少し違って、違う部分を探すのではなく、共通部分を探してみることにした。
案外と似ているところがあるようで、この二つは微妙にすれ違っている部分が多い。
「交換殺人では人を殺すことが一番なんだよな、だから、一人二役で、殺人をメインに考えるとすると、まずは、被害者になるべく、まったく関係のない人を探してこなければいけない。これが昔の探偵小説。大正時代などであれば、できないこともない。例えば土葬された墓場から死体を盗み出すなどして、本当は殺されたわけではない人の死体を、あたかもその時殺されたかのように偽装することもできる」
と鎌倉探偵がいった、
「私が好きな探偵小説作家も、墓暴きを多用する人がいて、そのあたりのトリックは見たことがあります。いかにも大量無差別殺人を装っていることで、猟奇的な趣味を持った犯人像を作り上げるという効果がありましたね」
と、門倉刑事は言った。
「もし、殺された人が本当に殺害された人でないということになると、一人二役の発想が生まれてくるのだろうか? 事前に、自分が誰かに殺されるということを必要以上に宣伝し、実際に利害関係のある人の存在をまわりに植え付ける必要がある。それが架空の人物だとしても、誰か共犯を立てないと、できないことだよね」
「その通りだと思います。交換殺人では、その共犯に当たるのが、交換殺人の相手ということになるのか、何しろ何ら利害関係のない相手なので、そういうことになるんでしょうね」
「そうなると、交換殺人を行ったはいいが、成功してしまうと、相手に対してだんだん恐怖が募ってくるんじゃないのかな? なぜなら相手とこれから、ずっと生きている間、まったく接点がないことにして生きて行かなければならない。今は時効などないので、本当に安全な時期は死ぬまで訪れない。これほど不安なことはないだろうね。まるで爆弾を飲み込んだまま生きているような感覚なんじゃないだろうか」
「普通なら耐えられないでしょうね。相手が死ぬまでは、動機が怨恨であったり、自己防衛のためだった場合のように必死だったとしても、相手がいなくなれば、その不安が好感した相手に向けられる。疑心暗鬼がマックスの状態のまま、生きていくことになるんだからね」
「そうなると、一人二役の、死んでもらう相手としては、交換殺人の相手というのが一番ふさわしいですよね。自分が死んでしまったとして、その人を殺すわけだから、首のない死体のトリックのように、自分が死んだことになり、しかも、犯人は一人二役を演じた架空の人物なので、手配したとしても、逮捕されることはないですよね」
と門倉刑事は言った。
「だけどね、それはあくまでも机上の空論でしかすぎないんだよ。だって、さっきも話したように、交換殺人の一番のメリットとして考えられたこととして、アリバイを形成するためには、防犯カメラなどの今の時代がいいと言ったけど、この結末として一人二役を使おうとすると、今度は死んだ人間が誰なのか、逆に今の医学では簡単に分かってしまうのではないかな? DNA鑑定なんてものもあるしね。だから、理論上、つまり小説としては交換殺人の最後の落としどころに一人二役を使うというのは、センセーショナルな発想になるんだろうけど、実際の犯罪にはそぐわない。門倉君、君はそうは思わないかね?」
と言った。
「そうですね。これがいわゆる交わることのない平行線という発想になるんでしょうね。理屈の上では完璧なんだけど、あまりにも現実離れしているという発想ですよね。ここで言われるべきは、時代錯誤ということになるんでしょうか」
「あちらを立てれば、こちらが立たず、あるいは、帯に短したすきに長し、などということわざと同じようなことになるんだろうね」
と、鎌倉氏はうまいことを言った。
「要するに、違う場面を見ているばかりではなく、共通点を探そうとしても、なかなか交わることを知らないこの二つなんですね」
「その通りなんだが、実際に交換殺人を行った場合に、そのあとに残った気持ちの不安を解消させるためには、一人二役のトリックしかないということでもある。どっちにしても、侵してしまった犯罪は取り消すことはできない。一度切ってしまった舵は、切り続けるしかないという意味でもあるんだね」
と鎌倉氏は溜息をついた。
「何か虚しいですね」
「そうだね、たとえがいいか悪いか分からないが、冷戦時代の核による抑止力とでも言えばいいかな?」
「あの時代は、本当にそう信じられていましたからね。絶対に自分からボタンを押してはいけないという発想ですね」
抱き合わせの犯罪とでも言えばいいのか、そんな話をしていると、話がだんだん大きくなってくるのを感じていた。
カウンセラー
留美子が取材で自分の母校の高校を訪れた時、高校時代の同級生が、カウンセラーとして赴任していた。
「あなたが、まさかカウンセラーをしているなんてビックリだわ」
彼の名前は三角良平と言った。
元々、クラスの中では中心的な男の子で、クラス委員も何度か勤めていたが、ただそれはどちらかというと、まわりから押し付けられたものだった。
「三角の奴は、嫌とは言わないからな。あいつにやらせておけばいいのさ」
と、多数決では皆三角に手を挙げたのだ。
三角もバカ正直にクラス委員の仕事を遂行していた。たまに融通が利かないこともあって、まわりの生徒と険悪なムードになったこともあったが、
「俺たちがいたから、クラス委員にもなれたんじゃないか」
と誰かがいうと、とたんにそれまでの勢いと信念が萎んでしまうところが彼の欠点だったのだが、それ以外では、非の打ちどころのないクラス委員だったのではないかと思えた。
「クラス委員なんて貧乏くじ、よく続けられるよな」
と押し付けたくせに、クラスの男の子は、平気でそんなことがいえる。
やはり、自分でやってもいないことなので、何とでも言えるのだろう。そんな連中を見ていると、その主体性のなさにうんざりし、ヘドが出るほどの思いを感じる留美子だったのだ。
あれは修学旅行の時だったか、自由行動中に、一人の生徒が行方不明になったことがあった。集合時間までに帰ってこなかったのだが、次の土地への移動迄、昼食を含め、集合時間から二時間ほどだったので、少し焦っていた。
行動は当然、班ごとの行動だったので、行方不明の生徒は途中で一人になったのだろうが、彼がいつ一人になったのかなど、数人の犯だったにも関わらず、誰も気づかなかったという。
「そんなことってあるのか?」
と三角は思ったが、とにかく、待つしかなかった、